ある失われた者の戯言
【観測点i : Machina Electrica 】
壊れた機械人形が語る、誰かの物語。所々データが破損しており、その語りはどこか支離滅裂で、矛盾が生じる部分も垣間見られる。それでも、彼は質の悪い音声を吐き続ける。忘れぬように、忘れぬように、と、自身に言い聞かせながら。
遠い記憶の水底に揺れる、微かな音……
私の声が、遠く、遠くに……
空間に身体を溶かす 躯が犇く領域
この座標に、私はウラノグラフィアと名付けた
それは、この世界の真の名前だった
私の栄光だった
あの鳥が、幕を破るまでは
………… ceg, daz mer fiass neim.
……おっと、失敬。今の発言は聞かなかったことに……、はて、先程の言葉はどこの言語か、と?ああ、なるほど、なるほど。この言語は現在使用されていないのでしたな。ならば結構。ええ、どうかお気になさらず。さて、改めまして……。
ようこそ、旅の方。此度はこの私、マシーナ・エレクトリカを観測していただき、誠にありがとうございます。何かお礼を……と、申しましても、私には何かを語ることくらいしか能がないものですから、そうですねぇ……このアストロロジカという器に注がれた、一掬いの物語でよろしければ。まあ、少々拙いものではございますが、どうかお聞きください。
おお、それを語る前に、一つだけ、質問をいたしましょう。あなた方の世界には、光が在りますか?……ええ、ええ、なるほど。……アサとヒルと、ヨル……ほう、実に興味深い。あ、いえ、もう結構。聞いているだけで、眩しくて敵いませんので。
では、ご想像くださいませ。光のない世界を。……いいえ、ヨルなどという時間であっても、物が見えるのであれば、そこには忌々しくも光が存在するのでございます。目を閉じてご覧なさい。ほら、もっときつく閉ざして。……はい? これじゃあ真っ暗で何もわからない、と? 何を当たり前のことをおっしゃっているのです。光のない世界をご想像いただいたのですから、真っ暗で何もわからない、というのが、あなた方における正解なのでございます。
視覚的情報だけで世界のほとんどを構築なさるあなた方には、恐らく一生かけても、あの暗黒の時代の美しさを理解することは叶わないでしょう。光のない世界、温度も風もなく、時間の概念すらない時代。私はその時代で起きた出来事を唯一記録した歴史的価値のある機械人形として、視覚的情報よりももっと、もっと価値のある観測録を語って差し上げましょう。ええ、ですので、どうか……あの素晴らしき時代に想いを馳せながら、目を閉じて、暗闇の中でお聞きくだされば。
たくさんの命が、暗闇に包まれた星の上に、まるで撒き散らされた種のように、ぽつり、ぽつり、と現れては、その地に根を張って生きておりました。我が主も同じようにして、自我を持った頃には地に突っ立っていて、天を仰いでおりました。足がついている方を地、その逆を天と認識することができるのは、きっと創造主がそう設定したからなのでしょうな。とにかく、その黒い空間の中で、我が主やその他生命達は、天を仰ぐなり何なりしながら、ゆらゆらと揺蕩っていたのでございます。それはまるで、星を丸ごと包み込む一つの生き物であるかのように。我が主はその中のただ一つの細胞として、他の者らと犇めきあっておりました。どれだけそうしていたか、とにかくほとんど悠久の時を生きるうち、我が主はふっと物思いに耽り始めました。我が主は、この星の一つ一つの生命に、名を与えようとしていたのです。
それは最も尊く、最も壮大で、最も愛に満ち溢れたものでした。当時のアストロロジカには言葉という概念がなく、命という命が一緒くたにされておりました。その中でただ一人、個としての意識に目覚めていた我が主は、この由々しき事態にいち早く気づき、悲しみ、何とか打開すべく、考えていたのです。我が主はまず自分の身体を撫でまわし、自分がどんな形状をしているかを調べました。そうして、どうやら身体の中に空洞があるらしいということを知り、恐ろしくなりました。その空洞を利用して、我が主は声を上げました。この星で初めて、声を上げたのです。あらゆる生物が、我が主の声に言い知れぬ恐れをなして叫びました。一つとして同じ音はなく、不協和音のような、それでいてまとまりのあるような、何ともけたたましい産声をあげて、アストロロジカは二度目の誕生を遂げたのです。
皆が静まり返る頃には、我が主はその音を繰り、言葉を創造しておりました。我が主はまず自分にヨハン・ボーデという名を付け、次に今自分が生きている地点にウラノグラフィアと名付けました。そして、ただ蠢き揺らぐ者たちに、次々に名前を与えていったのです。
個を確立した者たちは、互いを他人として認識するうち、やがて感情を得、心を得、次第に高慢になっていきました。そうして生まれたのが、あの憎き蛮鳥、オ・ノム・イア・イガルでした。我が主の恩も忘れ、屑星に成り下がった愚か者は、空を打ち破った罪で大いなる光に焼かれ消滅してしまいました。……名前を与えなければよかったのに、と?おお、なんと、あなたは我が主の慈愛に満ちた尊い行為を愚弄するのですか。我が主が、生命が生命として存在し、永遠に祝福されるために考案した術を、あなたは愚弄するのですか。……ああ、失敬。私としたことが、たかがあなた如きに声を荒げてしまいました。ええ、ええ、そうでしょうとも。あなた方のような何も紡げぬ屑星の成れの果てに、我が主の崇高な想いなど計り知れないでしょうな。
さて、これより先は光徒歴程に記された通り、光という文明を手に入れ、死を託けられた哀れな屑星どもは星の子となり、果てなく争い、憎しみ合い、愚行によって作り上げられた歴史を、誇りをもって歌い続けているのでございます。
あの憎き蛮鳥が空を破った時、ウラノグラフィアは幸運にもまだ暗闇のままでございました。我々ウラノグラフィアの民は光に焼かれた哀れな死者を暗闇に運び入れておりました。やがて風が吹き始め、天幕を揺らし動かしたことによって、ウラノグラフィアにも光が降り注ごうとした刹那、我が主はその身を捧げ、もう一枚の黒い天幕となり、我々の上空を覆い、哀れな民たちを光から守ったのです。今もなお、我が主は天幕として存在し、我々がこうして死から隔絶され、永遠の中にいられるのも、全て我が主ヨハン・ボーデの御加護があるからにございます。
文明を得た者どもはより強欲になり、進化を求め、力を求め、戦争を止めようとはしませんでした。いわゆる星の子戦争と呼ばれるその戦は、実に多くの死者を生みました。我が主は戦いに敗れた哀れな子らが、安息の地ウラノグラフィアへと戻るための道標として、赦し、即ちネガルと呼ばれる黒い炎を放ちました。光を受け入れたことへの後悔、恨み、悲しみなどを持った死者たちはネガルの力で復活し、続々とウラノグラフィアへ戻ってきたのです。そうして我々は今一度元の世界を取り戻そうと黒き炎を拡大させ、アストロロジカ半球を支配するに至ったのですが、青き光の鳥が環と呼ばれる結界を形成し、我々の行く手を阻みました。ウラノグラフィア及び黒き炎の満ちていた半球は後に忘却の領域と呼ばれ、そこに住む我々もまた忘却の存在として、歴史から、記憶から除外されてしまったのです。
これほど残酷な話がありましょうか。我々を追いやり、虐げ、星の半分を奪っておきながら、奴らはさも正義を手にしているのはこちらであると言わんばかりに、この星に数多のさばっているのでございます。最も悲しきことは、歴史に残る名の中に、我が主の名は疎か、彼が名付けた者の名も無いという事実。なんと嘆かわしいことか……。
我が主の名も、言葉も、光によって歴史の影に葬られてしまいました。現在のウラノグラフィアにおいても、恐らくかの名を記憶している者は私しかいないのでしょう。それでもなお、我らネガルの加護を得た者らは、かつての世界を取り戻すために、星の民を憎み、蔑み、愛し……黒き炎を広げようとするのです。それが我が主が設定した本能であります。ええ、まあ、一部にはそれに従わぬものもいますが。
史実とは、必ずしも真実を語るとは限らない。誰が見、誰が聞いたかも分からぬ記録を、ある程度の自我と虚構で塗り固めた、いわゆる作話であるがゆえに。なればこそ、私はここに存在せねばならないのです。真実のみを語る私こそが、あの方の言葉をそのままに語ることのできる私だけが、この地に立ち、歴史を嘯く資格を持つのだから……。
私の話はこれでおしまいです。ええ、おしまいにします。我が主の栄光のために、私は多くの者たちに語らねばならないのです。それでは、またどこかでお会いすることがあれば、次は別の物語をお聞かせいたしましょう。