走れ! ドングリ号9
「そういえば、たしかおスミさんのご主人も戦死したって、そんなふうに聞いとりますが」
綾乃さんが思い出したように言った。
「そうなんよ。ネエさん、亭主とは死ぬほど好きおうち、いっしょになったんや。それが結婚してすぐ、亭主は南方にかり出されてな。そんうえ一年もたたんうちに戦死したんや」
吉蔵さんは姉を思いやるように、おスミさんのつらく悲しい過去を語った。
「お子さん、おらんかったんですか?」
「ああ、ひとりもな。子供でもおったら、ちっとはよかったんやろうが……。ネエさん、村にもどってしばらくん間、泣いてばかりやった」
「あの陽気なおスミさんがねえ」
歌に熱中しているおスミさんに目を向け、綾乃さんは息をひとつ小さく吐いた。
「そんあとネエさんにゃ、見合い話もいくつかあったんやが、みんな蹴ってしもうたんよ。そやから、ずっと独り暮らしや。死んだ亭主んことが、どうしてん忘れられんかったみたいでな」
「おスミさん、ひどうつらかったでしょうね」
「ああ、立ち直るんに三年もかかったんや」
姉のことを語る吉蔵さんはいつしか涙目になっていた。
「おスミさんやから、あのおスミさんやから、そんくらいで立ち直れたんですわ」
「それでんな、ネエさん、ようぼやきよったわ。ウチはなんのために、こうしち生きちょるんやろうか。だれんために生きちょるんやろうかってな」
「そん気持ち、わたしにはようわかりますわ」
「そういやあ、あんたも亭主に先だたれちから、ずっと独り暮らしやな。それに子供に恵まれんかったとこも、ネエさんといっしょやし」
「ええ、子供でもおったらと、つくづく思うことがあるんですわ。家族がおらんってことは、自分を見てるもんが……なんぼ一所懸命やっても、見てくれるもんがおらん、そういうことなんですわ。だからなにをやっても張り合いちゅうもんが……。死んだら……死んだら、あとにはなんも残らんし」
淋しい思いをかみしめるように、綾乃さんは言葉をつまらせながら話した。
―栗原村住人たちの紹介―
綾乃さん……東京生まれの東京育ち。夫が栗原村出身であり、夫の死後も村で暮らしを続ける。
吉蔵さん……病気で倒れた妻、タマの介護を自宅でしている。おスミさんは実の姉にあたる。
おスミさん……夫の戦死で嫁ぎ先から村にもどる。以来、再婚もせず村で暮らす。吉蔵さんの姉。




