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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

赤線上の弔い

作者: 榮光

 「これ、お願いします」

 目の前にコンビニの籠が置かれた。

 僕は帽子を深くかぶり直し、スキャナーを手に取る。


 ピッ。ピッ。

 赤線がバーコードを照らす。

 「お会計八百五十二円です」

 代金を受け取り、レジに放り込む。

 前を見ると、目の前の客はすでに品の入った袋を手に取り立ち去っていた。

 不要になったレシートを屑箱に捨てる。

 何度も繰り返した機械的な作業。テンプレートに沿った台詞。

 もう少し愛想よく接しろとも言われたが、態度を変えたところで何も変わらない。このコンビニを訪れる客にとって、僕はただの店員A以上の意味を持たないだろう。制服の中身が瞬時に入れ替わったとしても、誰も気づかないと容易に予想できる。


 「お先に失礼します」

 朝の六時になり、次のバイトと入れ替わる形でコンビニを出る。まだ日が昇っていない街は、水無月の頭であっても少し肌寒かった。腕をさすりながら歩き出す。

 日中は人が溢れるこの道も、今はまだ静まり返っている。まるでこの世に僕一人だけ残されたような孤独感は、妙な心地よさを与えてくれた。

 組んだ腕を広げ一周ぐるっと回ってみる。まだ少し冷えるが、先程よりは多少ましだった。初夏の空気が体を撫でて行く。

 数日したらすぐ梅雨だ。ジメジメする前にこの空気を堪能しておこう。

 そんなことを考えながら寝静まった町を歩いた。


 「あんまり大きな音立てないでよね。お父さんはまだ寝てるんだから」

 軽くシャワーを浴びて風呂場を出ると、通りかかった母が不機嫌そうに顔をしかめて言い放った。

 あきれ果てたような視線が僕を捉える。

 だが僕は母の目を見られなかった。

 「悪かったよ」

 なるべく早く視界から消えた方が良いだろう。そう思いそそくさと部屋へ向かう。

 「全く…昔はまともだったのに」

 棘と哀れみが混じった言葉がブスリと刺さる。

 僕は気にする事ないと自分に言い聞かせ、部屋へ逃げ込みベッドに体を沈めた。


 人の目は意外と多くのことを語り、隠すことなく真っすぐに感情をぶつけてくる。意図せずとも怒れば忿怒に染まり、情を持てば期待を込めた眼差しが映し出される。そして無意識に自身の基準に当てはめては良い人だ、悪い人だと結論付ける。

 僕は面識もない人間によって知らぬ間に自分の価値が決められる事にいつの間にか抵抗感を覚え、気が付けば他人の視線を怖いと感じていた。

 それ以降僕の日常は一変した。前髪を伸ばして目を隠し、帽子を深くかぶる。なるべく人を避け、不必要な会話は極力短く終わらせるようになった。

 この際引きこもろうかとも思ったが、流石に将来のことを考えると大学は卒業していたかった。

 僕の惨めな心境を代弁するようなアスファルト色の学生生活は静かに過ぎていった。


 カーテンの隙間から激烈な光が差し込む。日差しの強さからしてすでに昼過ぎだろう。

 体のあちこちが痛む。眠っている時間自体は変わらないのに、朝寝るようになってから毎回寝起きは苦労する。

 人間は決して夜行性生物にはなれないだろう。

 そんなことを考えながらかったるい体を引きずり、洗面所へ向かって軽く眠気を覚ました。


 「あんた、いい加減就職とかしないの?」

 リビングで朝食、時間的には昼食になる菓子パンを食べていると、突如母が不満に満ちた様な声で話しかけてきた。

 「いつまでも親の脛をかじりながら生きていくわけにはいかないでしょう?」

 「ちゃんと毎月生活費入れてるだろ。そんなこと言われる筋合いないよ」

 数えきれないほど繰り返した会話。このやり取りも、すでに飽き飽きしていた。

 食べ終えたパンの袋をゴミ箱に投げ捨て、テレビを見る。

 最寄りの駅から二駅離れた場所で、誰かが線路に身を投じたらしい。

 画面には電車に飛び込んだ人の関係者と思われる女性がキャスターを無視して、ただボーっと線路を見つめていた。

 「大学卒業してこれからって時に就活もしないで、バイト以外じゃ部屋に引きこもってばっかり。ご近所様に噂されてるわよ。『あの家の息子さんは落ちこぼれです』って。これ以上失望させないで」


 僕の両親は二人ともプライドが高い。

 母は顔が広く、町内会の重役として町全体に一つのネットワークを作り上げた。

 父も自身の手一つで起業し、今では一企業の代表として自分の能力に対し圧倒的な自信を持っている。

 そんな両親だからこそ、今の僕の痴態は容認しづらいのだろう。

 「そうやって怯えずに他人と会話できる事が僕は羨ましいよ」

 母の顔が瞬時に怒りで歪んだ。

 「また意味の分からないことを言って!人と話す事の何が怖いの?」

 以前他人の視線が怖いと親に相談したら、全く聞く耳を持ってくれなかった。元々プライドの高い二人にとって、他人の関心はむしろ得るべきものなのだろう。

 僕の悩みを鼻で笑っては臆病者、敗北者と散々な言われようだった。

 確かに両親からしたら出来の良い自分たちの息子である僕が対人恐怖症に陥る事など考えすらしなかったはずだ。。

 しかし実際に僕はそうなってしまった。

 そして瞬時に切り捨てられた。

 この家で僕の居場所は自室を除いて何処にも無くなっていた。


 「まだ話の途中よ!」

 席を立つ僕にヒステリックな怒声が浴びせられる。

 僕はその叫びを無視して自室に戻り、もう一度ベッドに潜り込んだ。

 全身をしっかり毛布に包み込むと、むしゃくしゃした感情が徐々に静まり心に平穏が訪れる。

 ザラザラとした毛布を肌で感じながら、先ほど目にしたニュースの内容を思い出した。

 電車に飛び込んだ人は今頃安らかに眠れているだろうか。

 もしそうなのであれば、少し羨ましい。

 そう思いながら、また僕は町が眠る時を待つことにした。



 闇の中、僕は扉をくぐり家を出る。

 すぐ近くの街灯は調子が悪いのだろう。点滅を繰り返し、今にも光が消えそうだった。

 夜風が吹き、風音が静寂を打ち砕く。

 今朝の気温を気にして、僕は薄いカーディガンを羽織っていた。これで寒さを感じることもないだろう。

 角を右に曲がって大通りに出ると、午前零時に差し掛かろうとしているのに未だにちらほらと車が走っていた。

 残業が多かったのだろう。随分遅い帰宅になってる。

 僕が正常だったのなら、あの様に仕事をして、残業に駆り出される日々を送っていただろうか。

 様々な可能性が頭の中を巡る。


 「お兄さん。青ですよ?」


 突然横から声がかかった。体が先に防御態勢をとる。

 「もう二回も信号が変わったのに、体調でも悪いですか?」

 声の源をたどると、すぐ隣に女性が立っていた。

 薄暗くて顔はよく見えなかったが、話し方から予想するに僕より少し年下だろう。ほんのり暖かい花の香りがした。

 予期しない人との出会いに頭が混乱する。

 気が付けば返事もせずに僕の足は全力で横断歩道を駆け抜けていた。


 自分自身に嫌気が差す。

 逃げる必要など何処にもないのに、いつも体が真っ先に反応してしまう。

 僕だって、望んでこうなった訳じゃない。

 気が付けば涙が頬を伝っていた。

 情けない。過去を懐かしみ現実との解離を依然受け入れられず、慣れる事も出来ずに悶え苦しむ姿はどう映るのか。

 他人の意識から消えたいと同時に他人からどの様に見えているのか気になってしょうがない。

 僕に生きる価値などあるだろうか。いっその事消えてしまいたい。そうすれば少なくとも楽になれるだろう。

 公園のベンチに座り込む。

 これほど必死に走ったのはいつぶりだろう。息が苦しい。やはりカーディガンは要らなかったかもしれない。


 荒かった呼吸が治っていく。心臓の音もだいぶ小さくなった。

 「そんなに慌ててどうしたんですか?私怖い人じゃないですよ?」

 つい数分前に聞いた声が耳に流れてくる。

 俯いた顔をあげると、目の前には先ほどの女性が肩で息をしていた。

 再び心臓が強く跳ねる。

 「なんで…ここにいる…いらっしゃるんですか」

 ついどもってしまう。

 何故僕を追いかけてきたのだろう。

 またしても体が反応しようとする。しかし今回は体力切れという事もあって、逃げることは叶わなかった。

 「そりゃあ、話しかけた途端に必死に逃げられてしまうと気になるじゃないですか。でも体調が悪いわけではないみたいですね」

 確かに失礼だったかもしれない。でも僕にそこまで考える余裕はない。

 「すみません。大丈夫です」

 「あら。泣いてます?」

 声が震えていたのだろうか。初対面で泣いている所を見られるのは少し恥ずかしい。

 「少し気が動転してしまって…気にしないで下さい」

 しばしの沈黙。

 僕はどうすれば良いか分からず、帽子のツバを弄っていた。

 「帽子、不便じゃありません?」

 不意に投げられた質問。

 「これがないと落ち着かないので」

 「そうですか」

 またしても沈黙が流れる。しかし夜風に当たりさざめく木の葉の音のせいだろうか。悪い心地ではなかった。

 「僕は人の目が見れないんです。他人の目に僕がどう映るか考えると不安でしょうがない。これが無いと僕は外に出ることも出来ません」

 口が勝手に喋りだす。理由はわからないが、このむしゃくしゃしたどす黒い感情を、この人の前なら吐き出しても良いような気がした。

 「切っ掛けは分からないんですけどね。いつの間にか他人の目を見ると、その人の自分に対する感情が異常なほど感じ取れてしまって。だんだん人と接することが怖くなったんです。で、今度はその変化に気づいた人から奇妙な目で見られるようになったり、近所で噂されたりし気が付けば人を避けるようになってたんです。」

 突然初対面の人間の身の上話を聞かされて、彼女は何を思っているだろう。

 「今では罵られる事も受け入れてしまって。僕が落ちこぼれた事は客観的に見ても事実ですしね。無駄な努力も辞めてしまいました。」


「毎回そうやって自分を卑下して楽になろうとしてるんですね」


まさか反論が出るとは思ってもいなかった。饒舌に動いていた口が凍りつく。

「自分の価値を他人に委ねて思考を放棄するから変われないんですよ。あなたは最初から努力なんてしていません。他人事のように傍観して、それを指摘されたら棘に心を包み込んで反発する。自分の価値を見出だす事を考えもせず、ただただ傷付かないよう隠れるだけでは何も変われませんよ」


思考が渦巻く。

恐らく心の何処かでは自覚していたのだろう。変わってしまった自分を真っ先に切り捨てたのは過去の自分であると。彼女はそれを強引に記憶の底から引きずり出した。

気が付けば隣にいた女性は姿を消していた。

俯いたまま重い腰を持ち上げて歩き出す。刹那の時間が過ぎ、先程の横断歩道で赤信号に捕まった。向かい側には見慣れたコンビニの看板が見える。

今日もまた何も考えず、バーコードに光を照らすだろう。こんな生活に意味はあるのだろうか?

ふと下を見ると、白線と黒線のコントラストが目に入った。

もしこれがバーコードだとしたら、価値を見出すスキャナーは誰の手にあるのだろう。


あぁ、これだ。


僕はそれを思いつき、コンビニからカッターを手に取り飛び出る。

最後くらい、僕は自分を愛したい。

僕は何も間違っていない。間違っているのはこの世界の方だ。こんな腐った世界の価値は僕が決めよう。

そう考えながら、僕は世界のバーコードに赤線を照らした。


体が徐々に傾き、地面がどんどん近くなる。

遠くからサイレンの音が聞こえた。おそらく店長が読んだのだろう。

見慣れた色のベッドに横たわり、消えゆく意識で最後に目にしたのは、ただボーッと僕をみつめる彼女の目だった。




最後まで読んでくださり誠にありがとうございます。

初めて物語を描いたので色々物足りない部分はありますが、それでも楽しんでいただけたら幸いです。

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