勧誘
日も沈み、すっかり夜の帳が落ちる。そんな暗闇に包まれた街にポツンと一つ、明かりの灯された店がある。
―酒場「英雄」
ギルニクス・ベルンがマスターとして経営している店だ。
普段であればこの時間は周りの店同様、閉店している時刻だ。
では何故、まだ閉店していないかというと、客が入っているから閉められない、という訳でもなく、客が入ることを期待して店を開けているわけでもない。
(いつになったら買い出しから戻ってくるんだ…あの栗娘)
グラスを拭きながらギルニクスは思う。
諸事情により店をしばらくルーナに託すことにしたギルニクスは、閉店する1時間ほど前に買い出しの練習として中央市場に行かせ、早2時間近くが経過している。中央市場までは片道40分、往復で80分かかるが、それにしても遅い。
心配と苛立ちが混ざり合い、グラスの扱いもぞんざいになる。
しばらくし最後のグラスを拭き終わるが、まだルーナは帰ってこない。完全に手持ち無沙汰になったギルニクスは、ルーナへの心配と苛立ちを沈めるため物置から出した鞘に入ったままの魔剣を手に取る。
(またしばらくこいつの世話になるのか…)
よろしく、と声をかけながら魔剣を鞘から抜くと、魔剣の刃から発せられる光沢が返事をするようにキラッと光った気がした。
(しかしどうしたもんだろうか…)
あの後アリスから聞いた感じでは、「メント悪魔襲来」まではさほど時間がないようだ。そんな中でアベン・ルキフェルを見つけ出すことができるのだろうか。
もちろん見つけ出すだけではいけない。どうにかして元のアベンに戻って貰わなくてはならない。だが、現状の彼を完全に把握しているわけでもないのに、一概に彼の考えを否定するのもどうなのだろうか。
ギルニクスの中で様々に思案が張り巡らされる。何が正解で何が不正解なのか彼にも分からないでいた。
カランコロン
やっとルーナが帰ってきたかと思い扉の方に目をやると、顔まで隠れるように全身黒いローブに身を包んだ大柄な男が立っていた。
普段であればこの時間の来店は拒否するが、ギルニクスは何も言わずに手にしていた剣を鞘に戻し、足元に立てかける。顔まで覆い隠した全身黒ローブの男はまっすぐカウンターに向かうと口を開くことなく席に着く。
「お飲物はいかがなさいますか。」
「そうだな。…お任せで。」
「はい。ただいま用意します。」
所々にしかお酒が入っていない後ろの酒棚からウォッカ、奥の方からジンジャーエールを取り出す。
ギルニクスはそれらを一本のグラスに注いでいく。あまりの静けさからその些細な音すら店内に広がっていく。
「こちら、モスコミュールとなります。」
男の前にグラスを置くと、再び店内に静寂が帰還する。
男は出されたグラスを持ち上げ、口をつける。その間にギルニクスはウォッカのボトルを酒棚にしまいながら呟く。
「禍々しい手だな。」
男のグラスを持つ手は人間のそれではない。
鋭利な爪。浅黒い色をした肌。そして、その肌に張り巡らされるように描かれた不吉さを漂わす黒い模様。
「ハハッ。手だけじゃないさ。まあ男がいちいち見た目にこだわってもしょうがないだろ。」
そうだな、と返し、カウンターの方に向き直す。
そこにはローブから顔を出した男が座っている。手と同じ黒い模様が顔中にも張り巡らされていることを除けば、明らかに見知った顔がいる。
―アベン・ルキフェル
反転移者組織である『対天使討伐隊』のリーダーをしている悪魔となった元人間。
そして、昔は共に冒険者として背中を預けあった旧友でもある。
「そんな目で俺を見るなよ。」
フッとばつが悪そうに小さく笑う旧友。
(俺は一体どんな目をしていたのだろう…)
何も言葉が見つからず、再び沈黙が店内を包み込む。気まずさとは違ったもどかしさがこみ上がる。そんな状況が無理にでもギルニクスの口から言葉を捻り出させる。
「今日、アリスがここに来た。」
明らかにアベンの様子が変化する。手にしたグラスを持つ手がワナワナと怒りで震えている。
「あの裏切り者が何しに来た。」
「…お前の動向を探るように頼まれた。」
「ハッ、お前まで使って情報収集か。冒険者様も悪魔を狩るのに必死だな。」
「そうじゃない。お前の身を案じてだ。」
嘲笑交じりに言い放つアベンをたしなめる。
確かにアベンからすると、自分達を冒険者から廃業に追い込んだ「転移者」とパーティを組んでいる彼女は「裏切り者」になるのかもしれない。
それでも旧友同士のいがみ合いは見たくもないし、聞きたくもない。
しかし、ギルニクスの思いはアベンに届くことはない。
「どうだかな。結局お前はいいように利用されてるのかもしれないぞ。本当は…」
「それ以上は喋るな。」
店内に響き渡る声でアベンの言葉を阻む。
ギルニクスはここ数年怒ることはなかった。それにもかかわらず1日に二度も、それも旧友に怒鳴ってしまったということが彼の中で後悔と罪悪感を生む。
しかし、そんな彼に対してアベンは訝しく思うどころか、満足そうな笑みを浮かべている。その光景が先ほどアリスが見せた表情と重なる。
「なんだよ。」
「いいや、別に。」
再び沈黙になるが、すぐにギルニクスによって沈黙は破られる。
「それで、何しにきたんだ。」
当然の疑問だ。
少なくとも昨日には、アリス率いる冒険者パーティ『三騎士と姫』がメントに到着している。街を一つ潰せるほどの悪魔の退治に導入される冒険者パーティが彼らだけであるということは考えにくいし、彼らだけ早くにメントに到着したとも考えにくい。ということは、現在メントは冒険者等によって厳重な警備がなされている可能性が高い。
その状況は、悪魔であるアベンにとっては危険であると言えるだろうし、メント襲撃を公言した本人がそんな状況になることを予想してない訳がない。
そんな危険を承知でここまで来たということは、それなりの理由があるはずだ。
アベンはグラスを軽く揺らしながら、しばらく黙り込む。そして、意を決したように話し始める。
「俺の姿に驚かなかったってことは、あの女から大体の事は聞いてるってことだよな。」
「ああ。」
「それじゃあ俺が今『対天使討伐隊』のリーダーってのも聞いたか。」
「一応な。ただ、何をしてる集まりかまでは聞いてない。…が、概ね検討はついてる。」
『対天使討伐隊』
その大部分は「反転移者」の思想を持つ「元冒険者」により組織されている。
そして、悪魔に身を落としてまで冒険者の街「ギスニア」の襲撃、となれば…
「職を奪った「転移者」への復讐ってところか。」
「残念だが、そうじゃねえ。よく考えてみろ。元々あいつらはこの世界の人間じゃない。いや、あんな変な能力を持ってるんだ、人間かどうかすら怪しい。そんな奴らを野放しにしておけば、いつか俺たちの世界を乗っ取られて兼ねないだろ。俺たちは、そんな不安の芽を早々に摘んどくたまに動いている、いわば「救世主」ってところだ。」
「そこに私情は全くないって言いたいのか。」
ギルニクスはアベンを鋭く睨みつける。腹を割って話すように強要するつもりだったが、意外にもアベンは萎縮することなく、笑身を浮かべながら淡々と答える。
「建前は必要だろ。大義名分さえあれば、憎しみで彼らを殺そうが、悪魔になろうが最後は美談で終わる事ができる。最も俺としては憎しみに動かされたと思われても構わないんだがな。」
「お前…」
彼の笑みはまさに悪魔そのものだ。見ているもの全てに絶望と恐怖を振りまく、そんな笑みだった。
どうしてそこまで「転移者」を憎んでるのか、とは聞けなかった。今それを聞いてしまうと二度とこいつは戻って来なくなる、そんな気がした。
だが、腹はくくった。
俺の目的はこいつを俺達の仲間だったアベンとして元の道に戻すこと。このままでは俺が知っている頃の優しかったアベンではなくなってしまう。それに、アリスも直接は言ってなかったが、本当に依頼したかったか事はそういう事だったはずだ。
「話は戻るが…」
アベンは少しだけ溜めてまっすぐこちらを見る。
「ギル、お前には『対天使討伐隊』のリーダーを引き継いで欲しい。」
………は?
急に予想外のことを言われて戸惑う。
アベンの目からは冗談を言っているようには感じられない。真剣そのものだ。
だからと言って引き継ぎます、とはならない。
「…やらない。」
「理由も聞かないのか。」
「当たり前だ。どんな理屈を並べようが人間を殺めていい理由にはならない。」
「なぁ、ギル。お前も俺と同じで本当はあいつらを憎んでるはずだろ。いや、むしろ俺なんかよりももっと憎んでるはずだ。勇者の血を引いた身でありながら、悪と戦うことを義務付けられた身でありながら、その役目を奪われたんだ。生きる意味を奪われたはずだ。」
生きる意味を奪われた、この言葉がどうしようもないほどに心に刺さる。何かが心臓に突き刺さったように痛む幻覚すら覚えてしまうほどに。
幼少の頃から「勇者の血筋」であると言われ、「勇者」になる事が当たり前だと思っていた。周りの人間にもそう思われていたし、自身もそう思っていた。
仲間達と冒険者を初めて2年間は本当に楽しかった。「勇者」なんて呼べる代物ではなかったが、確実にそれに近づいていると実感していた。
だが、それも今となっては虚空の残像だ。
俺は全てを失った。
「死んだまま生きるのは辛いだろ。だったら俺と来てくれ。お前が描いた「理想」とはかけ離れているかもしれない。それでもお前の「理想」を壊した「転移者」に復讐はできる。」
そうだ、俺は「転移者」の出現で全てを失った。仲間も、職も、夢も…
そのどれもが俺の中でかけがえのないものだった。
だが、それでも…
「悪いが俺は何を言われても断る。」
俺は全てを失った。だが、それは全て自分の力が足りなかったからだ。「転移者」を恨んでもいい理由にはならない。
それにこの2年間で俺は色んなモノを手に入れた。
文也、ルーナ、それにこの辺りの人達と知り合うことができた。
ある人のおかげで酒場の経営だってしている。まだ小さい店だが、それでもいつかは大きな店にするという夢だってある。
失ったモノと同格かどうかは分からない。それでもそれらは今の俺にとってはかけがえのないものである事に変わりはない。
アベンは、そうか、とだけ小さく呟き、顔を下に向ける。そして決死の覚悟を抱いたかのようこちらを睨みつける。
「だったら口封じさせてもらうしかないな。」