お別れの夜8
かたや栗原村の住民たちにも、それなりの言い分があった。
村は路線バスが通っていない。さらに長期間、住人たちは足として引込み線を使ってきた。自家用車どころか、だれもが運転免許証すら持っていない。引込み線が廃止されれば、村は陸の孤島となり、生活そのものが非常に不便になってしまうのだ。
「うちら、病気にもなれんわ」
「村んもんのこつ、なんも考えておらんのや」
「そんとおりやで」
おツネさんが何度もあいづちをうつ。
「弥助さん、元作が言うてたんやがな。バスにしたって、ひでえ赤字になるらしい。それで走らせねえんだとよ」
冬次郎さんが教えた。
「金が出よったとき、どんだけヤツら、うめえ汁を吸うたかしれんのに」
口からカマボコのくずを飛ばしながら、弥助さんは過去のことを引き合いに出した。
鉱山の最盛期。
そこで働く労働者は千人を超えていた。そしてその大半の者が、ドングリ号を使い豊後森あたりの町から通っていた。
こうした労働者相手に……。
鉄道会社は駅前に総合施設を建設して、食堂、衣料品店、食料品店など、数多くの店を入居させた。そしてそれらはそれなりに繁盛し、少なくない利益をあげていたのだが、鉱山の閉山と同時にいち早く手を引いたのだった。
このとき多くの者が村から流出し、鉱山開業時に設置された駐在所までもが廃止された。ちなみに新設されたときの駐在員がお夏さんの亭主で、廃止時の駐在員がゴンちゃんである。
鉱山の閉山後。
栗原村は急速に過疎化が進み、百人近くいた村人は年を経るごとに減り続け、現在ではわずか二十人にも満たない。それも老人ばかりとなった。