走れ! ドングリ号8
時刻はすでに午前零時。
村人たちが栗原村を出てから二時間あまりが過ぎようとしていた。
この間……。
踏切の信号はもちろん各駅構内の信号も、ドングリ号はすべて無視して走り続けてきた。
現在、終点の大分駅から七つほど手前、長湯駅を通過したところだ。
さて車内。
宴会はあいも変わらず続いていた。
「ワシ、踊りとうなった。おスミ、歌っちくりい」
鶴じいが歌をねだる。
「こげえにゆれよんのよ。踊るんはいいが、こけたらどうするんや?」
おスミさんが言うやいなや、なぜかそれまでの震動がピタリとやんだ。すべての車輪がレールから浮いたかのように……。
この不思議に、みなはいちようにおどろいた。
「ドングリ号、ワシんことを思うち、ゆれんようにしてくれたんや」
鶴じいはうれしそうだ。
「それに風が入っちこんなった。これも寒うねえようにしちくれたんや」
窓ぎわにいた元作さんが、車体のゆれとはちがう不思議にも気づく。
「ほんとや、ぜんぜん吹きよらん」
ゴンちゃんは窓を大きく押し上げ、わざわざ顔を外に突き出してみせた。
じっさいのところ、ドングリ号は車体に吹きつける風をブロックしていた。透明の光のバリアで、車体の外側をすっぽりつつんでいたのである。
「ウチ、はりきっち歌うけんな」
おスミさんは立ちあがり、さっそくお得意の炭坑節を歌い始めた。
通路で鶴じいが、おスミさんの歌声に合わせ尻を振って踊る。踊る前に比べ、曲がった腰が十度ほど伸びている。
「鶴じい、福寿苑に入所する話があったけど、当分はだいじょうぶのようですね」
綾乃さんが隣の吉蔵さんに話しかけた。
「ああ、あの元気やもんな。ハハハ……」
吉蔵さんは豪快に笑った。……が、笑い終わったとたん真顔になる。
「あんたはよう知らんやろうが、鶴じいには一人息子がおったんよ。それも、なかなか優秀でな」
今となっては遠い過去、鶴じいの息子のことを思い出すように話した。
「たしか戦死したって」
「そんとおりなんやがな、戦死の通知だけで、どこで死んだかもわからんそうな。じゃから鶴じい、いまだに息子の死んだんが受け止められんのやて」
「そうなんですか」
綾乃さんがくちびるをかみ、鶴じいを見やる。
鶴じいは踊っていた。おスミさんの歌う炭坑節に合わせ、腰をヒョコヒョコとくねらせている。
その姿には過去の暗い影などみじんもない。
―栗原村住人たちの紹介―
元作さん……十七歳のとき、栗原村に来て鉄道会社に就職。以来一筋、蒸気機関車ドングリ号に乗る。
お夏さん……亡き夫が村の駐在所の駐在員であったことから、住人たちに頼りにされている。
綾乃さん……東京生まれの東京育ち。夫が栗原村出身であり、夫の死後も村で暮らしを続ける。
吉蔵さん……病気で倒れた妻、タマの介護を自宅でしている。おスミさんは実の姉にあたる。
おスミさん……夫の戦死で嫁ぎ先から村にもどる。以来、再婚もせず村で暮らす。吉蔵さんの姉。
鶴じい……九十歳なかば。踊ることが趣味。息子が一人いたが戦死する。
ゴンちゃん………栗原村の最後の駐在員。栗原村が気に入り、そのままいついている。




