95.グラン=ハースのある一日
古びた木製のドアを開けた。
中へと滑り込む。
ほとんど足音を立てていない。
そのままカウンターへ移動し、受付嬢に声をかけた。
「こんにちは」
受付嬢が振り向く。
ハッとした表情だ。
こちらの存在に気がついていなかったらしい。
「こんにちは、グランさんっ。ああ、びっくりしました。全然気配がしないんだもの」
「足音は殺していましたから。でも姿が見えないわけじゃないですよ。ちゃんと見ていれば、気がついたと思いますが」
暗に不注意だと指摘する。
それに気がついたのか、受付嬢は顔を赤らめた。
もちろんグランもこれ以上言う気はない。
「ギルド長は?」と短く尋ねた。
「二階のご自分の部屋におります。ただ、現在はお取り込み中ですね。お急ぎでしょうか?」
「いや、いつも通り顔見せに来ただけです。来客中なら、後にしましょう」
深くは聞かなかった。
冒険者ギルドにはその特性上、さまざまな客が足を運ぶ。
それを一々知ろうとするのは不粋だろう。
受付嬢もそれは承知の上だったらしい。
「申し訳ありません、ご足労をおかけしまして」とさらりと流す。
「いえ。ではまた」
そう言って、グランは帰ろうとした。
だが、大きな声がその足を引き止める。
二階からだ。
綺麗な女性の声だが、普通ではない怒鳴り声だった。
「何でじゃ、ここは冒険者ギルドじゃろうがあー! 魔物の素材買い取りくらい、お手のもんじゃろうがー! 何で当たり前のことが出来んのじゃー!」
「な、何だ?」
呆然とし、グランは足を止める。
周りの冒険者達も二階を見上げていた。
その間にも女性の声は続く。
「リヴァイアサンじゃぞ、素材としては極上じゃろうがっ! 牙でも鱗でも何でも、高値で売れると聞いておるぞっ。それが買い取りさえ出来ないとは何じゃー! お主それでもギルド長かえ!?」
「落ち着いてください、ミスティッカ様! 買い取り出来ないとは言っておりません。ただ、このような高ランクの魔物ですと順序がありますっ。国に届け出をした上で、処理の段取りをつけねばならないのです。それくらいインパクトのある魔物なので、ご容赦くださいっ!」
必死に返答しているのは、ギルド長だろう。
ただならぬ雰囲気が二階から伝わってくる。
「それくらい知っておるわ! それが面倒じゃから、ここで秘密裏に処理せえと頼んでおるんじゃっ。それにほれ、リヴァイアサンと言っても幼龍じゃぞ? これ、この通り荷馬車に乗る程度の大きさに過ぎぬ。これくらいどうにかせんか!」
「うわあああ、部屋の中で出さないでください! ああっ、この前買ったばかりのテーブルセットがびしゃびしゃに!」
「うろたえるな、ただの海水じゃ。拭けば良いわ、拭けば。ほれ、風系呪文で乾かしてやるからの。そう怒るな、ハゲが進行するぞ?」
「これ以上はハゲようがないんです! そんなもん見れば分かるでしょうがっ!」
深刻なやり取りなのかもしれない。
同時に、どうでもいいような気もする。
グランは腕組みをする。
彼が関わる義理は無い。
だが、このまま立ち去っていいのか。
ミスティッカ=ローロルンと言えば、そう。
確かあの勇者クリストフの仲間である。
とりあえず受付嬢に話しかけてみた。
「君が黙っていても、客が騒いじゃ台無しだね」
「は、はは、そうですね。あれー、変だなあ。大人しそうなエルフの女性だったのに」
「人は見た目によらないんだよ」
肩をすくめる。
自分が仕える主人の姿を思い浮かべた。
黙っていれば、リーリアもうら若き侯爵夫人である。
ただし、言葉と行動がその肩書を裏切るのだが。
それはともかく、どうしたものか。
数秒考え、諦めたようにため息をついた。
「このままじゃまとまる物もまとまらないかな。二階に上がるよ、いいよね」
「えっ、グランさん死にに行く気ですか!? 危ないですよ、止めてください!」
「いくら何でも大丈夫だろう。ほら、あのクリス様の仲間だし」
「で、でもあのエルフの人はちょっと変人っぽさがっ」
「こういう時に命を張るのは、年長者の役目ってね。じゃ、世話になったな」
「グ、グランさんーっ! いやぁー、私を置いて逝かないでぇー!」
茶番劇を後にして、グランは階段に足をかけた。
なお、ここは真っ昼間の冒険者ギルドである。
戦場でもダンジョンでもない。
それでも怖いことには変わりない。
恐怖を振り切りながら、一気に階段を上る。
怒声のやり取りは、まだ続いていた。
「冒険者ギルドも落ちたもんじゃのう。国の犬に成り下がり、へえこら頭下げて生きておるのか? あー、やだやだ。ルールばかりを前面に立ててばかりで。仁義や人情はどこに行ったのやらのう。とかくこの世は世知辛いー」
「好き勝手言わないでいただけますかっ!? 組織だって大きくなれば、ルールに則って動く。そうしなければ、皆混乱するからですよっ。冒険者ギルドだって同じだ! うちに持ち運ぶより、国に届け出て下さいよ! あなたも英雄の一人なら、ルール守って!」
「その英雄がこうやって拝んでおるんじゃろうが!? か弱い女の頼みさえ聞けんとは、何たる甲斐性無しなんじゃ。情けないのう、涙が出るわっ」
「か弱い? 一人でリヴァイアサンを倒しているのに? しかも、もういい年齢になってるのに?」
「ききき貴様っ、言ってはならないことを言うたなあー! 誰がロリババアじゃ、このクソハゲ親父がぁ!」
「ロリババアとまでは言ってはいませ……!」
「はい、そこまでー。すいません、失礼します。こんにちは、ギルド長。お初にお目にかかります、ミスティッカ様」
タイミングよく、グランは部屋の扉を開けた。
ドスンバタンという音が止む。
部屋の中央で、一組の男女が向かい合っていた。
ハゲ頭の中年男は、グランも良く知るギルド長だ。
もう一人は、なるほど確かにエルフである。
サラサラと流れる白金色の髪に、まず目を奪われた。
前髪の間から、切れ長の紫色の瞳がこちらを見つめている。
「なんじゃ、お主は? 邪魔する気かのう」
「いえ、どちらかと言えば違います。ちょっと仲裁に入ろうかなとね」
「おお、グランさん! いいところに来てくれた!」
ローロルンに睨まれ、ギルド長には頼られる。
今日は厄日かと思いつつ、グランは一歩踏み込んだ。
ギルドから得られる情報は貴重だ。
壊されては困る。
「かの高名なローロルン=ミスティッカ様の頼みとあらば、どうにかしたいのは山々です。それはこのギルド長も同じこと。しかしながら、彼にも立場がありまして。そこで、どうにか落としどころを見つけたい次第です」
「落としどころじゃと? まったく四の五のめんどくさいのう。じゃが、うむ。気に入ったぞ、人間。その度胸に免じて、話を聞いてやろうぞ」
「ありがとうございます。ああ、自己紹介が遅れましたね。グラン=ハースと申します。今はエバーグリーン侯爵家に仕えております」
「悪いが、人の世の権勢には興味が無いのでのう。妾が興味があるのは、実利のみじゃ。おお、あとは美味いものにも目がないがの」
「ほう、そうですか。美味いものですか」
ピンと来た。
ローロルンと目が合う。
白金色の髪をかき上げながら、エルフは微笑する。
「うむ。じゃからの、わざわざこんな騒がしい王都まで来たんじゃ。グランとやら、お主、クリストフを知っておるか? 用が済んだら、あやつの元に案内してくれんかの」
「ええ、はい。なるほど、美味いものとくればね。食材は既にお持ちなわけですしね」
「察しがいいのう、お主。そうよ、リヴァイアサンなど調理出来るのは、あやつぐらいじゃろう。ちょっとおかしなやつじゃが、料理の腕は確かじゃからの」
「ええ、はい」
おかしいのは貴女ではと言いかけた。
が、それは口には出さなかった。
グランはただ頷く。
誰だって命は惜しいのだ。
「それでは少々お待ちを。魔物の素材取引の算段を整えますから」と言って、ローロルンを部屋から押し出す。
なるべく早く、このエルフの用事を済ませるとしよう。