【コミカライズ】公爵令嬢は破滅の予言を踏みつける。ついでに婚約者も踏みつける。
公爵令嬢シャーリー・マクラウドは、婚約者である王太子アレックスに会うため、王宮を訪れていた。初夏の庭園、その中央にある東屋で、仲良くお茶の時間を楽しむ。
一月に一度か二度行われる彼とのお茶会は、もうすぐ十二歳になるシャーリーにとって、一番の楽しみだ。
そんな楽しいはずの時間だというのに、彼女の機嫌は悪かった。
「ちょっと、そこの者。こちらへ……」
年齢のわりに落ち着いた声で、給仕についていた王宮の侍女を呼びつける。
シャーリーの黒の巻き髪と、意志の強そうなグリーンの瞳は、幼くても他者を威圧するらしい。
若い侍女は、まだ何も言われていないのに、すでに虐げられている小動物のように怯えていた。
「どうかなされましたか?」
「どうかなされましたか……、ですって? 見なさい、このカップを」
シャーリーは令嬢らしい繊細な指先で、びしっと紅茶のカップを指さす。彼女が示すその場所はほんの少しだけ欠けている。
「あなた、侍女としてふさわしくないわね。お辞めになったらいかがかしら?」
「そ、そんな……! 私が用意したものではありません」
侍女は、瞳を潤ませ、くちびるを震わせた。王族と直接会話ができるような役割を与えられている者は、基本的に身分が高い。若い侍女も、行儀見習いで王宮に上がった貴族の娘のはずだ。
侍女は、直接カップを洗ったわけでもないし、この場所に準備したわけでもない。あらかじめ用意されたものでお茶をいれて、運んだだけ。そう言いたいのだろう。
「最後にさわったあなたが、気づかなければいけないのよ。たとえば王太子殿下がお怪我をされても、同じことが言えるのかしら?」
彼女としては正論しか言っていないつもりだ。けれど侍女の手は震え、大きな瞳からポロリポロリと涙がこぼれている。
話をしているのはシャーリーなのに、侍女は助けを求めるようにアレックスを見つめた。
「シャーリー。怪我はなかったんだから、今日はもういいんじゃないかな? 君、一度さがって休憩をとってください。……女性が泣いていると、こちらまで悲しくなってしまいますから、ね?」
シャーリーは感情を表に出すのが苦手だった。
けれど、ほかの女性をなぐさめ、ほほえむ婚約者の姿に、なにも感じないわけではない。
はっきり言えば、はらわたが煮えくりかえる思いだった。アレックスが婚約者である自分よりも、侍女を優先しているような気がしたからだろうか。
「あの、シャーリー? なんでそんなに怒っているの?」
アレックスが首をかしげる。彼女の態度をとがめている、というよりもただ純粋にわからない、といった様子だ。
「べつに、怒ってなどいません!」
「もしかして、やきもちかな? だったら嬉しいな」
彼女がジロリとにらむと、アレックスが頬を高揚させる。
にらまれてよろこぶ彼の行動が、彼女にはよく理解できない。彼はとにかく、誰にでも、なんにでも寛容だ。
「やきもちではありません」
言葉では否定するが、実際そのとおりなのかもしれない。
そして彼女は今、怒りと同時によろこびも感じていた。常に怒っているように見える彼女のちょっとした差を、彼が感じとってくれたからだ。
侍女に対してはただ指摘しただけ、怒っているのはアレックスに対してだけ。彼はそのことをきちんとわかってくれる。
「私は少し気の強い娘のほうが好きだよ? でもね、シャーリー。君は未来の王妃なのだから、もう少し下の者に優しくしたほうがいいんじゃないかな? ただでさえ、顔がこわ……誤解されやすいんだから」
ふーっ、と彼女はため息をついた。自分では相手に厳しく接している自覚はない。気が強そうに見えるから、誤解されやすいだけだと思っていた。
とはいえ、人の意見に耳を傾けないのも、いかがなものか。だからシャーリーは、仕えてくれる人に優しく接するということが、どんなことかを考えてみる。
「アレックス様、手紙を書いていたときに窓を開けられて、便せんが飛んでしまいそうになったら、怒りますか?」
「いいや? 手で押さえて、実際には飛んでないのなら、とくには……」
「そうですか。では、一年前に口に合わないと伝えたはずのお菓子が、もう一度出てきたら?」
「一年? 好き嫌いはよくないよ?」
やはり、彼と比較すると彼女はわがままだ。けれど、十二年で構築されてしまった性格は、簡単には変わらない。
「アレックス様はお優しいですね。でも、私にはできそうにありません。……嫌いになりますか?」
「そんなことないよ! 私の前ではいくらでも怒っていいくらいだ。私は、君の笑顔も好きだけど、怒った顔が一番好きだよ?」
「本当ですか?」
「うん、心配なら約束する。私は、無理をしないありのままの君をずっと好きでいるって」
アレックスが小指を差し出すので、シャーリーも同じように小指を近づけて、そっと絡める。
誕生日を直前にして、彼女はとびきりの約束を婚約者からもらった。
シャーリーは十二歳の誕生日を迎えた。
盛大に披かれたパーティーが終わったあと、私室でくつろいでいる彼女は、父からの呼び出しを受けた。
父の執務室には、母と五つ年上の兄の姿、そして見知らぬ老人の姿があった。
「シャーリー、この方は王都で話題の大予言者なんだよ」
上機嫌の父が老人の正体を教えてくれるが、彼女は正直、胡散臭いと感じていた。
興味がないと言おうとしたが、嬉しそうな顔をした母に先を越される。
「あなたは、将来王妃となる大切な身ですから。あなたの未来を予言してもらおうと思ったのよ」
「そうだ、おまえの将来はこの国の行く末と一心同体だからな! 兄としても気になるぞ!」
必要ない、と彼女は言いたかった。けれど母と兄も乗り気で、とても予言者が胡散臭いなどと言える雰囲気ではない。
仕方なく用意された椅子に彼女が座ると、向かいに腰を下ろした老人が真っ赤なインクをペンにつけて、奇声を発する。
「きえぇぇぇ! 視えます、視えます……シャーリー様の未来が……」
予言者が目を血走らせ、何かに取り憑かれでもしたかのような形相で、ペンを走らせる。殴り書きのような文字には、こう書かれていた。
――――公爵令嬢シャーリー・マクラウドは王立学院で過ごすあいだに、王太子アレックス殿下との関係が破綻する。
「そんなこと、ありえるかしら?」
――――王太子殿下は、学院で出会った慎み深く、心優しい男爵令嬢に惹かれていくであろう。それを知ったシャーリー様は、嫉妬に狂い、闇の者を雇い、男爵令嬢を暗殺しようとする。
「そんなことはいたしません。……公爵家なら、堂々と敵を排除できますわ」
――――日頃、あなた様に辛く当たられていたメイドや使用人たちは、あなた様が闇の者と接触していた証拠を王太子殿下に渡し、シャーリー様は火あぶりの刑、一族は爵位剥奪のうえ、国外追放となる。
「どうせなら、その男爵令嬢の家名を書いていただけませんか? 予言者ってその程度ですの?」
――――い、以上。
「申し訳ありません。シャーリー様の未来を予言しておりますので、あなた様がご存じない御方のことは、はっきりと見えないのです」
予言者は、真っ青な顔で額に脂汗を浮かべている。
シャーリーが殴り書きの予言と、書いた人物の顔を交互に見比べると、彼は目を泳がせる。なんとなく信用できない男だ。
「なんということだ! シャーリー……。このままではっ、わが公爵家は数年後に破滅だ! 兄として、なにかできることはないのかっ!?」
「あぁ、そんな……娘を救うにはどうすれば」
予言の言葉を見て、母と兄が肩を寄せ合い号泣しはじめる。
なぜか予言を信じる身内が三人いて、どうでもいいと思っている彼女には、味方がいない。そうなると、まぁそういう可能性もあるかな、と思ってしまうから不思議である。
「お父様、申し訳ありません。わたくしのせいで爵位剥奪のうえ、国外追放などと」
とりあえず、半信半疑でも、面倒だからあやまるしかない雰囲気だった。
「いいや、まだ間に合う! おまえは実際、家族を思いやる優しさを持っているではないか!? 使用人に対し寛容になり、王太子殿下に気に入られるようなひかえめな女性になれば、このような残酷な未来など、回避できるはずだ!」
「そうですわね。……お父様、わたくし運命を変えるべく、残りの六年、最大限の努力をいたします」
涙と鼻水で顔を汚している三人が、シャーリーの決意に感動し、抱きつこうとする。
彼女は暑苦しい一家団欒をするりとかわし、扉の近くまでしりぞく。
「それではわたくし、さっそく検討に入りますので、失礼いたします」
扉の前で、両親と兄に向けて淑女の礼をしてから、シャーリーは私室へ戻った。
部屋には、幼い頃から仕えてくれている侍女のアンが待っていた。シャーリーにとっては、年の離れた姉か第二の母のような存在だ。
彼女は、シャーリーの母の乳母をしていた人物の娘で、今年で四十歳になる。見た目はかなり若々しく、二十代後半くらいに見える美しい女性だ。
部屋に戻ったシャーリーは、頼れる侍女にさきほどの予言についてさっそく話す。
「なるほど。シャーリー様、どうなされるおつもりですか?」
「未来が決まっているのなら、そうならないように変えてしまえばいいのよ」
「あの、失礼ながら、予言者をお信じになるのですか?」
シャーリーの性格をよく知っているアンは、何度もまばたきをして、驚いている。
「ええ。意外?」
「はい」
「……信じるというよりも、そうならないように努力するほうがお父様の心配が減るのでしょう? だから、そういうことにしておくの」
シャーリーにとって、予言の信憑性など些細なことだった。
予言を回避するために頑張ろうと決めたのは、内容がわりとまともだと思ったからだ。
たとえば、予言の内容が荒唐無稽なもので、回避するために多額の金を要求された……ということであれば、彼女は予言者を疑った。
けれどあの予言は、今ある不安要素を並べただけのものに感じられたのだ。一つを除いて、守っておいて損はない。
そう、一つを除いて。
「さようでございますね」
予言は大きくわけると三つの内容だ。
一つめはシャーリーの性格に問題があるせいで、王太子アレックスとの仲が悪くなること。
二つめは、その結果として彼が別の女性を選ぶこと。
三つめは、使用人がシャーリーを恨み、裏切ること。
「ねぇ、アン。……王立学院でわたくしがアレックス様に嫌われて、あの御方がほかの女性を好きになるのなら、通わなければいいのよ」
数年前まで、王立学院は男子だけが通う貴族の教育機関だった。それが、女子も平等にするべきという意見が広まり、女子の入学も許可されるようになった。
ただし、厳しい試験があるので、目指す者は少ない。この国で、貴族の令嬢といえば、まだまだ屋敷で刺繍などをたしなみ、過ごすほうが一般的なのだ。
「シャーリー様が通われない、というのは可能でございますが、ほかの女子生徒の入学を阻むことはできません」
アンが首を横に振る。シャーリーが通わなければ予言通りの未来はこない。だからといってアレックスが浮気をしない、とは言い切れない。
むしろ、婚約者と過ごす時間が少なくなるのだから、より危険だった。
「ふふっ……。アンは頭が固いのではなくて? 学ぶ場がほかにあればいいのよ」
「つまり、女学院を整備する……ということでございますか?」
「そう。だって、お兄様が学院の風紀を気にしてらっしゃったもの。年頃の子を持つ、貴族の方々は賛成するのではないかしら?」
ここ数年、女子生徒を受け入れるようになってから、学院の風紀は乱れているという。毎年何組か、婚約破棄騒動を起こしているのだとか。だからシャーリーが公爵家の名で、女学院を創ろうとすれば、賛同者は集まると予想できた。
問題は、彼女が入学するまで三年しかないということだ。これはすぐにでも手をつけなければ、間に合わない。
「もう一つ、どうやら未来のわたくしは、使用人から恨まれるようです。けれど、アンと同じ基準で仕えてくれたら、わたくしが使用人を叱責することなどないと思うの。優しいご主人様でいられるわ」
発想の転換だ。人に嫌われないようにするためにはどうしたらいいのか。シャーリーは必死に考えた。彼女には、自分がわがままだという自覚がある。けれど、たった一度の人生を、我慢して過ごすのはもったいない。
だったら、周囲に変わってもらえばいい。そういう結論になった。
「ですから、使用人の教育と待遇改善に資金をつぎ込めば、結果として恨まれることなどないのよ! ふふふ、おほほほっ、おほほほほ!!」
「さすがはお嬢様。未来の王妃に相応しい発想ですわ。うふふふふ」
部屋に高笑いが響く。
二人の計画は完璧で、シャーリーにも、公爵家にも、そしてこの国にも薔薇色の未来しか見えない。
ひとしきり笑い終えたあと、アンがなにかに気がついて、シャーリーを見つめた。
「お嬢様、王太子殿下に嫌われないように、心優しく慎ましい女性になる……という件はどうなさるおつもりですか?」
女学院を創って、使用人の教育が上手くいったとしても、王太子に嫌われる、という未来は変わらない。アンはそのことに気がついたのだ。
「その件だけは、どうにも納得がいかないの」
「どういうことでしょう?」
「王太子殿下は『少し、気の強い娘のほうが好き』と言っていましたから。私は殿下の言葉を信じたいの」
彼女は誕生日直前に交わした約束を信じたかった。
「少し……、ですよね?」
「ええ、良好な関係を築く努力はいたします。でも、無理をして性格を変えるくらいならば、破談になってもかまわないと思うの」
アレックスが浮気できる環境を潰し、シャーリーが犯罪に手を染める可能性を潰す。ついでに使用人が、シャーリーや公爵家を貶めることのないように、恨みを買わないように、努力する。
そこまで成功すれば、破談になってもただの破談。性格の不一致です、で終わる話だ。
シャーリーはアレックスが好きだ。けれど彼女が好きなアレックスは、ちょっとした表情の違いに気がついてくれる彼なのだ。
嬉しくもないのに、笑っていることでしか関係が保てないのだとしたら、あまりにも辛い。
多くの時間を一緒に過ごす相手に、ありのままの自分を好きになってもらうことは、悪いのだろうか? シャーリーはそんなふうに考えた。
だから、予言よりも約束の言葉を大切にする。
そして、シャーリーとアンは十日間、寝る間を惜しんで計画を練った。
「お父様、こちらが私の破滅回避計画の概要です」
未成年のシャーリーは、両親の助けなしには計画を実行できない。そして、そもそも彼女に破滅を回避するように命じたのは父だ。彼には協力する義務がある。
「…………」
四十枚ほどの紙の束を丁寧に読んだ父は、ぽかんと口を開けている。
「予言された未来を回避するために、女学院を設立し、使用人を完璧超人にするための計画書ですが、なにか問題が?」
シャーリーの計画書では、必要な投資と将来得られる利益までざっくりと計算されている。反対される理由などないはずだ。
「いや、まってくれ……私が言いたいのは、優しい女性を目指してほしいという……」
「予言が回避できればいいのでしょう? まさか、あの予言者はいんちきなのでは……?」
「そんなことはない!」
「だったら、協力してくださいますよね? お父様」
こうして、シャーリーは女学校設立に奔走し、アンは使用人の教育に全力で挑んだ。
結果、マクラウド公爵家は女子教育の祖として、その名を歴史に刻むことになる。
そこで教育を受けた貴族の令嬢が、未来の王妃を支える女性文官や侍女になるのだから、一石二鳥のすばらしい計画だった。
使用人の再教育も順調だった。今ではアンのお墨付きが貰えることが、一流の使用人の証になっている。
他家から研修させてほしいという依頼がやって来て、公爵家は使用人育成施設となっていた。
最後に――――。
「シャーリー様、本日は王太子殿下がいらっしゃるそうです」
シャーリーとアレックスはちょうど十八歳。予言のようにはならず、それぞれの学院で勉学にいそしんでいた。
卒業まではあと半年あるが、それぞれ試験期間を終え、夏の休暇に入ったばかりだ。
日当たりのよいサロンで、シャーリーは座ったままアレックスを出迎える。
「王太子殿下」
「どうしたんだい? いつもみたいに名前で呼んで欲しい」
彼女は知っていた。アレックスがシャーリーと交わした約束を違えたことを。それなのに、彼は素知らぬふりをして、彼女の前に現れたのだ。
「わたくしと殿下の大切な約束はどうされたのですか?」
「…………」
アレックスが無言で席を立ち、シャーリーの前にひざまずく。
「すまない! 本当に、本当に君を裏切るつもりなどなかったんだ! 許してほしい」
額を床につけて謝るアレックスをシャーリーは冷めた瞳で見下ろす。裏切られたことで、涙はでなかった。
「必ず、全教科満点でなければ許さないと申し上げませんでしたか?」
そう。シャーリーとアレックスは、試験期間がはじまる前に大切な約束をしていた。近い将来国のトップになる人間として、今回の試験では必ず全教科満点を取るという内容だ。
シャーリーはそれを忠実に守ったのに、彼はミスをした。
「ごめん……、私としたことが。でも、全校生徒の中で成績は――――」
満点ではないが、成績は一番だった。そう言いかけたアレックスを、シャーリーの鋭い眼光が射貫く。
「ふふっ、わかっています。この問題、わざと間違えたのでしょう?」
アレックスが間違えたのは配点の少ない前半の、ほとんどの生徒が解ける簡単な計算問題だった。
王族として、首席は譲らない。けれど満点はとりたくない。配点の高い難問を間違えるほうが自然なのに、そうするとほかの者に負けるリスクが高まる。だからあえて前半でミスをしたのだ。
なんとも小心者で愛らしい、とシャーリーはうっとりほほえんだ。
「そんなこと、……ないよ……」
アレックスがほとんど這いつくばるような姿勢になりながら、シャーリーの足に頬をよせる。
「嘘をつくのは、どのお口かしら?」
シャーリーは靴をはいたまま、アレックスの頬を容赦なく踏みつける。そのままグリグリと頬を押し潰した。
「しょ、しょうでしゅ、しゃーりーに、しからりぇたくてぇ……」
踏みつけられたアレックスは、完全に陶酔して瞳を潤ませている。
「おほほほほっ! わたくし、昔より優しい人間になりましたの。アレックス様がお望みなら、叶えてさしあげなくてはなりませんね!」
彼の望むまま、シャーリーは踏みつける足に力をこめる。
こうしてシャーリーは不吉な予言を踏みつけて蹴散らし、ついでに婚約者も踏みつける。彼女を取り巻く世界は、今日もパーフェクトだった。
(終)