97.リヴァイアサンを解体します
「お帰りなさいー、クリス様ー。あら、そちらの方はどなたですかー。エルフさんなんて珍しいのですー」
「ただいま。こちら、俺の昔の仲間だ」
今日は早く終わったらしい。
出迎えたエミリアに、俺はローロルンを紹介する。
「ローロルン=ミスティッカだ。名前くらい聞いたことあるだろう? 何故か今日再会した」
「運命じゃな」
「呪われた運命もあったもんだ」
「おまっ、妾を邪険にするとろくな死に方をせんぞ!?」
「邪神か、お前は。それよりいいのか、自己紹介しなくて」
「おおっと忘れておったわ。妾の名はローロルン=ミスティッカという。見ての通り、エルフの魔術師じゃよ。突然の訪問とあいなったが、ご容赦されたし」
このあたり、ローロルンは意外と礼儀正しい。
一応、ある程度の礼儀作法は身につけている。
彼女がぺこりと頭を下げたので、エミリアも挨拶を返す。
「ご丁寧にどうもなのです。私、エミリア=フォン=ロートと申しますー。えー、はい。そのクリス様の婚約者ですねー。きゃっ、恥ずかしい!」
「ほお、クリストフに聞いた通りじゃな。しかし若いのう。失礼ながら、お幾つなんじゃ?」
「二十一歳ですねえ。よく十代に間違われますけどねー」
「ふむ、まだそんなお若いのか。のう、エミリアさん。こんなバツイチ三十路を捕まえる必要あるのかの? いらぬお節介かもしれぬが、どうも解せんのう」
言いながら、ローロルンは首を捻っている。
偽装婚約ということを打ち明けるか?
迷うなあ、あれは一応秘密事項だし。
こいつがどこかでポロッとこぼしても困るしなあ。
結局、そこには触れないことにした。
「当人同士の関係なので、そっとしておいてくれ。聖女の結婚相手となると、中々普通の人じゃ釣り合わなくてな。俺に白羽の矢が立ったってわけだ」
「ほう、なるほどな。ま、それだけじゃなかろう。社会的な立場があるのは、お主も同じじゃからな。おおかた、勇者がプラプラしていてはまずいとか――そんなところじゃろうな。人間というのは窮屈な生き物じゃのう。自分の気持ちより先に、周囲の状況を優先せねばならぬとは」
「大体合ってる。ついでに、最後の部分についても同意するよ。しがらみってやつだな」
軽くかわしたが、内心は冷や汗だ。
偽装婚約に至った理由を、ほぼ正確に推察している。
当てずっぽうかもしれないけど、やはり鋭い。
早めにこの話題から離れよう。
そう思った時、エミリアが口を開いた。
「ところでクリス様ー。ローロルン様も、私達と夕ご飯を共にするんですよねー? ゲストを迎えて、今日は特別メニューですかー?」
こういう顔を期待に満ちた表情と言うのだろう。
目をキラキラさせている。
その表情に、俺も気分が良くなった。
「その通り。ローロルンがリヴァイアサンを持ってきてくれた。そいつが夕ご飯の食材ってわけだ。ということで、ローロルン。庭に出てくれ」
「おお、外で調理するのか。確かに少々大きいからのう。この家の台所では、手狭かもしれんな」
「それもあるな。家で魚捌くと生臭くなるのでイヤだってのがメインだけどね。結構匂いが落ちないんだ、これが」
「お主、相変わらず細かいのう」
うへぇと言いつつ、ローロルンは外に出た。
俺とエミリアも続く。
まだ西の空は明るい。
それでも早めにこなさないと、すぐに暗くなってしまう。
ちらりとローロルンを見た。
「お前も収納空間使えたよな?」
「無論じゃ。素手で放浪、荷物いらずの便利スキルじゃ。当然リヴァイアサンもその中にしまっておる」
「了解。この芝生の上に出してくれ。あらあら解体したら、家の中に運ぶ」
「リヴァイアサン食べられるなんて、幸運なのですっ!」
エミリアが口を挟む。
待ちきれないという感情を隠さない。
「すぐには無理だから、大人しく待ってろよ」と答える。
その間に、ローロルンは収納空間を開いていた。
真っ黒い空間がポカリと口を開ける。
そこに手を突っ込み、無造作に何かを掴んだ。
「ほれ、これじゃ。幼龍とはいえ、やはりそれなりに大きかったのう」
ズル、ズルズルと音がした。
何か大きな物を引きずる音だ。
かなり重いらしく、ローロルンが顔をしかめた。
「ふん!」と気合の声をあげ、ぶんと腕を振るった。
収納空間が一瞬膨張し、中から何かが飛び出してきた。
「おお、すげーな、やっぱり。これで幼龍かあ」
「ふ、ふあっ!? こんなの、食べられるサイズなのですかー!?」
俺とエミリアの感嘆の声が上がった。
無理もない。
リヴァイアサン自体がレアな魔物だ。
海に住んでいることもあり、滅多にお目にかからない。
じっと眺める。
そうか、これがリヴァイアサンか。
青黒い体は細長く、それでいてしっかりしている。
鱗は剥がされたらしく、何枚か残っているだけだ。
胸びれと背びれは小さいが、尾びれは上下にピンと張っていた。
全長は俺より少し大きいくらいだ。
魚として考えるならかなり大きい方だ。
しかし、これでも幼龍に過ぎない。
大人になれば、この庭からはみ出すだろう。
"ちょっと拝見"
しゃがみ込み、頭部を軽く触ってみた。
しっかりした頭骨がある。
丸い目はどこか無機質っぽさがあった。
ドラゴン特有の生々しい目ではなく、魚に近い目だ。
海で暮らしているので、それも当然かもしれない。
顔を上げ、ローロルンに聞いてみた。
「鱗が取られているけど、これは最初からか?」
「いや、裏ルートで売りさばいてきたんじゃ。あのグランとかいう男が手伝ってくれての。手早く済んで助かったわ」
「ああ、そういうことか」
納得した。
リーリア夫人の下で、グランは色々と情報収集もしている。
裏社会にも顔が利くのだろう。
今度あったら、ねぎらってやらないとな。
それはさておき、まずは目の前の獲物からだ。
しゃがみこんで、試しにえらの辺りに包丁を入れた。
「よいしょっと。あ、やっぱり普通の包丁じゃ駄目か」
「歯が立たないんですかー?」
エミリアが覗き込む。
彼女の言う通り、包丁が役に立たない。
薄皮一枚がいいところだ。
それなら、久しぶりにこいつを使うか。
「収納空間オープン」
「お主、一々声に出さんと出来んのか? それともそれがイケてると思っておるのか。子供じゃのう、ククク」
「雰囲気だよ、雰囲気。余計なお世話だ」
ちゃかすローロルンは無視だ。
収納空間から、とっておきを取り出した。
ずしりと重い手応えが心地よい。
分厚い刃が澄んだ光を放つ。
これなら間違いないはずだ。
「これだよ、これ。久しぶりに使ってやるぞ」
「うわあ、何ですかこれ。まるでナタみたいですよー!?」
「お主、こんなものまで持っておったのか。包丁というより、武器じゃのう」
そう、はっきりいって武器に近い。
俺が取り出したのは、ミスリル製の大きな出刃包丁だ。
素材としては、鋼より数倍切れ味がいい。
しかも包丁の分厚さも相当ある。
これで駄目なら仕方ないさ。
「よーし、ちょっと待ってろ。今解体して、美味しくいただいてやるからな」
リヴァイアサンでも、これならいける。
さあ、どう料理してやろうかな。
バッサバッサと切り裂いて、タタキと天ぷらにでもするか。