お別れの夜3
玄関でトキさんが靴をぬいでいる。
トキさんは夫の徳治さんからの電話の呼び出しで、いったん自宅に帰っていたのだが、たった今しがた、宴会の続く公民館にもどってきたところだった。
「それで徳さん、どうでした?」
綾乃さんがそばに行って心配そうに聞いた。
「いつもんことで、たいしたことねえんやがな」
トキさんが小首をかしげる。
「では、なにか?」
「それがな、火の玉を見たって」
「火の玉をですか?」
「それもな、青い火の玉だってよ」
「ホタル、見たんじゃないですか?」
「秋やで。さすがにホタルはおらんやろう」
「そうですよね」
「あん人、頭がボケちょるんよ。それでな、早よう寝ろっち、おもいきり尻をたたいちやった」
小柄なトキさんは、おおげさにたたくマネをして笑った。
「そんなあ」
「なあに、気にすんことはねえんよ。だれにたたかれたんかも、ようわからんのやけんな」
「ここに電話をかけてくるぐらいやもん。それほどひどうないんじゃ?」
「それがな、都合んいいことだけは、なぜかようわかるんよ。そやけん、よけい始末が悪くてな」
「そうでしたか……」
「近ごろウチん顔を見ち、死んだカア様ん名前を呼ぶことがあるんや。おかしいやら情けねえやらで」
ここではじめて、トキさんの表情が曇った。
「トキさんもたいへんですね」
「まあな。それでん今んとこ、どうにかこうにかなっちょる。あん人ボケちょってん、体ん方はよう動くけん。それだけでんいいち思わんとな」
トキさんは思い直したように言うと、またいつもの笑顔にもどった。
「そういえば吉蔵さんも……。タマさんの介護、たいへんらしいですわ」
「そんようやなあ。タマさん、体の左半分がまったく動かんようやから」
二人はうなずき合ってから、吉蔵さんのいる方向に顔を向けた。