生きてきた証9
「そういやあ、スナばあ。たしか海んあるところから嫁に来たんやったなあ」
「ああ、佐賀関村や」
「なんや、そうやったん。ウチはな、そん隣の臼杵ん町に嫁いどったんよ。相手ん家は、町でも三本の指に入る造り酒屋でな。……けんど、向こうのもんとどうしてんオリが合わんで、たった三年でもどっちきたんやがな」
「そうか、そげなことが……。ところでオメエ、もどっちきたとき赤子がおらんかったか?」
「あん子はな、相手ん家にとられちしもうたんや。やっと這い始めたころでな、まだウチん乳を欲しがっちょったのに……」
おツネさんの目がしらに、うっすらと涙が浮かぶ。
「オメエ、いやいや手ばなしたんやな。そりゃあ、どげんねえつらかったのう」
「ああ……。あん子は向こうの跡取りやったから、相手ん方も必死やったんよ。で、結局な。あん子ん将来のことも考えち、泣く泣く……」
おツネさんは息をひとつ吐いた。つらい過去を吐き出すように一気に大きく吐いた。
「五十年たつが、あん子はウチん中じゃ、いまだにあんときの赤子のまんまや」
「じゃあ、別れちから一度も会ってねえのか?」
「……」
おツネさんが小さくうなずく。
「会いてかったやろうに」
「忘れよう、忘れようち、ずっと自分に言い聞かせちきたんや。けどな、思い出さんかった日は一日だってねえ。どうしてん忘れられんのや」
うつむいたおツネさんの両目から、涙がポタポタとこぼれ落ちた。
手放したくなかった、わが子。しょうがなく別れたわが子を思い、これまでどれほどの涙を流してきたことか……。
「ウチなあ。あん子を手ばなしたん、ずっと悔やんで生きてきたんよ。あんとき、もっと死にもの狂いになれちょったら……。ううん、なんでそうならんかったんやろうかちな」
「そんときゃ、たぶんオメエも精一杯やったんや。そんで、そん子からも連絡がねえんやな?」
「ああ、いっぺんもねえ。おおかたウチから捨てられたち、そげえに思うちょるんやろうな」
おツネさんはハンカチで涙をふいてから、チーンとひとつ鼻水をかんだ。
もう泣いてはいない。
―栗原村住人たちの紹介―
スナばあ……九十七歳で村一番の高齢者。独り暮らしだが、いたって健康。
おツネさん……離婚して村にもどって以来、ずっと独り暮しをしている。




