第2話「無名のレートと沈黙の泡亅
勝負が終わったあとのロビーは、妙な静けさに包まれていた。
誰もが“推薦入学の才女”が敗れる姿など想像していなかったからだ。
しかも相手は、まったくの無名──レートCの新入り。
「……まじかよ」
「え、あの子、ほんとにC帯?」
ざわつく声と視線の中心で、琴城秤は相変わらず飄々と笑っていた。
その笑顔は、勝者の誇りというより、ゲームを終えた子供のような“充足”に近い。
月城海月は、無言で秤を見つめていた。
そのまなざしは怒りでも悔しさでもない。
ただ、ひとつの問いが彼女の中に生まれていた。
──気づいてたの?
──それとも……偶然?
その答えを、秤の笑顔は教えてくれない。
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天秤学園の生徒寮──
カードキー式の鉄扉が開き、秤がふらりと部屋に戻ってきた。
「……面白かったな」
バッグを投げ、ベッドに倒れ込む。
天井を見上げながら、海月の顔を思い出していた。
──泡影。
“視覚を奪う”一瞬の違和感。
普通の生徒ならまず気づけない。しかも、相手に気づかれなければ何度でも使える。
(けど、あの能力……逆転できないタイプには致命的だな)
秤にとって、勝負は“逆転”がなければ意味がない。
相手の策に翻弄され、見抜き、切り返す――その過程にこそ、脳が熱を帯びる。
だから、彼は言わない。能力をバラすこともしない。
> 「まだ使わせてやるよ。何度でも。
そのほうが、次の“一手”が映えるから
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翌朝。
秤が校門をくぐると、既に数名の生徒がこちらを見てヒソヒソ話をしていた。
「昨日のあれ……見た?」
「まさか、月城海月が……」
「推薦の面目まるつぶれじゃん」
噂はもう広まっていた。
だが秤にとっては、それすらも“仕込みの一部”に過ぎなかった。
そのとき。
「琴城秤」
正面から名前を呼ばれる。
見れば、制服の襟元に“青のピンバッジ”をつけた男子生徒が立っていた。
「俺は白堂レン。レートAの中位。“初戦勝ち”で調子に乗ってるC帯に一つ忠告をしに来た」
秤は目を細める。
「ふむ……つまり、挑戦状?」
白堂はポケットから金色のチップを取り出し、卓上に置く。
「放課後、地下カジノで。ゲームは“記憶迷路”だ」
(おもしろい……)
秤の中で、もう火は点いていた。
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放課後。
学園地下、認可ギャンブル施設──“レート試験区”。
テーブルの上に並ぶ12枚の裏カード。
白堂は微笑んだ。
「ルールは簡単。3回のターンで、相手がめくるカードの組み合わせを“誘導”できたら勝ち。
もちろん、イカサマ能力の使用は自由」
秤は椅子に座りながら軽く頷く。
(誘導ゲーム……相手の意図を読み、裏をかく。面倒で面白い)
白堂が目を光らせる。
「じゃあ──始めようか。“無名の慧眼”くん」
──慧眼。
その言葉に、秤の表情が一瞬だけ揺れた。
バレていないはずだった。
誰にも言っていないはずだった。
(……月城海月? いや、違う)
彼は笑った。
「へぇ、知ってるんだ。僕が、見えてるってこと」
> 「でもさ──知ってるから勝てる、とは限らないんだよ」
静かに始まった、第2の勝負。
今度の相手は“見破ったうえでなお勝てる”と信じるA帯の強者。
秤はどこまで崩され、そしてどこから逆転を始めるのか。
──勝負のたびに世界が反転する。
“偽りのリバーサル”は、まだ始まったばかりだ。
静まり返った地下カジノの空間。
蛍光灯の明かりがテーブルに落ちるなか、秤と白堂は向かい合って座っていた。
テーブル上には、伏せられたカードが12枚。
その裏面はすべて同じ模様。プレイヤーに与えられた情報は、まったく平等……のはずだった。
「“記憶迷路”──ルールの再確認だ」
白堂が淡々と告げる。
「互いに1ターンずつ、2枚のカードを裏返して情報を得る。そして3ターン目、相手の“誘導パターン”を見抜いた方の勝ち。
もちろん──不正能力の使用は自由」
(不正能力……つまり、イカサマ。その言葉がここでは正義)
秤は静かに目を細める。
白堂は最初から、“慧眼”を警戒していた。
ならば、おそらく彼にも何かしらの“不正能力”がある。
「……じゃ、始めようか」
白堂のターン。
ゆっくりと2枚のカードをめくる。そこには「白」「赤」と色分けされた模様。
白堂の表情は微動だにしない。
だが、その右手の薬指がわずかに動いていた。
(……なるほど。印をつけたか?)
秤の“慧眼”が反応する。
不正の兆しは小さく、巧妙だったが、彼の目はそれを逃さない。
秤のターン。
彼はまったく同じようにカードをめくり、ただ静かに、意味のないような指の動きをしてみせた。
白堂の目が、一瞬細まった。
> (……お前も、やってるな?)
「お互い様ってやつだね。
でも、君が見てるのは“上っ面”だ」
秤は微笑み、カードをもう一枚、軽く撫でた。
その仕草には、何の意味もなかった──はずだった。
ターン3、決着の時。
「じゃあ、当ててみろよ。
俺が誘導したパターンの“終着点”をな」
白堂がニヤリと笑いながらカードを差し出す。
秤は、何も言わずにその手前にあるカードを一枚、静かに裏返した。
──“白”
白堂の目が見開かれる。
「……ッ、なぜ、それを」
秤は目を閉じ、言った。
「君の不正能力、“記憶転写”。
相手がめくったカードの“記憶”を、他人に擦りつける。
その仕掛けが完璧すぎた。……完璧すぎたから、逆に目立ったんだよ」
慧眼は、不正の“違和感”を見抜くだけ。
だが秤は、その感覚の積み重ねだけで全体の“ウソの構図”を掴んでいた。
白堂は悔しげに舌打ちした。
「……見破られてたのか。てめぇ、本当にC帯かよ」
「C帯だけど、逆転には慣れてるんでね。
不正があればあるほど、僕は生きるんだ」
レートの更新音が静かに鳴り響く。
琴城秤、+140レート。C帯上位に食い込む。
白堂は舌打ちしながら席を立つ。
「……気をつけな。次に狙うのは“あの女”だ」
「“海月ちゃん”のことかい?」
「──泡影。あれは、甘くないぜ。能力が“バレた瞬間”、ただのカモになる」
去っていく白堂の背中を見送りながら、秤は一つ息を吐いた。
(……バレてない。彼女の“泡影”は、まだ)
> 「でも――そろそろ、潮時かもな」
そのとき、背後から聞こえた足音。
「……やっぱり、君は気づいてたんだね」
振り返ると、そこには月城海月が立っていた。
静かな瞳が、まっすぐに秤を見つめていた。
「初戦の時。……使ったの、わかってたでしょ、“泡影”」
沈黙。
秤は目を細め、そして微笑んだ。
「うん。まあね」
「……どうして言わなかったの?」
「不利が、好きなんだよ。
君が泡影を使い続ける限り、僕はずっと、ギリギリで勝負を楽しめる。
それって、最高に面白いだろ?」
海月は、しばらく無言だった。
そして、ふっと笑った。
「……変な人」
その笑顔は、初めて見せた“素の顔”だった。
> 偽りの勝負、不正の能力。
それでも、誰かの本音がこぼれ落ちる瞬間がある。
そしてまた、レートは動く。
“偽りのリバーサル”は、ゆっくりと、しかし確実に広がっていく。