表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/83

ドングリ号2

 鉱山会社にとっては、採掘した金鉱石を搬出する新しい駅が、どうしても鉱山の近くに建設される必要があった。そこで目をつけたのが、鉱山にほど近いセイリュウ神社の広大な敷地だった。

 こうしてこのとき、神社の土地のおよそ半分が神社本庁から鉱山会社に売却され、さらに清流駅と鉱山までの軌道敷が建設された。

 本来、鉄道の建設や運営業務は鉄道会社が行うべきものである。よって鉱山会社は鉄道の建設費用を出資したのみで、建設工事はもちろん、開業後は鉄道に関するすべてを鉄道会社に譲り渡した。

 このような経過のなか。

 建設途中に一度だけ、栗原村住民の反対で工事がストップしたことがあった。それは駅の建設で、清流池が埋め立てられようとしたときだ。

 清流池は先祖代々、神の宿る池としてあがめられてきた神聖なもの。だからして、たとえ神社本庁によって売却されようとも、住民たちは黙って見ていなかったのである。

 連日、住民たちは池のそばに座り込んだ。

 これには鉄道会社も工事の変更を余儀なくされ、清流池は当時のままの姿で残ることになったのである。

 続いて、ドングリ号の名前の由来と歴史。

 清流駅と豊後森駅の間にある雑木林には、遠い昔からクヌギの木が群生していた。

 それが秋になると、線路敷のいたるところに数え切れぬほどのドングリの実が落ちる。ときには風で飛んだドングリの実が、客車の開いた窓から飛び込んでくることもあった。

 そこで栗原村の住人たちは、いつしかドングリ号と愛称で呼ぶようになったのである。

 このドングリ号。

 大正の時代から久大本線を走っていた。ちなみに久大の久は福岡の久留米、大は大分の頭文字で、久大本線は両市を結んでいる。

 それが戦後、栗原村に鉄道が建設されたのを機に、以来その引き込み線を走ることになった。

 当初は機関車に、客車三両と十両ほどの貨物車が連結されていた。しかし鉱山の閉山により、貨物車はすべて切り離され、機関車と客車一両の短い列車に生まれ変わった。

 それからは豊後森駅との間を一日二往復。乗客が激減したここ数年は、一日一往復に減ったが、それでも休むことなく生き残ってきた。

 こうして……。

 ドングリ号は、大正、昭和、平成と時代の波にもまれながら、現在まで走り続けてきたのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 全体的に舞台を見てる気になりました あまり動きが無い状態で、登場人物たちの話の中から起きている事柄を推測するみたいな 果たして、どう話が動き出すのか気になりますね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ