旧友2
―アベン・ルキフェル
俺たちの冒険者パーティにおけるタンクの役割を担っていた大柄な男。口は悪いが人一倍優しく、仲間に何かあればすぐに手を差し伸べる、そんな男。当時はパーティに男が2人だけということもあり、飲みに行っては益体のない会話を朝までしたものだ。
そんな彼が対天使討伐組織のリーダーで、さらに悪魔となって街を滅ぼしたなんて。
「見間違いとかではないのか。」
「私自身が見たわけではないから断定は出来ないわ。ただ、悪魔化した人間って人間の頃とあまり姿形に変化がないらしいの。だからほぼ間違いないといっていいでしょうね。」
「信じられない。」
思わず口から溢れる。いや、信じたくないの方が正解なのだろう。なぜなら…
「あら、そうかしら。私はそこまで意外でもないわ。彼ほど『転移者』に対して敵意を持っている者はそういなかった気がするのだけど。」
…その通りだ。『転移者』が現れ始めて仕事が減っていく中で、彼らに対する反感を持つものは少なくなかった。その中でもとりわけアベンは彼らを敵視していた。
仕事を独占する彼らと口論をしては冒険者組合の職員に止められる、ということも珍しくはなかったし、その度に愚痴をこぼしていた覚えもある。
だけど、そうだとしても…
「あいつはそんなことするほど器の小さいやつじゃねぇ。」
怒鳴り声をあげ、カウンターを強く叩きつける。カウンターに置かれたグラスの氷がカランと音を立てた。遠くのテーブルからはヒッと短い4つの悲鳴が聞こえてくる。
しばし静寂が場を支配した。そんな静寂がギルニクスに冷静さを取り戻させる。
「すまねぇ。」
「別に構わないわ。仲間を悪く言われるとカッとなる癖はまだ抜けてないのね。いえ、寧ろまだ私達を仲間だと思ってくれているのね。」
「みたいだな。」
小さく微笑むアリスに照れ臭さを覚え、素っ気ない返事になってしまう。全く動揺していないところを見るとギルニクスの反応を予想していたのだろう。伊達に3年間も共に旅をしていないということか。
仕切り直しに、気になっていた疑問をぶつける。
「お前らはアベンの討伐に参加するのか。」
純粋な疑問だ。彼女がこの質問にどう答えようと軽蔑したり称賛したりする気は更々ない。
だが、どうしても知っておきたかった。
「…参加するわ。冒険者として元人間とはいえ凶悪な悪魔を見逃すことなんてできないもの。」
「そうか。」
当然の答えと言えるだろう。
彼女の冒険者パーティ『三騎士と姫』は見た目こそ弱々しいが、『転移者』3名で構成されており、さらにはアリスという5年の冒険実績のある指令官がいる。そんなチームならばさぞ冒険者組合に優遇され、期待されていることだろう。
そんな彼女らが冒険者の街を潰せるほどの強力な敵の討伐に駆り出されないわけがない。
「そこでなのだけれど、」
そう言いながらアリスはテーブルに両肘をつき、組んだ手の近くに口もとを運ぶ。
「貴方にはアベン・ルキフェルの動向の調査、及び、目的の追求を依頼したいの。」
有無を言わさずアリスは続ける。
「知っての通り私たちは冒険者として冒険者組合に属している以上、依頼以外のことは出来ないわ。それが冒険者となる上で交わした契約なのだから。仮に「悪魔討伐」の依頼を辞退しても、この件に関与できなくなるだけ。そこで自由に動ける貴方を私個人が雇いたいって寸法よ。もちろん依頼である以上報酬も払うわ。」
そう言うことか。わざわざ俺に会いに来たのは、メントの危機を伝えに来たわけでも、アベンの討伐を伝えに来たわけでもない。
ギルニクスは冒険者を二年前にやめている。そのため、冒険者に適用される契約はすでに無効。だからこそ彼女は俺に依頼をする為に来たのだ。
旧友を助けるために
ならば答えは決まっている。彼女の期待に応えるために俺の持てる力を全てを使ってでも…
(俺の持てる力を全て、か。)
冒険者すらまともに続けることのできなかった俺の力なんてたかが知れているのでは…昔であればそこそこ腕の立つ自信はあったが、今となっては無力以外の何者でもない。
それに俺が動かなくてもフリーで動いている『転移者』もいる。彼らに依頼する方が得策なのではないだろうか…
他にも考えればいくらでも良案は浮かぶはずだ。それこそ文也に俺から依頼すればいい。俺なんかより断然強いし信頼もできる。そっちの方が…
「何を考えているのかは分からないけれど、」
アリスの声が、思考を停止させる。
いつの間にか考え込んで俯いていた顔を上げると、暗かったはずの視界にアリスの顔が映し出された。
「私は貴方に、私たちの英雄に頼みたいの。」
冷静に、けれど暖かみのこもった声が身体中に駆け巡る。
(俺はなんて馬鹿なことを考えていたんだ。)
一寸先すら見えない真っ暗な闇に無数の光が放たれたような、そんな感覚に襲われる。
俺は何を臆していたのだろうか。何を弱気になっていたのだろうか。アベンは俺の仲間だ。ならば俺が動かなくてどうする。
「悪い。弱気になってた。」
「見ればわかるわ。本当に頼りないのね。」
「そう言われると耳がいたい。」
ギルニクスは笑って返す。アリスも微笑み返してくれる。その光景はまるであの頃に戻ったようだ。だが、まだ足りないものがある。
それを取り戻すためには、旧友を取り戻すためには、新しい友人に手を借りる必要がある。
奥の方のテーブルに座るルーナに目線をやると、微笑んでいる彼女と目が合う。もちろん彼女だけではない。俺にはまだ新しい友人がいる。
背筋を正し、バーテン服のシワを軽く伸ばすと、体をアリスの方に向き直す。
「その依頼、「英雄」のマスター、ギルニクス・ベルンが承る。」
ギルニクスは堂々と宣言した。
勇ましいという言葉を使うのならまさに今だろう。その目は今までの死んだ目からは一転、輝きを取り戻している。
「…そう。お願いするわ。」
返事こそ素っ気ないが、満足そうなに微笑むを浮かべるアリス。
(依頼の受注。いつぶりだろうか。)
胸の奥から何か熱いモノが込み上げてくる。得体の知れない高揚感が異様なほど大きな声を出させる。
「ルーナ。」
「はい!」
威勢のいい返事を返すルーナ。これなら問題ないだろう。
「しばらく店は頼むぞ。」
「はいって、えぇぇぇぇぇえぇぇ。」
あまりの爆弾発言に驚愕を見せる。どうやら思っていた内容と違うものだったのだろう。
「彼女に任せて大丈夫なの。」
「問題ない。俺の信頼する仲間の1人だからな。」
「そう、それなら問題ないわね。」
アリスは水の入ったグラスを持って頷く。
「ほ、本気ですか!?」
「ああ。しばらく俺は店に入れないかもしれないからな。もちろん給料は払う。いつもより多めにな。」
「…そうですか、ならいいですよ。」
おどけたように笑って答えるルーナ。
相変わらず「現金なやつ」を装っているが、ギルニクスには分かっていた。彼女が気を回してそういった振る舞いをしていることを。
(その内こいつにも俺達の昔話をしてやろう。)
そういえば、とアリスは何かを思い出したように口を開く。
「対価で思い出したのだけれど、報酬はいくらが妥当かしら。」
ギルニクスは後ろを振り向いて、すでに忘れかけていた惨劇を見つめる。すると、その目は再び輝きを失い、死んだ目に戻る。
「とりあえず前金として弁償代はもらうぞ。」
一度エピローグを迎えた英雄譚は、再びプロローグを語り始める。これがギルニクスの第二章の始まりであるかのように。