【第1話】泡影と慧眼
春。けれどこの学園に桜は似合わない。咲き乱れるのは、勝敗と嘘と──欲望だった。
私立天秤学園、入学初日。 その日、ロビーに集まった新入生たちの視線の先にいたのは、整った制服を着た一人の少女だった。
月城海月。 物静かで、少し陰のある雰囲気。しかしその存在感は、確かに空気を支配していた。
「推薦とか、楽でいいよな」 「家が強いってだけで、レートも最初から高め設定だってさ」 「つぶしとく?」
そんな低い声が飛び交う中、彼女は何も言わずにただ立っていた。彼女の目は、静かに周囲を観察していた。
──怖がってなどいない。けれど、自分がここでどう見られるのか。何を求められるのか。 彼女はそれを、冷静に測っていた。
「──じゃあ、やってみる?」
その声が、場の空気を変えた。
現れたのは一人の少年。くせのある黒髪に、飄々とした笑みを浮かべる。
琴城秤。誰も知らない、無名の新入生。 だがその目だけは、海月の“泡”の奥を見抜いているように鋭かった。
「僕と、勝負しようよ。君が“どれだけ強いか”、見てみたい」
「……は?」
「推薦枠ってことは、強いんだろ? ちょっと気になってさ」
周囲がざわついた。いきなり推薦生に勝負を挑むなんて、正気じゃない。
海月は少しだけ目を細めた。 「あなた、名前は?」
「琴城秤。Cランク、正真正銘の無名だよ」
「ふうん。……いいよ。受けてあげる」---
◆ 賭けゲーム:『記憶シャッフル』
・互いに3枚のカード(1〜9)を持ち、1枚ずつシャッフルして相手に渡す
・そのうち1枚が“当たり”で、残り2枚が“ハズレ”
・最終的に、相手の“当たりカード”を1枚で当てれば勝利
・ただし、カードを渡す時にイカサマ能力の使用可。
それをどう見抜き、どう使うかが勝負の鍵
---
「君の名前、なんて言うの?」
海月が聞く。
初対面の少年に、警戒心と少しの好奇心を抱きながら。
「琴城秤。Cランク、正真正銘の無名だよ」
「でも――逆転にはちょっと、クセがあってね」
「逆転、ね」
彼女はわずかに目を細めた。
そのとき、秤の“慧眼”が静かに動き始める。
一枚目──何も仕掛けなし。
二枚目──指先の動きにわずかな迷い。
三枚目──視線が、逸れた。
「……ああ」
秤は気づいた。
この瞬間、海月が“使った”ことに。
空気がわずかに揺れる。
3秒間、彼の視覚は歪み、カードの流れがぼやけた。
だが秤は笑っていた。
不利だ。けれど──これが最高に楽しい。
「選んだよ。これが君の“当たり”カードだ」
テーブルに置かれたカード。
その一枚を見た瞬間、海月の目がわずかに見開かれた。
「……なんで、分かったの?」
「直感、ってことで。そういうの、信じるタイプなんだ」
勝利。
レート上昇。C帯の新人が、推薦組に勝った。
だが――真実は、泡の中に隠されたまま。
「また、勝負しよう。今度は君が“本気”になるまで」
「……なるほど。そういう人、だったんだね」
微笑む海月の表情は、どこか安心しているようにも見えた。
彼女の“泡影”は、まだバレていない。少なくとも、そう思っている。
その背を見送りながら、秤は小さく笑った。
> 「バレたら使えない、か。
それなら、“バレないうち”に何度も勝てばいい──
そう思ってるうちは、まだまだ甘いんだよ、海月ちゃん」
慧眼はすでに見抜いていた。
だがそれを言葉にすることは、彼の美学に反する。
不利を楽しむ者と、バレなければ何度でも使う者。
この日、天秤学園の重りがわずかに傾き始めた。