生きてきた証1
ドングリ号は走っていた。風を切り、星の光を浴びながら走り続けていた。
遠くの山々はゆるゆると流れ、近くの雑木林は飛ぶように去ってゆく。
ミツさんが窓の外に向けていた目を夫に移し、おもむろに口を開いた。
「なあ、あんた。あんときも夜行列車やったなあ」
そのわずかな言葉に、喜八さんがうれしそうにうなずく。
すべてを理解し、すぐさま反応したのだ。これぞまさしく、六十年あまりを連れ添ってきた夫婦の以心伝心という技であろう。
「朝は、もう大阪じゃった」
「楽しかったなあ」
「ああ。つれえこともあったが、楽しいことん方がようきあったけんな」
喜八さんはそっとミツさんの手をにぎった。
ミツさんもにぎり返す。
二人の会話。
それは六十年ほども前の日のこと。
当時のミツさんには、すでに親の決めた結婚相手がいた。そんなミツさんを喜八さんがかっさらうようにして、二人は大阪へとカケオチしたのである。
生活は楽ではなかった。
だから二人して必死に働いた。喜八さんは建設現場の日雇労働者として、ミツさんは経験のない美容院で働いた。
夢があり、希望があった。
青春があり、熱い恋があった。
苦難があり、つらい涙があった。
そこには未知の冒険の日々があったのだ。
それから四年がかりでミツさんの親をなんとか説き伏せ、喜八さんの生まれ故郷である栗原村に帰ってきた。
大阪で暮らした四年間。
このことは二人にとって、なにものにもかえがたい宝物であった。心の中で、今もなお輝き続けている宝石だった。
―栗原村住人たちの紹介―
喜八さん……高齢のため足腰がめっぽう弱い。妻はミツさん。
ミツさん……喜八さんの妻。夫の体の具合をいつも心配している。




