ハルカの話
私とスミレは、いっしょだった。
生まれた病院も、生まれた日も、小学校も。
たから、当然のように私たちは、対等な関係であると、思っていた。
そんな「当然」が当然じゃなかったと知ったのは、小学五年生の時。スミレとはじめ喧嘩した日だ。
喧嘩した理由なんて、覚えてないので、きつとしょうもないことだったのだと思う。
でも初めての喧嘩だったので、私はひどく傷つき、当時、唯一の親であった母に泣きながらあったことを話した。
母は私を慰め、仲直りの方法を教えてくれるのだろう、そう思った。しかし、違った。
母は、泣いた。泣いて私を罵った。罵倒した。普段の優しくて、温厚な母からは、想像できない姿だった。
なんでそんなことしたんだ、と。もし、スミレちゃんに嫌われたら、私は、、、私たちは、、、
「生きていけないよ」
、と。
私は、小学五年生にしては優秀な方だったと思う。だから、母の泣き叫ぶ内容から、なんとなく、私とスミレの本当の関係とか、母とスミレの母の関係とか、いろんなことがわかった。
母とスミレの母は、私たちがほとんどいっしょの時刻に生まれてきたから知り合ったことを。
母と私は、私の血の繋がった父に捨てられたことを。
母は貯めてきた、貯金がきれそうだったが、スミレの母に、そのことを不備に思われ、スミレの父の会社に入ることができたことを。
母は、失敗を繰り返したが、私とスミレが仲がいいことを理由に、失業していないことを。
大げさにいうと、スミレと私の仲が、母と私の命を繋いでいるということだ。
私は、娘がいないとまともに生きていく事もできない母に失望した。そして、スミレとは何があっても仲良くしたことが、母にとっては、お金のためだけであったことが悲しかった。
私は、その後、スミレと違う考えは、全て心の奥底にしまい、スミレにとって、とても仲のいい友達であるように心がけた。
それでも、隣のスミレが笑いあうことが、なによりも幸せだった。
時は過ぎ、中学一年。私たちは、私立の中学校に進学した。私立は、学費がかかりすぎるが、特待生として、学費免除ではいることができた。塾には通えなかったものの、スミレに勉強を見てもらったおかげだ。
そして、母がスミレの父の会社を辞めた。失敗の連続でついに、経営が赤字になったからだ。もちろん、母だけのせいではないが、母の失敗が全てなかったら、まだ、黒字だったそうだ。(母が辞めて二ヶ月でまた、黒字に戻ったそうだ)
母は、家にたまにしか帰ってこなくなった。バイトで忙しいようだ。月に一度帰ってくる日には、お金は置いていくが、全く足りない。
仕方なく、私も働いた。もちろん、中学生を雇う普通のバイトがあるわけもなく、学校のない夜でできる、あまり普通じゃないバイトである。
といっても、特待生なので、学校の成績は落とせない。
バイトと、学校の板挟みの生活である。
スミレだけが、生きる希望だ。だって、私が死んだら、スミレは悲しむでしょう? だから私はどんなに辛くても、逃げないで、ちゃんと生きなきゃ。
とうの昔に「ちゃんと」なんかなくなっていたとしても。
中学二年生の時、母がバイト先で恋人をつくってから母が家に帰ってくる回数は減り、私のバイトをする回数は増えた。
あの時は結構辛かった。勉強も難しくなったし。
でもあの辛さを乗り越えて今がある。もう少しで高校生だ。バイトは普通のものに変えればいい。もし家を出ることになったら、家族とも縁を切ろう。
これまでの人生、ただ一つの幸運はスミレに出会えたこと。スミレに出会えて良かった。ここまで、私を生かしてくれてありがとう。
学校にバイトがバレた。学校をやめなきゃいけなくなった。スミレの家族に、もう二度と会うなと言われた。
スミレに、スミレに、スミレに、、、
軽蔑した目で見られた、、、
生きててごめんなさい
お詫びします。