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ただの子爵令嬢

作者: 赤戸まと

 


 輝かしい学園生活が待っていると思っていた。


 辺境の子爵領から出てきた私にとって、華やかな王都の何もかもが新鮮で、希望に満ち溢れていた。

 王国中の貴族子息令嬢が必ず通う学園。その一員になれたんだ、と。


 初めてのクラスメイトには、華々しい方たちが揃っていた。

 この国の第二王子殿下。優秀と名高く、近寄ることさえ憚られるような威圧感。いつもクラスの先頭で私達を引っ張っていた。

 一度だけすれ違ったとき、ドキドキしながら頭を下げたが、殿下は全く反応することなく通り過ぎていった。


 その殿下の婚約者の公爵令嬢は、女生徒の憧れ。凛として気高く、その美しさにいつも圧倒された。

 少しとっつきにくそうな雲の上の存在だと思っていたが、殿下が通り過ぎたあと、苦笑しながら私に微笑みかけてくださったことは忘れられない思い出だ。


 宰相子息であり、殿下の側近候補の侯爵令息は、殿下と並び成績トップ。将来有望な騎士だと目される、騎士団長のご子息も同じクラスだ。

 お二方とも見目麗しく人気者で、話題に上がる頻度も高い。


 ふわふわのピンクブロンドに愛らしい大きな瞳、ぷるんとしたさくらんぼの唇の男爵令嬢。

 私と違って物怖じせず、あの華々しい方たちにいつも話しかけている。


 彼ら、彼女らがいつもクラスの中心。放課後でも週末のお茶会でも彼らの話題で持ちきりだ。きっと、卒業しても強烈な印象を残した彼らのことをいつも思い出すだろう。私も、クラスのみんなも。


 そして、ただの子爵令嬢の私のことなどは、卒業してひと月もすれば顔も、名前すら忘れ去られるのだ。

 王都の学園で過ごした三年間は、そんな地味で目立たない平凡な三年間だった。



 ***



 ――ひとつだけ、私にも心に残る思い出があった。

 本好きの私は、図書委員としていつも図書室で過ごしていた。


 放課後は皆社交に勤しんでいるので、図書室にはほとんど人が来ない。私は受付で本を読みながらゆったり過ごしていた。ある時、クラスメイトの一人がやってきた。


「週末の課題で、南部の特産品を調べたいんだ。良い本はあるかな?」


 声を聞いただけでわかった。シェルドン・ノーク伯爵令息だ。

 涼やかな銀髪と落ち着いた物腰の方で、穏やかな空気を纏っている。

 クラスの、あの華やかな人たちに気疲れを感じていた私にとっての癒やしだと勝手に思い込んで、いつも彼を眺めていた。そして、いつの間にか好きになっていた。


 顔中に血液が集まるのを感じて、顔を上げることができなかった。クラスでいつも目で追っていた相手が、こんな近くにやってくるとは思わなかったんだ。ドキドキ鳴る鼓動を抑えつけるように、つい早口になってしまう。


「そ、そうで、すね。領土の特色を調べるなら六番の棚の、ええと、北から順に揃ってますので、し……下の方の段に」

 言いながら、頭の中では(会話できた! 会話できた!)でいっぱいになっていた。


 そう。会話すら初めてで、もしかしたら私のことを知ってすらいないかも……なんて思った。


「おや、君は――同じクラスのレミーナ・ファーコート子爵令嬢だね」

(名前呼ばれた! 名前呼ばれた!)で頭の中がいっぱいになった。


「同じ課題が出ていただろう、終わったのかい? もしまだだったなら一緒にどうだろうか?」


 それから週末まで、幸せで震え上がった日々を送った。ただ放課後の図書室で、二人で調べ物をしていただけだったけど。三年間の中で最も印象に残っている。

 やがてレポートが完成して、課題を提出したらお礼を言い合って、そこで二人きりの勉強会の日々は終了した。


 彼が図書室に通ったのは実質、一週間くらいだった。

 あの、どきどきしっぱなしの一週間は私の学園生活のたった一つの宝物だ。

 だけど彼にとっては、三年間の学園生活のうちの、なんてことないほんのひと時の出来事。私のことなど、この日々のことなどすぐに忘れていくのだろう。

 風が、私の髪を乱しながら舞い上がっていった。頬の雫とともに。



 ***



 学園生活の三年間はあっという間に過ぎ去って、今日は学園最後のイベント、卒業パーティの日。学園の皆と過ごす最後の機会。

 子爵領から持ってきて、一度も着る機会のなかった唯一のドレス。初めて袖を通した。三年間の学園生活は確かに私を成長させたようで、少し窮屈だったけど、久しぶりのおしゃれにドキドキした。


 パーティでは、クラスの仲の良かった子と少し話した。あとは軽食をつまみながら三年間を振り返って感傷にふける。そんなふうにのんびりと皆の華やかなドレスや正装を眺めていたら、ダンスの曲が始まった。周りの男子生徒たちがパートナーに跪き、ダンスに誘って踊りだす。邪魔にならないように壁に下がろうと、振り返った。

 そして、鼓動が一瞬止まった。


 そこにいたのは、シェルドン・ノーク伯爵令息だった。

「おっと、君は――ああ。ファーコート子爵令嬢だ」

 名前を呼んでくれた。喜びながらも、ただの家名呼びだと気付いた。結局この卒業パーティまで、彼と関係を深めることはなかったんだ。


「あの時の課題は助かったよ。おかげでかなりいい点数をもらえたんだ」

 柔らかく微笑んだシェルドン様。覚えててくれたんだ。それだけで充分だ。最後の卒業パーティでお話しできて良かった。これでもう思い残すことはないわ。

 ダンスの一曲目が終わったようで、会話もこれで最後かな、なんて考えていたら。

 二曲目が始まると同時に、シェルドン様が、私の前で跪いたのだ。


「ファーコート子爵令嬢。もし相手がいないようなら、私と踊ってくれるだろうか」


 嬉しくて、涙が零れそうになった。

 周りを見渡してみても、他に令嬢はいない。みんなあの輝かしい人たちに夢中だ。私でいいのだろうか? 恐る恐る、シェルドン様の手を取った。


「よ、よろしくお願いします」


 彼はホッとしたように笑った。

 そしてゆっくり私をリードしてくれて、ダンスを踊った。

 授業で習った、なんとか合格点をもらった初歩のステップを繰り返すだけの拙いダンス。

 緊張して、何が起こっているのかよくわからない。ただ、シェルドン様の足を踏まないように必死だった。

 彼の手の温かさと、息遣い。薄っすらと香るのは整髪料、かな。うまく踊れているかどうかもわからないまま、幸せな時間は、夢心地のまま曲とともに終わった。


 これで、終わり……?

 いや、だめだ、なにか言わなきゃ! 私は勇気を出して、言葉を絞り出そうとした、そのとき。


「皆、聞いてくれ!」


 少し棘を含んだ第二王子殿下の声が、会場中に響きわたった。


 まただ。

 私のちっぽけな幸せが、思い出が、あの華やかな人たちに塗り替えられていく。

 卒業パーティの会場でのすべての出来事は色褪せていき、殿下を中心にした彼らの言動が、記憶にねじ込んでくる。

 婚約破棄、断罪など、物騒な言葉が漏れ聞こえてきて、先程までの幸せなダンスに侵食してくる。

 強烈な印象となって、学園生活最後の出来事として、会場中の卒業生の記憶に刻まれていく。

 そうしてシェルドン様も、クラスの皆も、ただの子爵令嬢の私のことなんか忘れていくのだろう――。


 大きな手のひらが、そっと私の耳を包んだ。

「こういう雰囲気は好きじゃないな。こっそり抜け出そう」


 大好きな声が、大切な記憶を守るように、ギラギラした会場から連れ出してくれた。


 会場の喧騒が聞こえなくなるほど離れた時、シェルドン様はふと我に返ったように頭を抱えた。

「あー、君もああいうのが好きじゃないだろうと思ったんだが、迷惑じゃなかっただろうか。君とのダンスが楽しくて、君にも忘れてほしくなくて、つい思わず連れ出してしまったんだ」


 照れたように頭をかいて、クールなシェルドン様がはにかんだ表情を初めて見せてくれた。


 守ってくれたんだ。大切な記憶を。心から嬉しくなって笑顔が止められなくなった。

「嬉しかったの。ありがとう、シェルドン様」


 シェルドン様は少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに破顔した。

 彼の驚いた表情で気付いた。私、今何を言った? シェルドン様を名前呼び! しかも馴れ馴れしい口調で!

 恥ずかしい! はしたない令嬢だと思われてしまう!


 そっとシェルドン様の顔を窺うと、彼はパチリ、とウィンクした。

「こちらこそ。ありがとうレミーナ嬢」


 恥ずかしい気持ちが吹っ飛んだ。シェルドン様と私は顔を見合わせてくすくす笑い合った。


「いやー楽しい。もっと早くレミーナ嬢と話すればよかったな。今日が卒業でもったいないよ」

「あ、あの! でしたら!」

 なけなしの勇気を振り絞って言った。



 ***



 私は、幸せな記憶いっぱいで、子爵領への帰途についた。

 なにかギラギラした記憶もあったような気がするけど、次第に忘れていくだろう。

 華やかな王都の学園生活は終わって、私には合わなかったなって気付いた。辺境のファーコート子爵領でゆったり暮らすのがいちばんだ。


 シェルドン様とは、あれから手紙のやり取りを始めた。

 これからはドキドキしながら、彼の手紙の返事を待つ日々になるのだろうか。

 あの時図書室で二人で調べた、南部の特産品にも興味深いものがたくさんあって、一緒に行ってみようと約束もした。

 シェルドン様のノーク伯爵領も長閑な良いところらしい。子爵領からそう遠くもないので、会いに行くことも難しくない。これから、ゆっくり交流していければいいな、と思った。



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