お別れの夜10
まっ先に、元作さんが顔色を変えて立ち上がった。
「ドングリ号や! ドングリ号の汽笛や」
「今ごろ、なんで鳴ったんやろ?」
新吉さんも立ち上がる。
「よそもんが駅に入りこんで、ドングリ号に悪さしたんやなかろうか?」
「ちげえねえぞ。そうでねえと、こげな夜中に鳴るわけがねえ」
「鉄道マニアんヤツかもしれんな。たまに駅ん中をウロウロしよるけん」
「かってに機関室ん中に入るなんち」
栗原村には多くの鉄道ファンが訪れる。そんななかにはマナーの悪い者がいて、かってに駅構内や線路敷に入り込んだりしていた。
トイレからおスミさんが、あわてたようすで飛び出してきた。
「元作、どうしたんや? 今、ドングリ号の汽笛ん音がしたやないか」
「わからん。けどな、汽笛が鳴ったんはたしかや。心配やけん、駅まで行っちみるわ」
「なら、オレも行くわ」
そう言い残し……。
元作さんと新吉さんは、すぐさま公民館を飛び出していった。
外に出て駅を見やる者。
窓から駅の方向を見やる者。
外に出た者に駅のようすを聞く者。
どうしたものかと顔を見合わせている者。
それぞれの者がいちように心配し、公民館はにわかにあわただしくなった。
この騒ぎに目をさましたゴンちゃんが、ただならぬ気配を感じ取り、お夏さんの腕をつかんで聞いた。
「ドングリ号になんかあったんか?」
「ああ、汽笛が鳴ったんや。元作と新吉んヤツは、すぐに飛んでいったんやがな」
「なんやと?」
ゴンちゃんは窓辺にかけ寄った。
そこには吉蔵さんが身を乗り出すようにしていた。
「吉蔵さん、なんか見えるか?」
「ダメや、木があってよう見えん」
駅までは三百メートルほどの距離。その間にセイリュウ神社の森があったのだ。
「ワシも駅に行っちみるけん」
ゴンちゃんがお夏さんに声をかける。
「そうか。で、なんかわかったら、電話ですぐに連絡するんやぞ」
「ああ」
ゴンちゃんがうなずいて、片方の靴に足をつっ込んだときである。
「たっ、たいへんじゃー」
散歩に出ていた喜八さんが、大声をあげながら玄関に転がり込んできた。
息も絶え絶えである。
―栗原村住人たちの紹介―
元作さん……十七歳のとき、栗原村に来て鉄道会社に就職。以来一筋、蒸気機関車ドングリ号に乗る。
お夏さん……亡き夫が村の駐在所の駐在員であったことから、住人たちに頼りにされている。
新吉さん……村では一番若く六十歳。元作さんとともに日ごろから村の世話をする。
綾乃さん……東京生まれの東京育ち。夫が栗原村出身であり、夫の死後も村で暮らしを続ける。
徳治さん……頭はボケているが、体はいたって元気である。トキと夫婦。
トキさん……徳治の妻。認知症の徳治の世話に追われている。
吉蔵さん……病気で倒れた妻、タマの介護を自宅でしている。おスミさんは実の姉にあたる。
タマさん……吉蔵さんの妻。脳梗塞で倒れて以来、体半分の自由を失う。
菊さん……夫を鉱山の落盤事故で失って以来、女手ひとつで三人の子供を育てあげる。
スナばあ……九十七歳で村一番の高齢者。独り暮らしだが、いたって健康。
おスミさん……夫の戦死で嫁ぎ先から村にもどる。以来、再婚もせず村で暮らす。吉蔵さんの姉。
鶴じい……九十歳なかば。踊ることが趣味。息子が一人いたが戦死する。
ゴンちゃん………栗原村の最後の駐在員。栗原村が気に入り、そのままいついている。
弥助さん……鉱山が開業してからは農業をやめ、閉山するまで鉱山で働く。独り暮らし。
喜八さん……高齢のため足腰がめっぽう弱い。妻はミツさん。
ミツさん……喜八さんの妻。夫の体の具合をいつも心配している。
冬次郎さん……妻と死別し、子供が帰省しなくなってからアルコール依存症となる。
庄太郎さん……鉱山のダイナマイトの爆破事故で右手の手首から先を失う。
おツネさん……離婚して村にもどって以来、ずっと独り暮しをしている。




