浪費癖の婚約者とはもう付き合う気がありません~倹約家の私が婚約破棄した結果、国の仕事を任されるようになりました~
「いつまでも浪費を続けるおつもりですか?」
その問いかけに、宵支度の重たげな空気が張り詰めた。
わたくし、ヴィオラ・セズナックは、子爵位を賜ったばかりの新興貴族の令嬢だ。もとは商家の出である父が、王国の貿易政策に多大な貢献をしたことで子爵の地位を手に入れた。まだ古い貴族たちには「成り上がり」「貧乏くさい」と揶揄されるが、こちらにはこちらの矜持がある。むしろ、商人として養われてきた倹約精神こそが、セズナック家をこの地位にまで押し上げた原動力だとわたくしは信じている。
しかし、そんなわたくしにもある“宿命”があった。それが、かねてより結婚を約束されているアリーセント伯爵家の嫡男、エドワルド・アリーセントとの政略婚である。伯爵家は古くからの名家で王家とも縁が深い。先方は父が築き上げた経済力を利用できるし、わたくしとしてもアリーセント家とつながりを持てば、セズナック家の地位がさらに磐石になる。形の上では双方にとって利益が大きいはずだった。
とはいえ、エドワルド様は──正直に言ってしまえば、かなりの浪費家だ。
「わたしが贅沢をしたところで、どうせヴィオラが調整してくれるから大丈夫じゃないか?」
彼はいつもそんな調子で、宝石や服飾品の散財だけならまだしも、“公務にかかる経費”として国からいくらでも金を引き出す。しかも、その一部をわたくしを通して別の費目に上手く付け替え、“視察旅行の滞在費”などの名目で自由に使える金庫から支出しているのだ。
エドワルド様の父、アリーセント伯爵も多少なりともその出費を問題視しているらしかったが、息子への溺愛が祟ってか、大きく口を出すことはしない。それどころか「セズナック家のご令嬢が補佐してくれるなら心配いらない」と、むしろ調整力を買ってわたくしに息子の浪費の後始末を任せる始末。わたくしも、これまではセズナック家のためだと思い、渋々ながら調整に応じていた。
しかし、その夜は違った。ある事情があって、どうしても看過できなかったのだ。
「ヴィオラ、悪いね。また頼みたいことがあるんだ。いつものように“視察旅行の滞在費”で、少しばかり上乗せをして欲しいんだが」
小ぢんまりとしたサロンで、エドワルド様は上機嫌そうに切り出した。
「そうですね、いくらほどご希望で?」
「五十万ダールくらいかな? ほら、今度の旅行は王都近くの保養地だし、なんだかんだと出費がかさむんだよ」
わたくしは金額を聞いて、内心でため息をついた。彼の言う“五十万ダール”とは貴族にとっても簡単には用意できない大金だ。少々の調整ではどうにもならないほどだが、それでもわたくしは冷静を装う。
「わかりました。ただし、一度に大金を動かすのは目立ちますから、分割で計上させてください」
「やっぱりヴィオラは頼りになるよ。助かるね!」
エドワルド様は軽薄な笑みを浮かべて杯を傾ける。だが、そのときのわたくしの胸中には、ある決意が芽生えつつあった。
実はこのとき、王立財務庁の高官たちが近々行われる“新興貴族の税制改革会議”への参加者を選定していて、その中にセズナック家の名を入れているという噂を耳にしていた。噂では終わらない確度の高い情報だったが、わたくしはその真偽をひそかに確かめるため、父に相談していた。
「どうやら本当のようだ。王立財務庁は、おまえが会議に参加してくれるなら心強いと考えているらしい。あのアリーセント伯爵も名家といえど、高齢で新しい税制や経費運用の知見には乏しいそうだ」
「と、いうことは……」
「ああ、もしおまえが“そういうこと”に積極的に力を貸すなら、セズナック家としても王国への大きな足がかりになる。逆に言えば、エドワルド殿との縁談を続けているうちは、微妙に動きにくい場面もあるかもしれないな」
父の言外の意味を、わたくしは十分に読み取れた。セズナック家が真に成長を遂げるためには、いつまでも浪費家のエドワルド様の後ろ盾に縛られているわけにはいかない。ましてや、いずれ正式に婚姻関係を結んでしまえば、わたくしはあの人の散財を止められなくなるばかりか、セズナック家にとって重大な汚点となりかねない。
けれど、本当に婚約を破棄できるだろうか。わたくしとて、これまで必死にエドワルド様を補佐してきたのだ。政治や貴族間のしがらみを考えれば、たかが婚約破棄ひとつといえど小さくはない騒動になるだろう。しかし、今ならまだ間に合う……そう自分に言い聞かせた。
そんな折、アリーセント家の令息であるエドワルド様の浪費が、思わぬ形で人々の目に触れることになる。
その引き金となったのは、彼が「借金のかたに貴族街の敷地を担保に出した」という噂が広まったからだった。古くからの伯爵家の領地を息子が勝手に担保に入れたとあって、周囲は大騒ぎになった。むろん、この噂が事実か否かは当初わからなかったが、アリーセント伯爵家にとって看過できる話ではない。
その真偽を探るべく、王都や有力貴族の間で調査が始まり、さまざまな取引記録が洗い出された。そのとき、ついでに明るみに出てしまったのだ──わたくしが彼に代わって予算をひそかに“捻出”していた事実が。
「これは一体、どういうことだ!」
会議室でアリーセント伯爵が苦々しく叫んだらしい。要するに、“国の公金を旅行滞在費などの形で多額に流用していた”という形で話が持ち上がったのだ。もっとも、その実態はエドワルド様の散財の後始末をわたくしがしていただけなのだが、当人がそれを弁明しようにも証拠書類はことごとく“エドワルド本人の名義”で申請されていた。
わたくしが提出していた書類には虚偽はない。各地の視察や会議費用など、本来の名目通りに支出すべきところは正確に記載してある。問題となる“上乗せ”部分も、規定上は解釈に余地があるが、言いがかりを受ければエドワルド様が公金を私的に使ったと見なされる可能性が高い。
「あんなはした金のやりくりはヴィオラが考えたんだ! わたしは何も知らない!」
エドワルド様のそんな言い草が外に漏れたのか、わたくしのもとにも噂が届いた。彼はわたくしを嵌めることで逃れようとしているらしい。
――そこまで来てしまったのなら、もう腹をくくるしかないわ。
わたくしは、ある人物のもとを訪れる決意をした。
「お会いできて光栄ですわ。マクシミリアン・ノースフィールド殿」
ノースフィールド侯爵家の嫡男、マクシミリアン様。王立財務庁での会議を取り仕切る重要人物でもある。彼はすらりとした長身に理知的な眼差しをたたえた青年で、わたくしの商人としての財務知識を高く評価してくれていた。
「こちらこそ。わたしのほうこそ、セズナック子爵家の令嬢にお会いできて嬉しいですよ。お噂はかねがね。商家出身とはいえ、その卓越した財政調整の手腕は目を見張るものがあると」
「身に余るお言葉です。……ただ、今わたくしには一つお願いがございます」
マクシミリアン様は小首をかしげてわたくしを促す。その瞳に好奇心が宿るのを見て、わたくしは胸の高鳴りを抑えつつ口を開いた。
「実は、アリーセント伯爵家の令息であるエドワルド様との婚約を破棄したいのです。現状では、あの方の散財が王国の財政にも悪影響を与える恐れがあり、それを放置するわけには参りません」
「なるほど、それであなたはどうするおつもりですか? 彼の不正が明らかになった以上、あなたにもその責が及ぶ可能性がありますが……」
わたくしは深く息を吸い込み、答えた。
「できる限り正しく、公平なやり方で、この不正を終わらせたいのです。わたくしに課される処罰なら受けます。でも、ただやみくもに罰せられるのではなく、わたくしが学んできた“正しい金のやりくり”を、今度こそ国政の場で活かす形で責任を取りたいのです」
マクシミリアン様はしばらく考え込み、やがて笑みを浮かべた。
「いいでしょう。あなたの言葉には筋が通っている。それに、王家や財務庁も今まさに“公金の適切な管理”ができる人物を求めている。あなたのような人材なら、大いに活躍してもらえるはずだ」
そう言ってくださったとき、わたくしは解き放たれた心地がした。
結局、エドワルド様は「公金流用」疑惑の中心人物として糾弾された。決定打になったのは、借金を隠すために複数の商人から架空請求の領収書を発行させていた件だ。視察旅行の実態のない“空出張”の記録まで見つかり、今まで通っていた社交界からも避けられているという。
そして、当のわたくしは婚約破棄を自分から申し出た。周囲からは「もったいない」とか「せっかくの伯爵家との縁談を棒に振るのか」と言われたが、わたくしは意を曲げなかった。アリーセント伯爵は最後まで「セズナック家には恩がある」と言い渋ったが、もはや不正が暴かれた今、伯爵家に庇いきれる余地などない。何より、わたくし自身がその婚約を必要としていなかった。
「おまえなど、こちらが結婚してやろうと目をかけていたのに……今さら裏切るのか!」
エドワルド様は面会の場でわたくしに激昂した。けれども、もう遅い。彼にとっては遺憾だろうが、わたくしには決めるだけの理由があるのだ。
「申し訳ございません。もはやセズナック家のほうがあなたを支える意味を見出せません。今後はどうか、あなたがご自分の力で問題を解決されることをお祈りいたします」
わたくしは深々と礼をして、彼のもとを去った。
それから月日がたち、わたくしはマクシミリアン様の補佐として新しい仕事に就いた。王国の財政や税制改革を進める要職だ。あくまで侯爵家の名を借りる形ではあるが、わたくしの実務能力を正式に評価していただき、そこで活躍することが許されたのだ。
「さっそくですが、こちらが今年度予算の各費目の報告書です。まず、文化支援費をもう少し抑える代わりに学術研究を優先したいのですが、いかがでしょう?」
わたくしが説明を始めると、マクシミリアン様は熱心に耳を傾けてくださる。
「いい考えだね。芸術は大切だが、国全体の基盤を強化するなら学術分野への投資がより効果的だろう。……しかし、本当にきみは数字の扱いがうまいね。まるで水を得た魚のようだ」
「ありがとうございます。父から叩き込まれましたので……もっとも、最初はこんな大きな仕事ができるとは思ってもみませんでしたけれど」
政略結婚という形で無駄に振り回されていたころは、予算の調整と言えばエドワルド様の無茶な浪費をどう誤魔化すかばかりが頭の痛みの種だった。それが今は国を豊かにするための合理的な使い方を追求できる。なんと充実したことだろう。
するとマクシミリアン様は、静かに微笑みながら言った。
「正しいお金の使い方を示せる人こそ、王国が必要としている人物だ。だからこそ、わたしはきみをここへ招いたんだよ」
その言葉を聞いて、わたくしの胸に再び誇りが満ちてくるのを感じる。
一方、エドワルド様は……というと、相変わらず多くの人に責められていると聞く。何を今さら取り繕っても、もはや人心は戻らないのだろう。古い名家に泥を塗った形にもなり、彼への信用は地に落ちた。
噂好きの貴婦人たちが語るところによれば、彼は「人を見る目がなかった」と嘆いているそうだ。以前はわたくしの倹約ぶりを笑っていたくせに、最後の最後でわたくしを当てにするような態度を見せていたらしい。だが、わたくしはもう傍にいない。
……けれど、後悔されても困る。わたくしが示した道筋を踏みにじったのは彼自身なのだから。いまさら手を伸ばされても、戻りはしない。
父とわたくしは、あの日以来、親子としても一層固い絆で結ばれた気がする。
「おまえの判断は間違っていなかった。アリーセント家とのつながりにこだわる必要はもうない。わがセズナック家はわたしの代からの方針どおり、堅実に商人の誇りをもって生きていこう」
「ええ、もちろんです。わたくしも、そのつもりでございますよ」
わたくしが応じると、父は嬉しそうに目を細めた。
わたくしは今、新たに得た立場の中で自分の能力を存分に発揮している。マクシミリアン様の補佐として、王国のさまざまな国政に携わり、正しいお金の使い方を提案すること、それこそがわたくしの新しい使命となったのだ。
もともと商家出身で培った倹約と損得の目利きは、貴族たちに「貧乏くさい」などと下に見られることもあったが、今ではむしろ大きな武器となり得ると証明されつつある。無駄を省き、必要なところに投資をする──その当たり前のことが、わたくし自身を高みへと導いてくれる。
「まだまだやるべきことは山積みですね。けれど、その分やりがいがありますわ」
前を見据えてそう呟くと、わたくしの胸には不思議と明るい未来が描かれた。遠い昔、エドワルド様の婚約者として影で浪費を糊塗していた自分は、もうどこにもいない。
わたくしの選んだ道は間違っていないと、そう思う。
父から受け継いだ誇りを胸に、今日も王国の財政を支えるべく、わたくしは数字と向き合う。どんなに地味に映ろうとも、それは世界を動かす大きな力になると信じているから。
「ヴィオラ、次の議題は王城の改修予算案だ。いっしょに対策を考えてくれないか?」
「はい、マクシミリアン様。お任せください」
晴れやかな気持ちで、わたくしは自分の本来の役割を全うし続ける。
そう、正しい金のやりくりさえできれば、未来は広がっていくのだ。
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