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白昼譚  作者: 石津志遥
1/1

一章

御内儀おくさんのようで、

髪は割鹿子に結っている。

菊の花を供える様である。

花はひとまず脇にやっておいて、柄杓で水をかけている。

水は法水のりみず、甘露、真白の指先に操られる柄杓はさながら法具。

その丁寧さには一種の畏敬の念さえ見て取れる。

ハハァ旦那だな、との邪推も打ち壊され、屹度実父か義父の墓である。

あすこの御内儀連は御酒を召し上がらないから。

かと思えば何か菓子を備えているようで。

しかし妙であすこの男連は大酒のみで甘いのは大嫌いの筈、

コリァ情夫イロだと見当をつけた。

案の定あの墓は全く違う。

御内儀おくさんの家の墓ではない。

ふとぶらぶら田舎まで出てきた信左、実信吉は気になった。

ちょいちょいと近寄ってみて声をかけるとごくごく驚いたようで鬢の乱れたのを世話するのも忘れている。

ねえ、御内儀、誰の墓だい、

家系じゃあるまい?

なんとなく微笑を湛えたかと思うと桶の水を無造作に墓に掛けて去って了った。

おう、ちょいと待っておくれな、ねえ御内儀、なにもとって食おうっていうんじゃないんだから、ねえ、

嫌ですよ、あなたは職人で荒いから、

しかもここらで噂が立っちゃ困ります、

耳が良いのが揃っていますから、

何もあんたと噂を立てようって腹積つもりじゃあないんだよ、ね、御内儀、

いやですよ、あんたなんて、そんな呼び方じゃなく名前で呼んでおくれ、

名前、名前ったって、俺ぁあんたを知らねえや、姿を見たくらいで、

あら、それじゃあ、御縁が無かったようですね、

いや、そんな御縁じゃねえんだ、

あら?惚れました?

そんな気安く惚れる男じゃねえよ、

いやですよ、ほ、照れ隠し、

えい、その墓の男は誰だい、

男?はて、ええ、このお墓は新内の御師匠様、

新内?新内なんて物好きだね、

ええ、いやいや、男の御師匠じゃ、

違いますよ、男の御師匠なんてまず許してくれませんもの、これでも函入、

函入かい、世間知らず男知らずかい、

そこまで言わなくったって、いいものじゃありませんか、

なんかあんたの旦那に言われたら困るかい、サッと水を掛けて去れるような仲じゃあるめえ、なおさら御師匠、

ええ、それは、何も、あんたじゃなくて、やゑとお呼びな、職人さん、

それじゃぁ、こっちだって信さんなんて呼んでもらいてえや、

嫌ですよ信さんなんて、まして知らない人、花街の女じゃありませんよう、

ありませんようなんて媚び売る言い方しやがって、第一その墓は誰だい、

だから新内の、

新内の御師匠はわかってらい、

新内の師匠ならあんたの旦那に言っても問題ないね?言わせてもらうよ俺ぁ、

あら、言ってごらんよ、そんなんで人と褥なんて安くないよ、

だからそんなんじゃねえってば、

あら、やだ、さっきからそんなこと言っているじゃないの、ええ?職人さん、

あ、これは、俺ぁ、一度口から出ちまうと、抑えが効かんのよ、で、その墓は、

また言う、ええ、ええ、言いましょう、

これはね、あたしの幼馴染の墓よ、

嫁入り舟を送ってくれた幼馴染のお墓、

新内の御師匠なんて嘘、

嘘かい、へええ、なんて、面白そうだね、

いやね、人の昔を面白そうなんて、

なんて名前だい、え?信さん?

俺とおんなじじゃないかい、へえ、奇遇、

そうねえ、もっといえば、あなたがもう少し、手が白ければそっくりね、

え?いや、はは、染物屋の職人だもの、手は汚れるさ、

そうよねえ、あの信さんは良いところの人ですもの、人の下で染物なんてするわけありませんわね、良くてご主人、番頭ですもの、

へへ、そうだろうね、

それにそんなに強い話し方は知らないはずで、

そりゃあ、そうだろうね、ええ、

かれこれ一昔サ、

まさかこんなところにいたってなあ、

え、じゃあ、信さん?

そうよ、俺ぁ、お前、いや、やゑさんがね、嫁入りに行った後に、死んだと言わせて染物屋に入ったのよ、

死んだ死んだと思わせておいて、いまさら出てくるのかい、嘘つき、

嘘つきなんてそらあ、人に言う言葉じゃないよ、ねえ、おいらこれでもね、真正面に生きてきたつもりよ、庄屋の血筋だかに娶られてさ、引くしかないじゃないか、おとっさんおかっさんの暮らしがあるだもの、おまんまの食い上げじゃ具合も悪かろうし、ならね、信吉なんて男はもういないってなことにできりゃ、そうよ、やゑさんだってね、泣くだろうが、泣くだろうが諦めつけて庄屋筋に嫁に行けるだろうってね、そんな腹積つもりだったのよ、ねえ、もうあの信吉なんてのはいねえよ、いま、俺ぁ、ね、紺屋三島の職人よ、お役者じゃないけど、信左しんざってねえ、やゑさんよ、

うまくやってるかい、窮屈じゃ、ね、無かろうね、

窮屈だなんて、窮屈じゃないことなんてありゃ、え、しませんよ、信さん、

もうよしてくれ、信さんなんて呼ばずに、職人さんて呼んでくれな、

俺も御内儀おくさんって呼ぶからよ、

信さんが死んだって聞いた時から、いつ死のういつ死のう、いつ一緒になろう、おとっさんおかっさんに顔向けはできないから、せめて地獄にでも落ちれば生涯会わなくて済むからね、それに、信さんだって、恋しい人を裏切って死んだんだから、あの家に黙って嫁がせたんだから、きっと地獄だねって算段したのさ、

死ななくてよかったよ、ああ良かった、

死んだらひとりぼっちさ、膨れた顔じゃね、きっと信さんは気づいてくれないだろうしね、それに生きているんだから、気づけるはずも無かろうね、ねえ、信さん、あ、職人さん、

嫌味だね、まったく嫌味な女、

嫌味が信条で生きてますからね、

変に学があるからねえ、うまく回るね、口がよ。

ねえ、職人さん、連れ出しておくれと言ったら、どっかへやってくれるかい?

そりゃあ、ひとつの傘を分け合った仲だけど、身持ちを崩すと、可愛家内も売女になるんだよ、ね、やゑさん、あ、御内儀、

ご忠告親切にありがとう存じます、

いや、いきなり呼び止めて悪かったね、

だけどね、あたしは行きたいよ、

信さんと生きて行きたいんだよ、

今からでも遅くない、遅くないんだよお、

お金なら出すから、学校を出ておくれよ、

信さんと一緒になりたいんだよ、

故郷くにじゃあ、あんなに学校を出て所帯を持とうって、行ってくれたじゃないかよ、ねえ、信さん

ええい、お前、やゑさんがね、ひ、ひどい結婚をしなけりゃあさ、ぼ、僕だった、がが、学校へ行ったさね、ねえ、やゑさん!僕はね、僕はゆるしちゃあ、いないからね!

それだよ、それが信さんの昔の話し方だよ、

すっかり垢抜けた言葉をつかうから、びっくりしちゃったんだよねえ、

ふうん、それじゃあ、やゑさんは亭主と別れるかい、

ええ、別れよう!別れよう!

信さんは学校へ行って身を立てるんだよ、遅くないんだからね、うちの人ならいくらもお金もくれるさ、

そうかい、そうなら、ひとつやろう、やってやろう、どうせ番頭にもなれそうもないね、このままじゃあ、

屹度、迎えにくるから、学校へ入ったら手紙も送る。

きっと送るから。その頃には都へ来ておくれ。

僕もじきに都へ発つからね。

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