お別れの夜6
おスミさんがステージにもどると、それを待っていたように鶴じいがマイクを手渡した。
「オメエしか歌うもんがおらんのじゃ。ほれ、早よう歌え」
「まかしちょき」
おスミさんがさっそくカラオケをセットする。
炭坑節のイントロが流れ始めるやいなや、鶴じいは両手をパッと頭上にかまえた。それからおスミさんの歌声に合わせ、曲がった腰をクネクネと振り始めたのだった。
この鶴じい、歳は九十なかば。およそ四十五度に曲がった腰を振るさまは、なんともしなやかである。
「鶴じい、いいぞー」
やじを飛ばしたのはゴンちゃんである。
このゴンちゃん、村の者からは駐在さんとも呼ばれていた。これは以前、栗原村交番の駐在員だったことによる。
鉱山が閉山すると、そのとき同時に交番も閉鎖された。だがもともと独り者だったので、それからも村に住みつき、だれの世話になるでもなく一人のんびりと暮らしている。
そのゴンちゃん、さっきから一升ビンを片手に、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと、みんなに酒をついでまわっていた。
「おい、飲みよんか」
部屋の隅でしょんぼりしている新吉さんを見つけると、その前にドタリと座り込んだ。
「なあ、駐在さん。ドングリ号んヤツ、こわされちしまうんだってよ」
新吉さんがメガネをはずし、手の平で目のまわりをゴシゴシとこする。
「そんことなら、ワシも聞いた。今も元気に走りよんのにあんまりやのう」
「ドングリ号がむげねえで」
「今どき蒸気機関車なんち、どこも走るところがねえんだってな」
「元作さん、つれえやろうな」
「じゃろうなあ。なんたち長げえこと、ドングリ号の運転をしてきたからな。一杯、ついでやらにゃ」
ゴンちゃんは首をぐるりとまわし、元作さんを見つけると一升ビンを手に、新吉さんの元から離れていった。
一人になった新吉さんは、ふたたびチビチビと酒を口に運び始めた。
この新吉さん、歳は六十になったばかりで、村ではもっとも若い。そして栗原村の多くの者が鉱山で働いたなか、新吉さんは親から受け継いだ田畑を耕し、細々と農業を続けてきたのだった。
―栗原村住人たちの紹介―
元作さん……十七歳のとき、栗原村に来て鉄道会社に就職。以来一筋、蒸気機関車ドングリ号に乗る。
お夏さん……亡き夫が村の駐在所の駐在員であったことから、住人たちに頼りにされている。
新吉さん……村では一番若く六十歳。元作さんとともに日ごろから村の世話をする。
綾乃さん……東京生まれの東京育ち。夫が栗原村出身であり、夫の死後も村で暮らしを続ける。
徳治さん……頭はボケているが、体はいたって元気である。トキと夫婦。
トキさん……徳治の妻。認知症の徳治の世話に追われている。
吉蔵さん……病気で倒れた妻、タマの介護を自宅でしている。おスミさんは実の姉にあたる。
タマさん……吉蔵さんの妻。脳梗塞で倒れて以来、体半分の自由を失う。
菊さん……夫を鉱山の落盤事故で失って以来、女手ひとつで三人の子供を育てあげる。
スナばあ……九十七歳で村一番の高齢者。独り暮らしだが、いたって健康。
おスミさん……夫の戦死で嫁ぎ先から村にもどる。以来、再婚もせず村で暮らす。吉蔵さんの姉。
鶴じい……九十歳なかば。踊ることが趣味。息子が一人いたが戦死する。
ゴンちゃん………栗原村の最後の駐在員。栗原村が気に入り、そのままいついている。
弥助さん……鉱山が開業してからは農業をやめ、閉山するまで鉱山で働く。独り暮らし。
喜八さん……高齢のため足腰がめっぽう弱い。妻はミツさん。
ミツさん……喜八さんの妻。夫の体の具合をいつも心配している。
冬次郎さん……妻と死別し、子供が帰省しなくなってからアルコール依存症となる。
庄太郎さん……鉱山のダイナマイトの爆破事故で右手の手首から先を失う。
おツネさん……離婚して村にもどって以来、ずっと独り暮しをしている。