悪魔
古びた廃城の廊下をスーツ姿をした悪魔、アカ・マナフは歩いていた。
その数メートル後ろには、燕尾服に身を包む、山羊の頭をした男が一定の距離を保ちながらアカ・マナフの後ろを付いていく。服装と挙動から彼がアカ・マナフ執事であることは疑うまでもない。
廊下は大悪魔連合幹部のみで会合した場所とは異なり、かなり明るく照らされており、そこを行き来するモノは彼らだけでなく複数の悪魔も歩いている。
その悪魔たちの多数はアカ・マナフと同じく人間に近い形をしている。といっても、背中に生えた翼や臀部から伸びた尾は彼のものと比べると小さく弱々しい。
それらの悪魔の一部は彼とのすれ違いざまに歩みを止め、軽く一礼をする。そのような姿や様子からそれらがアカ・マナフの配下であることが一目でわかる。
(悪魔にしては礼儀が良すぎますね。)
彼らを見るとサルワの傍若無人っぷりがより鮮明になる。アカ・マナフとしてはサルワくらい身勝手な方が頼もしくもあるのだが。
彼は目的の部屋の前まで行くと、山羊頭の執事が扉を開け、待機する。
部屋は暗く、ほとんど中の様子を確認することはできない。しかし、それはあくまで人間の尺度の話だ。悪魔の彼にとっては部屋の明るさなど関係ない。むしろ暗い方が視界は良い。
雰囲気としては、さほど大きくもない客間といった感じ。物は少なく床一面を覆い尽くす絨毯。そして、その上には対面になるように置かれている3人がけ程度の大きさのソファ。
その内の一方のソファ、奥側のソファには1人の大柄な悪魔が鎮座していた。
「お待たせしました。わざわざこんなところまで来ていただき、ありがとうございます。アベンさん。」
「久しいな、アーコマン。」
特に頭を下げることなく挨拶をする両者。
アカ・マナフはアーコマンと呼ばれることに対して、特に気にしない。寧ろ、そう呼ぶようにと言ったのは彼自身であった。
アカ・マナフは手前のソファに腰をかける。扉を閉め、少し遅れて部屋に入ってきた山羊頭の執事は、彼のソファの端に立つ。
「ギスニアの一件、ご苦労様でした。」
「あぁ。」
冒険者の街―『ギスニア』
冒険者産業が盛んな街の一つ。冒険者組合の数少ない主要拠点が置かれている街でもあり、多くの最上級冒険者が拠点としている。そのため、街全体が冒険者の住みやすい街となっている。20を超える宿舎、あちらこちに点在している武器屋と防具屋、最新鋭の魔法技術用いられた魔法道具を売ってある店などが多数存在する。
そんな『ギスニア』は2週間ほど前に悪魔、アベンらの襲撃によりほぼ壊滅状態。最も物的被害に比べ人的被害は少なく済んでいることが不幸中の幸いであった、と思われていた。
しかし実際は、街に貯蔵してあった食糧や田畑のほとんどが壊滅。それに加えて人的被害が少ないということで、逆に食糧難という問題が浮上している。
一か所に定住しない事が基本である冒険者であれば気軽に他の街に拠点を移すことも容易い。しかし、ギスニアに住む人々にとっては、他の街に移動することそれ自体が難しい。道中に出てくるモンスターなどを考慮すると当然だろう。
「ですが、打ち取った"使者"は3名だけだったようですね。あの数の悪魔を導入すれば少なくとも倍の数は狩れる算段だったのですが…元、とはいえ同族を殺すのは躊躇われましたか。」
「説教は勘弁してくれ。またいつ暴走するか分かんないんだ。」
アベンは右手で心臓部を抑えながら苦々しい顔で答える。
即座に、山羊頭の執事は主人であるアカ・マナフを庇おうと動くが、アカ・マナフ自身に片手で制される。
彼がここで暴走しようがしまいが、彼らならば簡単に止めることができるだろう。だが、それは同時に大事な定規を失うことを意味する。
「分かりました。今回はこれ以上の言及はやめておきましょう。」
アベンは苦笑いをする。おそらくアカ・マナフの言葉の真意に気がついたからだろう。
「それで、計画は順調でしょうか。」
本来はアカ・マナフ直属の配下を監視役として送り込んでいたので、計画の進みを全て理解している。なので、この質問をする意図は別にある。これはアベン個人としての見解を聞くための質問だ。
「ギスニアの住民が食糧難で苦しんでるって噂を耳にした。それに関しては誤算だ。…なんとかなんねぇか。」
「私としては人間達がどうなろうと構いませんが、貴方と交わした約束もありますからね。こちらでどうにかしておきましょう。」
「恩にきる。あとはメント襲来の準備にもう少し時間を取られそうだが、概ね予定通りだ。」
「そろそろメントにも悪魔襲来が噂され始めるでしょう。一般市民の避難、及び、冒険者の配備が整うまで恐らく残り1週間ほどですかね。間に合いそうですか。」
「あぁ、問題ない。」
「そうですか。ところでお体の方は問題ありませんか。」
心配する素振りはなく、淡々と話す。心配してないといえば嘘になるが、それはあくまで計画に綻びが生じることに対するものでしかない。
彼が優秀なコマであることは確かだが、多少性能を落とせば替えはいくらでも効く。
「あぁ、今のところは問題はない。他の連中はどうなんだ。」
「『悪魔の血』とうまく融合できなかった方々は貴方と似た状態です。ただ、それによって死人は出ていないのでご安心ください。また、現在はこちらで特効薬の開発にあたっておりますので心配なさらないでください。」
「そうか、ありがたい。」
「お気になさらず。それでは私はそろそろお暇します。後ほど、玄関までの見送りが来ますので今しばらくお待ちください。」
ソファから立ち上がり、扉へと向かう。その後に山羊頭の執事もそれに続く。先程同様、山羊頭の執事が扉を開け、待機する。
アカ・マナフは部屋から半分ほど体を出した際、何かを思い出したようにつぶやく。
「そうそう」
完全に振り向くことはせず、頭だけをアベンの方に向け、話を続ける。
「お友達の勧誘に行くのは今夜でしたっけ。」
「そのつもりだ。」
「そうですか。くれぐれも細心の注意を払ってくださいね。貴方はもう認められざる存在なのですから。」
返事も聞かずに退室する。
元来た道を戻っていくと、またしても一部の悪魔たちはすれ違いざまに歩みを止め、軽く一礼をする。
そんなこと気にも留めず歩いていくと、何人目かにすれ違った悪魔が他の悪魔同様歩みを止め、一礼をする。だが、その悪魔はプルプル震えていた。
アカ・マナフは歩くのをやめ、そちらを眺める。それに伴って山羊頭の執事も歩くのをやめる。
数秒後、ゴボッゴボボッとその悪魔から音がしたと思うと体が四散する。
青黒い肉片は飛び散り、真っ黒な血が散布する。破裂直前に山羊頭の執事がアカ・マナフを庇ったおかげで彼にそれらが飛び散ることはなかった。
「大丈夫デスカ、アカ・マナフ様。」
「ありがとうございます、バフォメット。」
「オ気ニナサラナイデクダサイ。」
「貴方も無理して喋らなくていいですよ。」
声を発することが不得手なのか、潰れたような濁ったような音を発する山羊頭の執事は返事の代わりに一礼をする。
(はてさて、これはどうしたものか。)
ちょうどすぐそばの角から曲がってきた掃除道具を持った女の姿をした悪魔に指示を出す。
「すみません。こちらも任せてもよろしいでしょうか。」
「かしこまりました。アカ・マナフ様」
「貴方も急いで着替えて来なさい、バフォメット。」
返事の代わりに一礼をし、急ぎ足でその場から去っていく山羊頭の男。その後ろ姿を眺めていると先ほどの悪魔に声をかけられる。
「こちらの肉塊はどのように処理なされますか。」
元々は自分の仲間であったその肉塊を手に女の悪魔は尋ねてくる。
「そうですね、とりあえず何かの実験に使えるかもしれませんのでタロマティのところまで持っていってもらえますか。」
かしこまりました、と言うと女の悪魔は持っていたバケツの中に肉塊を放り込み、床の清掃に移る。
「ところで、これで何人目の廃棄品かご存知ですか。」
「私の知っている限り12人目です。」
床を掃除しながら答える女の悪魔に、そうですか、とだけ答えると、口元に手をやる。
(残り1週間であと20人ほど廃棄と考えるのが妥当でしょうね。ですが、ギリギリ許容範囲と言えるでしょう。)
アカ・マナフは静かに笑みを浮かべるのだった。