98.タタキから作るとしよう
やれやれ、こうもでかいと魚をさばくのも楽じゃない。
大きい方が神経は使わない。
けど、単純に労力は必要だ。
ミスリル製の出刃包丁をもってしてもね。
「死体でこれじゃ、生きてる時は難攻不落だろうな」
出刃包丁を拭いつつ、俺はリヴァイアサンを見下ろした。
見事な三枚おろしにしてやった。
そのうち一つを選び、残り二つはローロルンに返した。
「もっとけ。収納空間に放り込んでおけば、一週間は保つ」
「いや、返してもらっても妾は調理出来んぞ?」
「どこかの店に持ち込めば、調理ぐらいしてくれるさ。ここまで処理されたなら、あとはどこでも普通に出来るよ」
「ほう。それならありがたく返してもらおうかの。それでだ、クリストフよ。お主、リヴァイアサンでどんな料理をするんじゃ?」
興味を隠さず、ローロルンが聞いてくる。
エミリアも「私も聞きたいのですー!」と食いついてきた。
こちらは目を爛々と光らせている。
どこの肉食獣だろうか。
「タタキと天ぷらにしようと思うんだ。エミリアさんは分かるよな?」
「はいー、食べたことはないですがー。タタキって表面炙った刺し身でしたよねー。天ぷらは揚げ物の一種でーす」
彼女の即答には理由がある。
興味があるのか、エミリアは地球の料理のことを聞いてくる。
それに答えている内に、少し覚えてきたってわけだ。
興味があることは吸収も早い。
ローロルンはどうかと言うと。
「タタキ? テンプラ? おい、クリストフよ。そんな料理聞いたこともないぞ。お主何を学んだのじゃ?」
「さあ、何を学んだのかなあ。きっとお前の知らない何かだよ」
「ふがー! 妾の知識欲を刺激しおって、おのれー!」
髪を逆立てて怒っていた。
別にローロルンは料理自体は好きじゃない。
ただの知りたがりなのだ。
だから自分が知らないことがあると、食いついてくる。
エミリアには「猫さんみたいですねえ」と言われている始末。
「知らなくて当たり前だ。タタキもテンプラも異世界の料理だ。知らなくても恥じゃない」
「ほう、異世界の料理とな」
会話しながら、台所に移動する。
おろしたリヴァイアサンの切り身を観察してみた。
リヴァイアサンは水龍とも龍神とも呼ばれる。
でも食材としては魚扱いで良さそうだ。
変わった身だな、これ。
赤身と白身が交互になっているぞ。
流石は伝説の魔物ってところか。
「失敗しても怒るなよ? リヴァイアサンの調理なんて初めてなんだからな」
先に釘を刺してから、また出刃包丁を手にした。
まだ十人前以上はあるので、適量だけ切り出す。
残りは保存しておこう。
包丁の刃に絡みつくのは、リヴァイアサンの血だ。
半透明で青みを帯びている。
変わった血だな、おい。
動物というより、魚に近い。
ここはポジティブに考えよう。
魚に近いなら、普通に調理出来るだろう。
「まずはタタキからだ。さっきエミリアさんは刺し身の一種と言ったよね。あれは半分だけ正解」
「あれっ、何か間違えてましたか?」
「タタキは皮をつけたまま炙るんだよ。そういう意味では、刺し身とは言えない」
「あ、そうでしたねー」
忘れがちだが、意外とこれが重要なんだ。
さて、炙るというからには火が必要だ。
いつもなら火魔石で直接焼くが、今日は違う。
収納空間を開き、中から燃料を取り出した。
乾いた軽い手応えと共に、それを掴みだす。
枯れた白茶色の草が束になっている。
「見たこともない草じゃのう?」
「あっ、これもしかして稲藁ですかー? 微かにお米の匂いがしますねー」
「正解、稲藁を燃やして使います。ほんとに匂ったなら、大した嗅覚だよ」
「まったくじゃ。妾は何にも感じぬぞ。聖女様の鼻はすごいのう」
「いえいえ、それほどでもー。クリス様のお料理で鍛えられてますからねー」
「ほお、なるほど。お主、ずいぶんと胃袋を掴んでおるのう? この色男が」
ニヒヒと笑いながら、ローロルンが冷やかしてくる。
肘でつつくな、危ないだろ。
無視して、俺は大量の稲藁を手に取った。
うん、十分に乾いているな。
「ちょっと煙出るからどいてろよ。よし、これを使うか」
棚の下から火鉢を取り出した。
前にヤオロズがくれたものだ。
底が深い。
これならタップリ稲藁も敷けるな。
パキパキと折りながら、底に敷き詰めていく。
火魔石で点火すると、メラリと小さな炎が立ち上った。
「この火鉢に金網を置いて、その上に切り身を置くんだ。さっきも言ったように、皮つきのままな」
「あのー、クリス様ー。素朴な疑問なんですけどー。何でタタキって言うんですかー? 妙な名前の料理なのですよー」
「語源には諸説ある。棒で叩くプロセスがあるからってのが有力だ。身を引き締めるため。あるいは薬味を馴染ませるためにね。でも、中には叩かずタタキ作る人もいるらしいからな。何とも言えないね」
この辺りは俺も詳しくは知らない。
語源なんて時間が経てば、どんどん曖昧になっていく。
それを考えても仕方ない。
重要なことはただ一つ。
実践あるのみだ。
リヴァイアサンを大きめの切り身に分けた。
地球ではサクと呼ばれる形だ。
断面は赤身と白身を交互に見せている。
脂がにじみ出ており、中々旨そうだ。
いや、見ているだけじゃ仕方ないな。
金網を火鉢に乗せた。
鉄なのですぐに熱くなる。
シュウ、と白い煙が微かに立ち上ってきた。
底に敷いた稲藁が燃えているのだ。
「おおっ、何だかエキゾチックなのですー。藁がチリチリ燃えていて、何かの儀式みたいー」
「むう、本当に大丈夫なのか? このような調理法、今まで見たことも無いぞ」
エミリアとローロルンは対照的な反応だ。
前者は乗り気で、後者はびびり気味。
俺?
前者に決まってるさ。
「リヴァイアサン自体が滅多にない食材だ。それに相応しい作り方があるってもんさ。ほら、いくぞ」
切り身を金網の上に載せる。
途端に音が激しくなる。
熱で脂が溶け、それが金網から滴っているのだ。
何とも言えない香ばしさが漂う。
皮が焦げて、この香ばしさを演出するんだ。
横で見ていた二人も感嘆の声をあげていた。
「っ、うわー、美味しそうな匂いですねえ。ジリジリと身が焼けて、脂が中から滲み出てきてますよー。ほらほら、ローロルンさん。ここ、ここ見てくださいー!」
「分かっておる、聖女様。くうう、やはりクリストフに頼んで正解じゃったな。そこらの店ではこんな調理は出来ぬのう」
「そりゃ異世界の料理だからな。さて、皮に火が通ったらそれで十分」
皮の焼け具合を見計らい、俺はタタキを網から引き上げた。
冷めるまで、これは一旦待機だ。
その間に、お待ちかねのもう一品。
「天ぷらに取りかかるとするか」
絶対美味いよな、これ。