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周囲を海に囲まれた大国・リシャール王国。
只の島国だったこの国の貿易を栄えさせ、大国と言わしめたのは国王ではなく、その妻である王妃、ソフィア・リシャールだった。
ソフィアの出自は、リシャール王国唯一の公爵家、ヴォルフレー家長女。
現公爵で父親であるロルフ・ヴォルフレーはリシャール王国の軍部大臣でもあり、国内外にもその名を知らしめるその敏腕さと、青年時代から変わらぬ鋭い眼光を持つ容貌から、別名・リシャールの黒狼と呼ばれている。
母のセフィリアはソフィアが幼い頃に他界しており、男手一つでソフィアを育てた公爵は、妻に似た娘をそれはそれは可愛がった。
五歳になった頃、王家より第一王子の婚約者にと話を持ちかけられた際には、公爵は当時の国王に、魔窟になんぞうちの娘はやらん!と吼えた程だったらしい。
ソフィア自身、王立学園に在籍していた頃より秀才と誉れ高く、父親似の艶やかな黒髪に、母親似の聡明さを表すような碧眼を持つ絶世の美女と評されて育った。
取り敢えず婚約者候補として名乗っていたものの、当の第一王子であるオレリアンは、美しいソフィアに惹かれ、結局は婚姻を結ぶ事となった。
ソフィアが十四の頃、国王が崩御した為、一年の喪に服し、オレリアンが二十九歳の時に即位。即位式後、結婚式を挙げた。それから五年。
二人の愛らしい子供にも恵まれ、妻として、母親として、国母として忙しく過ごしていたソフィアを前に、夫であり、国王であるオレリアンは今、頭を下げていた。
「・・・もう一度おっしゃっていただけます?」
聞き間違いかしら、と頬に手を当てて首を傾げる美女、ソフィアは、目の前で金色の頭を垂れている夫を困ったように見つめた。
「すまない、ソフィア。愛する者が出来たので離縁してほしい」
耳を澄まさなければ聞こえない程小さな声で呟かれた言葉に、溜息を吐く。
オレリアンは昔からこうだった。
その時の気持ちに左右される、国王として未熟な男。
今は三十四にもなるというのに、臣下の言葉にも時々振り回されてはソフィアに助けを求める。
そんな報告をされずとも、ソフィアは事前に調べていた。
どうやらとある夜会で知り合った子爵家の娘を気に入り、公妾とするか、正妃にするかで悩んでいるそうだ――と、臣下の者にぼやいていたらしいという情報を手に入れたのは、己の侍女だ。
(全く。何歳になっても子供のままだわ)
自身が一国の王である自覚はないのか。
結婚を神聖なものとして考えるこのリシャール王国では、側室制度はないし、王族の離縁など以ての外である。
王族の離縁が認められるのは諸外国との関係を鑑みた結果、離縁せざるを得なくなった場合。
公妾が認められるのは正妃が後継を産めなかった場合のみだ。
だが、正妃であるソフィアには子供が二人いる。
それも、王子二人が。
前国王と前王妃の教育がどのようなものだったのか、今更ながら知りたい。
「この神聖なるリシャール王国で離縁出来ないのは国王であるあなたはご存知のはずですわよね?」
「それは・・・!教会に認めさせればいいだろう」
「無理ですわね。そのように強引に推し進めてしまえば、王家は滅びますわ」
「ではどうしろと・・・、」
「公妾であれば社交界にも顔を出せますが・・・わたくし達には息子が二人いますわね」
そう言うと、オレリアンは悩む素振りを見せる。
そう簡単に教会も公妾を認める筈がないのだが、それも考えつかないのだろうか。
「・・・それで?公妾にしますの?でしたらわたくしと離縁するだけでは無理ですわね。お相手は既婚者なのかしら」
「既婚などと!レリーナは未婚だ!」
「あら。それでは先にどなたかと婚姻をさせねばなりませんわ。でしたら早々に手続きを踏まねば。もう下準備は済ませていらっしゃるの?」
「それは・・・」
公妾になるには、既婚者でなければならない。
今はまだ小さい王子達だが、いずれは決定する王太子が廃位するなどの問題が起きれば大変だ。
後継がいるのであれば、既婚者で再婚出来ない、子供が出来ても生まないなどといった制約を受け入れられる女性でなければ公妾として認められない。
「いや。やはり、そなたとは離縁しよう。俺はレリーナ以外愛するつもりはない」
「・・・そうですか」
「永の歳月、そなたの事も愛していたが俺はレリーナに出会ってしまった。安心せよ、離縁した後のそなたの身は保証しよう」
いつの間にやら離縁出来た後の話まで進んでいる。
全く、おめでたい頭をしているものだ。
「陛下が決めた事でしたら別にかまいませんわ。わたくしの事は勝手にさせていただきますので案じなくてもよろしくてよ。ですが・・・」
「・・・なんだ?」
「本当によろしいのですね?」
この人はわたくしと離縁するという事がどうなるのか、本当に分かっているのだろうか?
今の立場がどういったものであるのか。
「構わん。わたしはレリーナを愛している」
「・・・そうですか」
そこまで言うのであれば、もういい。
この男がレリーナという子爵令嬢にのぼせあがっているという情報を手に入れた瞬間から、自分の身の振り方は決めていた事だ。
「でしたらわたくしは早速手続きを済ませてしまいますわね。六年の歳月、共に過ごせた事に感謝いたします」
話をしたのも、向かい合って顔を合わせたのも久し振りだ。
最後に顔でも見ておこうかと思ったが、どうでも良かった。
「俺も・・・そなたに支えられてきた事に感謝する」
あら、とソフィアは小さく驚く。
そんな言葉がこの男の口から出るとは思ってなかった。
まあこれで最後と思えば、はっきり言って清々する、が正しいだろう。
新連載始まりました。
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