お別れの夜4
その吉蔵さんは部屋の中央で、菊さん、スナばあの二人となにやら話し込んでいる。
「なあ、吉蔵さんや。和子ちゃん、今年ん正月は帰っちくるん?」
菊さんが袋のスルメを取り出しながら聞く。
「わかんねえ。まだなんも言ってこんけんな」
「電話もねえんかえ?」
「ああ……」
飲みかけのビールの入ったコップを置くと、吉蔵さんはうつむいたまま続けた。
「たぶん帰っちこんのやろう」
「血を吐くほど苦労しち育てたに。ほんにどこも、親不孝もんばかりやなあ」
菊さんはぼやいてから、怒ったようにスルメにかみついた。
「菊ちゃんのところは帰っちこんのやな」
「そうなんよ。旅費がようきかかるちゅうてな」
腹だたしそうにしゃべる菊さんの口元で、スルメの足が左右上下にせわしく動く。
「あきらめりゃ、なあも気にならんけん」
スナばあが独り言のように言う。
「そうかもな。ところでスナばあんとこ、子は何人やったかのう?」
「四人や。けどな、どん顔も忘れちしもうたわ。ハハハ……」
スナばあはあっけらかんに笑った。
その小さな顔が、古新聞を丸めたようにしわくちゃになる。
このスナばあ。
栗原村の最高齢者で、あと三年ほどで百歳に届く。けれど頭はもちろん、目も耳もたしかで、足腰もしっかりしていた。
「竹ちゃん、ほら、ワシと同級のがおったやろう。大阪におるっち聞いちょったが、どうな、元気にしちょるやろうか?」
十年以上も会っていない幼なじみのことを、吉蔵さんがなつかしむようにたずねる。
「葬式に呼ばれんとこみると、たぶんまだ生きちょんのやろうて」
「そうなんや。けんど、便りのねえんは無事な証やっち、昔からそう言うけんな」
自分を納得させるように、吉蔵さんは何度となくうんうんとうなずいた。
「それにしたっち、電話の一本ぐらいよこしてん、バチはあたらんやろうに」
菊さんは未練がましく言ってから、吉蔵さんの顔をじっとのぞき込んだ。
―栗原村住人たちの紹介―
元作さん……十七歳のとき、栗原村に来て鉄道会社に就職。以来一筋、蒸気機関車ドングリ号に乗る。
お夏さん……亡き夫が村の駐在所の駐在員であったことから、住人たちに頼りにされている。
新吉さん……村では一番若く六十歳。元作さんとともに日ごろから村の世話をする。
綾乃さん……東京生まれの東京育ち。夫が栗原村出身であり、夫の死後も村で暮らしを続ける。
徳治さん……頭はボケているが、体はいたって元気である。トキと夫婦。
トキさん……徳治の妻。認知症の徳治の世話に追われている。
吉蔵さん……病気で倒れた妻、タマの介護を自宅でしている。おスミさんは実の姉にあたる。
タマさん……吉蔵さんの妻。脳梗塞で倒れて以来、体半分の自由を失う。
菊さん……夫を鉱山の落盤事故で失って以来、女手ひとつで三人の子供を育てあげる。
スナばあ……九十七歳で村一番の高齢者。独り暮らしだが、いたって健康。
おスミさん……夫の戦死で嫁ぎ先から村にもどる。以来、再婚もせず村で暮らす。吉蔵さんの姉。
鶴じい……九十歳なかば。踊ることが趣味。息子が一人いたが戦死する。
ゴンちゃん………栗原村の最後の駐在員。栗原村が気に入り、そのままいついている。
弥助さん……鉱山が開業してからは農業をやめ、閉山するまで鉱山で働く。独り暮らし。
喜八さん……高齢のため足腰がめっぽう弱い。妻はミツさん。
ミツさん……喜八さんの妻。夫の体の具合をいつも心配している。
冬次郎さん……妻と死別し、子供が帰省しなくなってからアルコール依存症となる。
庄太郎さん……鉱山のダイナマイトの爆破事故で右手の手首から先を失う。
おツネさん……離婚して村にもどって以来、ずっと独り暮しをしている。