フラグをへし折るクラッシャー
五歳の時に高熱にうなされ前世を思い出した私。この世界がザマァ系異世界小説の中だと気がついた。その小説の中で私はズルいが口癖の妹に搾取される悪役令嬢かつ最後に隣国の王子に見そめられ、妹や妹を優先し続けた家族にザマァする正ヒロインの立場であった。
朦朧とする意識の中『ドアマット期が面倒だな』だとか『この正ヒロインってめちゃくちゃ努力家で才能の塊系女子だよね、面倒だな』だとか『隣国の王子の熱烈なアピールに気がつかない鈍感系女子だよね、面倒だな』だとか『うーん、面倒だな』だとか、そんなことを考えていた。
熱が下がった私はまず現状を確認することにした。私は五歳。鏡を見る。うん既に美しい。小説の私は自分の美しさに気がついておらず妹は美しいのに私は…なんて言っていた気がする。目おかしいんか?どう考えても私、美しいやろがい。
ズルい系妹はまだ一歳。ポテポテ歩いては尻もちをつき「あーうー」と言っている可愛い子である。
両親といえば宰相でバリバリ働く父とツンと澄ました母。仕事ばかりで家庭を顧みない父と、実の娘でありながら厳しかった義母と目の色が同じであった長女の私を嫌悪する母、というのが小説の設定。それなりの力を持つ家だから国王に求められこの国の王子の婚約者となった私だったが、母と王妃の仲が良かったため王妃からの印象も悪く、家族にも婚約者にも冷遇され…というストーリーだった気がする。
と前世の記憶にある小説の内容を思い出していたら私の部屋のドアが開けられた。そこに立っていたのは母で、なんと足で扉を押し蹴りながら入ってきた。そして自らのお尻を使って扉を閉める。両手でトレーを持っているから仕方がないのかもしれないが高貴な婦人のやることではない。前世の母も足で扉を開け閉めしていたっけ。とんだ母ちゃんだ。
「たくさん汗をかいたでしょう。体を拭いてあげるわ。水分も取りなさいね。お塩とお砂糖を入れてあるの。ゆっくり全部飲むのよ。ああそれからシーツも交換しましょう。そうね、何か食べられそうかしら。やわらかいものがいいわね。胃に優しい温かいものを後で運ばせるわ。食べることができれば回復は早いわよ。鼻は…出てないようね。うなされていたけれど怖い夢でもみたのかしら。咳は?痰は?寒気は?」
なんとも情報量が多い。前世の母もやたらと水分を飲ませようとしていたっけ。とんだ母ちゃんだ。前世の記憶を思い出した混乱と熱が下がった後のだるさからか、五歳なりに母親に甘えたい欲がでてきてなんだか泣けてきた。うりゅりゅと目に涙を溜めた私を母はギュッと抱きしめる。
「頑張ったわね」
そう言って私を安心させてくれる母の心臓はドキドキしていた。普通の五歳児には気が付かないだろうけれど、前世を思い出した私には分かる。母も怖かったのだ。私の熱がこのまま下がらなければどうしようとオロオロして、しかしそれを子供に悟られないよう気丈に振る舞っていたのだろう。
『小説の母親と随分違うな…。ツンはどこいった?まだ幼児だから?妹がまだズルいって言ってないから?小説では何歳から冷遇され始めたのか知らないけれど今は愛されている。ああ〜世界は変わっても母親にギュッってされるとなんでこんなに安心するんだろう。そういえば前世ではずっとお母さんと一緒にいたいって約束したな…』
すっかり満たされた私はなんだか元気が湧いてきた。今のうちに親の状況も確認しておこう。
「お母様、お父様はどんなお仕事をしているの?」
「貴女のお父様はこの国の宰相というとっても素晴らしいお仕事をしているのよ」
小説のとおりである。やはり私は冷遇ルート…。まだ愛のあるうちに聞きにくいことも聞いておいた方が良さそうだ。
「あの、お祖母様って…」
「ああ、この家のお祖母様のこと?長い旅に出ていらっしゃるのよ」
長い旅…まさか…お空の上に?
「たまに葉書も届くのよ。今度見せてあげましょうね。ふふ、貴女のお祖母様はね、人生を謳歌されているわ」
良かった、生きてた。
「私はお祖母様に似ているの?」
「そうねぇ…目の色は似ているかしら?耳は私。ふくふくした耳たぶが、ほら私と一緒でしょう?鼻と口は貴女のお父様。女の子は父親に似るなんていうけれど、爪の形は私似だと思うの」
『耳たぶに爪の形…必死か』
母が義母である祖母を嫌っているかどうかは今いち分からなかったが、自分に似ている部分があると主張する母からは私への愛が感じられた。家族からの愛があるならドアマット期が無くなるよう手の打ちようがあるかもしれない。
「私って婚約者とかは…」
「あらまぁ、おませさんだこと。まだ早くってよ」
おや、まだこの国の王子とは婚約していないようだ。小説では何歳で婚約したのか分からないが、できれば婚約自体も回避したいところだ。
『あとは妹がズルいって言い出したら一気にフラグが立つのかしらね』
可愛い妹には悪いが、そのフラグはへし折らせていただきたい。
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妹のズルいは案外早く出てきた。私七歳、妹三歳、まだ幼児体型だがそれなりに口ごたえも立派になる年頃。私の新しい髪飾りを目ざとく見つけた妹は大きな声で叫び縋ってきた。
「お姉様ズルい!」
その言葉を聞いた瞬間、反射的に妹をドンッと押してしまった。妹は尻もちをつき大きな声で泣き喚いた。すぐさま母がやってくる。これは姉である私が怒られるやつだ。これを境に冷遇か…!と思いつつ、うまい言い訳が思い付かず無言で固まる私と泣き叫ぶ妹の間に母が入った。
「どういう状況か説明をしてちょうだい」
「あのね、お姉様が、ドンって、私を押したの!」
「そう。痛いの?」
「うん!痛いの!」
「そう。貴女は本当に妹を押したの?」
私を見る母に、血の気が引いた私は頷くのが精一杯だった。
「押したのはよくないと思うわ」
私の目を見てそう言った母に私は小さい声でごめんなさいと謝った。
「どうして押したの?」
私に目線の高さを合わせて母が聞く。
「…」
「ゆっくりでいいから教えてちょうだい」
「…新しい髪飾りがズルいって…取られると思って…」
「そう。それは本当のこと?」
今度は妹に視線を向ける。妹は泣きながら母に縋った。
「だって、だってズルいもん!私だって欲しいもん!」
「あら、貴女にも買ってあげたでしょう?」
「違うもん!お姉様が着けてるやつがいいもん!」
「自分たちで選んだのでしょう?」
「でも…だって…ズルい!私はどっちも欲しいの!」
「そう。欲しかったのね」
ああ、このあと母に「お姉ちゃんなんだから譲ってあげなさい」と言われて味をしめた妹にどんどん物を取られていくのね…と俯いたその時、母が立ち上がって言った。
「はい!それはそれ!」
え?ここでまさかの前世の母の常套句、よそはよそ、うちはうち、これはこれ、それはそれが出るとは。とんだ母ちゃんだ。
「欲しかったのは分かる。分かるけれどこれは貴女のものではない。人のものを取ろうとしてはいけないわ」
妹に向かってキッパリそう言う母に妹はごめんなさいと小さく呟いた。
「貴女も。こういう時は嫌だって言ってもいいのよ。さっきも言ったけど急に押したのはよくなかったわ」
私も小さく母に謝る。
「貴女たちが謝る人は私ではないわ」
母の言葉に私と妹はお互いにごめんねと言い合った。
「押してごめんね。今度、貸してあげるね」
「お姉様が着けてるのが素敵で欲しいと思っちゃったの。ごめんなさい」
こんな調子でなぜか母が妹のズルいフラグを全てへし折り両方に寄り添ってくれた結果、いつのまにか妹のズルいズルいも治っていった。
『そうよね。小さい頃は誰だってズルいってなるものよね。なぜか子供の頃って人が持っている物が魅力的に見えちゃうものね。妹が特別ズルいっ子だったわけじゃなかったのよ。良かった。これで家族からの冷遇は無さそうだわ』
そうなると次の問題は婚約者である。小説ではこの国の王子と婚約したものの、優秀な正ヒロインに嫉妬した王子に嫌われ冷遇されるはず。
「お父様、私の婚約者はお決めにならないのですか」
ある日私は父にそう聞いてみた。小説の中の父はほとんど家に帰っていなかったようだが、現世の父は基本的に私たちが起きているうちに帰宅しているし、休みの日は家族と一緒に過ごしている。私たちが大切にしている姉妹の髪飾りを買ってくれたのも父だ。
「実はこの国の王子との婚約を打診されたんだが断ったのだよ」
『!?』
私は絶句した。王家からの打診をそう簡単に断れるものなのか。不思議に思っていると父は少し恥ずかしそうに事の詳細を話してくれた。
「実はな、私はお前と王子との婚約に乗り気だったんだが妻が…お前の母に諭されてな。断ったのだ。お前がデビュタントを迎える歳になったら婚約者を決めようと思っている。立場上、誰でもいいとは言えないが選べる範囲でお前を大切にしてくれる人を選定しよう」
「それはありがたいですが…そんな大きくなってからでも良いのですか?同世代の人たちはすでに婚約者がいるのでは…」
「ふむ。私たちの世代ではそうだったが今は違うぞ。幼い頃から本人の意思を全く無視した婚約は時代遅れとされている。今はだいたいデビュタントに合わせて婚約者を決める家が多いのだよ。まぁ、その風潮を作ったのはお前の母とそれに感化された王妃様なんだが。そんな風潮の中で国王から王子との婚約を打診されたのだ。王妃様からの圧を受けた国王から、断ってくれても良いというお言葉を頂戴したので断った次第だ」
またもや母がフラグをへし折っていたらしい。私としては好都合だが、小説の内容と母の言動に明らかに乖離があった。唖然とする私を見て納得できていないと思ったのか父が気まずそうに話す。
「もしかしてお前は王子と婚約したかったのか?しかしこう言ってはなんだがお前は勉強も語学も人並み…いやもちろん貴族としては優秀だとは思うが次期王妃となるような器は…いや言い方がよくないな。妻には言うなよ?とにかく王宮で神経を擦り減らす生活には向いていないと思ったのだが…」
ええ、ええ。言いたいことはわかります。小説の内容と乖離があるのは私もでしたね。小説の中の私は自分の価値を見出すため、親に愛されるために血反吐を吐く勢いで勉強をしていた。優秀どころの騒ぎじゃなく神童レベルでしたもんね。そしてとんでもなく心が清らかで純粋で人を思いやる聖人で他人の悪意を赦してしまえる、それが小説内の私であったはず。
それがどうだろう。もちろん今後家の跡を継いでもどこかに嫁いでもやっていける程度の勉強はしているし妹と共に優秀な姉妹だと言われているが、それだけである。基本的に仲はいいが妹とケンカした時は我慢せず容赦なくやり合って妹のツインテールを引っこ抜こうとして母に止められたこともあるし(妹も私のポニーテールを引っこ抜いて庭に埋めると叫んで母に止められていた)、私や家族に嫌な態度をとった人には妹と一緒に「あの人の頭に鳥のフンが落ちてきますように」だとか「あの人、きっとお手洗いに行きたくてイライラしていたのよ」「そうに違いないわ。きっとお尻にウンチを挟んだ状態だったのよ」「あらまぁ。水分量が多いことを祈りましょう」などと、ガッツリ悪意のある言葉を言っていた。
「お父様。そのとおりです。私には王子様の婚約者は荷が重いですわ」
無論、隣国の王子の婚約者も然り。
「妻の言ったとおりだな。実を言うと私の祖父、お前からすると曽祖父にあたる人がそれはそれは厳しい人でな。嫁にあたる私の母、お前の祖母に対して息子を産んで宰相に、娘を産んで王妃にと無理難題を突きつけていたんだ。母は私を宰相にするためにそれはそれは鬼のように私に勉強を強いたし私はそれが当たり前だと思っていた。結局母は娘を産めず、義父に詰られた母は自分には出来なかったが息子である私たち夫婦に娘を産ませ王妃にさせると義父と約束したのだよ。祖父が亡くなってからも母はそれを成し遂げなければならないと取り憑かれたように言っていたんだが…妻がそれを変えたのだよ」
「変えた、とは?」
「結婚後、必ず娘を産み王妃にしなければいけませんと妻に言い放った母に対して、妻は言ったのだ。『なぜ?』と。母は先代から約束であることや自分もそうやって息子を宰相にしたことを説明したが妻は『なぜ私やお義母様がそれを強いられなければならないのですか』と。そうして母の手を取って『お義母様、子を産んだ時を思い出してください。一番願ったことは何でしたか?赤子が宰相になることでしたか?いいえ、この子が幸せになって欲しい、そう願ったのでは?なぜお義母様がお産みになった子の行く末を産んでもいない先代に決められなければならないのでしょうか』その時の母の表情はよく覚えている。何か憑き物が落ちたようなそんな顔をしていたよ。そしてその時に初めて気がついた。母の小柄さとシワのある手の頼りなさに。結婚する歳になっても私はまだ精神的に母に頼る子供だったのだと気付かされて恥ずかしかったのを覚えている」
「その後、お祖母様はどうされたのですか」
「自分に味方してくれなかった父を置いて気の合う使用人を連れて長い旅行に出かけたよ。便りも私や父にではなく妻に送っているようだ。母が気に入った各地の特産品を妻に送って、妻がその品を商人とやり取りして流通させ我が家の大きな収入になっている。きっと今では父より母の方がお金持ちだろうね」
「お母様によってお祖母様は解放されたのですね」
「そうだな。情けない話だが息子の私には何もできなかった。それに妻に救われたのは母だけではない。私もまた価値観を変えてもらったうちの一人なのだよ」
「それはどういう…?」
「私は親を見て育ったから宰相になるべくしてなったという考えであったし、家庭のことなど二の次だと思っていた。しかしそれにも妻は疑問を呈したのだ」
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「結婚してすぐにこのようなことを言ってすまないが私は国のため仕事に集中したいのだ。長く家に帰らない時期もあると思う。家のことは全て君に任せるよ」
「貴方の仕事は民のためになる素晴らしい仕事ですものね。でもちょっと待ってくださる?それはそれ、これはこれだと思いますの」
「…というと?」
「貴方が仕事をする一番の目的は何ですか?この国を良くすることではなくて?」
「ああ、その通りだ。だからこそ私は仕事に全力で打ち込みたいのだ」
「それは素晴らしい心掛けだと思いますわ。貴方は国を良くしたい、そしてその能力をお持ちになっている。それは国に活かされるべきだわ。もちろんそれは貴方が引退なさっても尚、良い状態であって欲しいのよね?」
「もちろんだ。そのために多くの施策を」
「そこですの。世の状況は常に変化するもの。私たちの時代に合った施策は貴方が引退されてからもずっと効力を持ち続けるとは限らない。むしろ貴方のような優秀で人の何倍も仕事が出来る人が抜けてしまうとしばらく混乱が生じるのではなくて?よく考えてくださいまし。後世の人々が貴方に求めているものは何だと思いますか?」
「…人材、そして人が抜けても機能するような仕組み、またその監視体制…」
「そうです。もちろん常に貴方の周りには後継となる優秀な人たちがいるのでしょうけれど、その人たちを含めて貴方たちが国の犠牲になるようなことをしてはいけないと思いますの」
「私たちが国の犠牲…?」
「あら、違いますか?その素晴らしい能力を国のためというやりがいの元、役職という責任を負わされ家庭や生活を蔑ろにしておられる。貴方たちがそのお役目から解放された時、蔑ろにされた家族は貴方をどう思うでしょうか。構って欲しい時に構ってもらえなかった子供たちは老いた貴方に優しくしてくれるかしら?今は若いから睡眠や食事を疎かにしたところで元気でいられますが年を取ったら?」
「…」
「私は嫌ですわ。仕事ができていくら国のためになっていようと私や家族を大切にしてくれない人のことを大切にしたいと思えるほど心が広くありませんの」
「しかし何かを犠牲にしなければなし得ないこともあるのは事実で」
「もちろん無理をしなければならない時もあるでしょう。ですがその時間を期間を短くできるよう人材を育成し仕事を分散し貴方の下で働く人たちが生活と仕事を両立できるようにしないといけないと申しているのです。名誉だけで頑張る時代はいつか終わりますわ。そうなる前に職場環境を見直し整えるのです。高い地位におられる貴方様が率先して生活や家庭で役立つ時間も必要だと宣言するのです。さて、ここで貴方はどちらを選びますか?
いち、少数精鋭の仲間と国のために尽くし今の世の人々に感謝されるが妻と子に疎まれ孤独な老後を過ごす。
に、人員確保や育成による予算の増加や仕事分散による組織の変化に反対する方々に対して将来を見据えた効果を説き、意見を交換し、体制が整った暁には率先して仕事と家庭を両立し多くの仲間と国のために尽くし将来の世の人々に感謝され、妻に愛され子に懐かれ健康で幸せな老後を私と過ごす」
「…に、でお願いします…」
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なんということだろう。私が産まれる前から母がフラグをへし折っていたとは…。とんだフラグクラッシャーだ。
そういえば前世の母も自分の着替えひとつ用意できない義父に疑問を持ち義母の味方をしていたな。たまには義母も家から解放されるべきだと言って私たち姉妹を連れて母と祖母の四人で旅行に出かけたっけ。職場環境が悪く病みそうだった父に転職を促していたし、家事も子育ても充分にできた父に対して転職が無理でも私が稼ぐから大丈夫!と励ましていたっけ。
現世のお母様は…もしかして…
「お前たちが産まれた時は私も妻もそれはそれは嬉しかった。妻に言われて赤子のお世話を勉強し乳母に任せきりにすることなく出来る限り私たちの手で育てようと頑張った。妻は子育てには目がいくつあっても足りないと言って乳母も複数人雇い、みんなでみんなの子を育て悩みを共有した。もちろん私は仕事があったからずっと一緒にはいられなかったがせめてお前たちが寝る前には帰り休みの日はお前たちと過ごすというのが夫婦の約束だった。妻はこう言っていたよ。世界が変わろうとも私たちの愛は変わらない、前世からの約束だ、と」
父の話を聞いた私はおぼつかない足取りで母の元へ向かった。午後の来客に備えて支度をしているはずだ。そっと扉を開けると鏡の前でメイドと何やら深刻な顔をして話している。その顔を見て、やっぱり私の勘違いかもしれないと思い直し引き返そうと思ったら会話が聞こえてきた。
「ねぇ、私は恐ろしいことに気がついてしまったの。最近目の下の隈に悩んでいたでしょう」
「ええ、きっと寝不足だわと仰っていましたね。私自身も目の下の隈が気になっていたのでよく覚えておりますわ」
「あなたとは同年代だものね。なかなか消えなくておかしいなと思っていたの。これ…隈じゃないのよ」
「どういうことですか奥様…!」
「これ…目の下のたるみなのよ…!」
「ああ…!なんと恐ろしい…!」
「どうりで取れないわけよね。たるみは下がることはあっても上がることはないわ…」
「ひぃぃぃ!なんと無慈悲な…!そのような恐ろしい現実、知りたくなかったですわ!」
「実るほど頭を垂れる稲穂かな、よ」
「奥様なんですかその呪文は」
「ふふ、年を重ねるほど皮膚の全ては地面へ向かう…そんな意味よ。皮膚の五体投地…もう戻れない…抗えない時の流れに私は気がついてしまったの…」
「ああああ…!なんという現実!奥様これ以上はやめてくださいまし!」
「安心なさい。シミが出ようともお肌が垂れようとも幾つになっても私たちは美しい。前を向いて進むのよ」
「ああっ!奥様っ!ついていきます!」
…とんだ母ちゃんだ。前世の母の得意技、過ぎる解釈を目の当たりにして私は確信した。
「母ちゃん…」
そう呟いた私にハッとした顔で母が振り向く。
「今、母ちゃんと言った?…貴女、まさか…記憶が?」
慌てて私に駆け寄って目線を合わせてくれる。私はこくんと頷くと母は私を強く抱きしめた。
「ああ、ごめんなさい。貴女が小さい頃に交わした、ずっと一緒にいるという約束を死んでなお忘れられず…。貴女たちを巻き込んでしまったわ。貴女は望んでいなかったのに…」
「いいえ、いいえ。私はまた母ちゃん、いえお母様の子供に生まれることができて嬉しい。私も望んでいたの」
「本当なの?ああ嬉しい!貴女、怪我をしたわけでもないのに腕に包帯を巻いて来世はここに第三の目があるはずだとか言っていたから何かそういうものに転生したいのだと思っていたの」
「ぐぅッ…!黒歴史…!しかも前世の…!」
「どこにいてもどんな世界にいても私は貴女の味方よ。いつか貴女は私の手から離れていくし来世のことは分からないけれど、この世界で貴女を産んでまた同じ気持ちになったわ。ただ愛してる。どんな貴女も愛しているわ」
泣きながら抱き合う私たちの声を聞いて妹が駆けてきた。
「お姉様!お母様!ズルいですわ!私も入れてくださいまし!」
そうして親子3人でギュウギュウして幸せを噛み締めた。
確かにこの世界は前世で見た小説の中なのかもしれない。けれどきっと私はドアマットにはならないし妹もザマァされたりなんかしない。
だってフラグをへし折る愛すべきクラッシャーが、私たちの一番の味方なのだから。