93.四人で過ごす夜を花火で
あー、びっくりした。
モニカが大声あげるところ、初めて見たかも。
俺とエミリアが注視する中、モニカは息を切らせている。
ハァハァという荒い息は、どこか色っぽい。
「美味しそうだなとは思ってはおりました。ですが、まさかここまでとは予期していませんでした」
口を開く。
静かな、だがしっかりとした口調だ。
藍色の髪を軽く払い、モニカは話し続けた。
「鉄板で程よく焼かれ、生地はどこまでも香ばしく。そして、具であるこの明太子とじゃこの素晴らしいこと。ほんのりと塩辛く、そしてそれだけではありません。海の幸特有の芳醇な味わいが、個性を主張してきますよね。さっぱりとしていながら、それだけじゃないんです!」
「すっかり気に入ったようだね。そこまで味わってくれたなら、俺も満足かな」
「気に入ったなどというものではありません、クリス様っ。それに何ですか、このポン酢しょうゆの見事さは。爽やかな柑橘の酸味が、最後の一口まで効いてきます。散らしたネギもピリッと小気味いいですね。何故これほどの料理が、屋台で食べられるんでしょうか!」
「何故って、いや、俺が作ったから? だよなあ、エミリアさん」
「えー、きっとモニカの言いたいこと、そうじゃないと思いますよぉ」
水を向けると、エミリアにあっさり否定された。
そうなの?
恐る恐るモニカを見る。
返答は早かった。
「エミリア様の言う通りです、クリス様。これは正式な晩餐に供されても、何らおかしくありませんよ。それが夏祭りの屋台でとか、他の店潰す気ですか? まあ、それは冗談ですけれど」
「そんな大層なもんじゃないけどなあ」
「いえ、これは好きな人はとことん好きです。メイドの名誉にかけて断言いたします」
「そ、そうですか」
何故か敬語になってしまった。
ともかく、モニカが気に入ってくれたのは嬉しい。
そういえば、エミリアが静かだ。
さっきからずっと黙っている。
「どうかしたのか?」と声をかけた。
「いえ、私、ためらっているんですよー」
「ためらうって何に?」
「このもう一本のスティックお好み焼きを食べてもいいのかどうか、ですー。モニカがこれほどまでに激賞するんですよぉ? 私が食べたら、この世に戻ってこれるかどうか……それが不安でっ!」
「劇薬みたいに言うのは止めろ。そしてつべこべ言わず、さっさと食え。ほら」
ああ、まだるっこしい。
俺は明太子じゃこを奪い、エミリアの口に突っ込んだ。
「もがっ!?」と目を白黒させたが、すぐに諦めたようだ。
一心不乱に味わい始めた。
「ふおっ、これは確かにっ。豚玉とはまた違う、あっさりさっぱりの極地っ。ぷつりと弾ける明太子の歯ごたえ、面白いですー。そこにじゃこがすっと塩気を加味してきて……! 隙が無いー!」
「ですよね、やばいですよね、エミリア様!」
「モニカが魅了されたのも分かりますー。これ、はまりますねー! ソースじゃなくてポン酢しょうゆというのも良しっ。生地にさらりと乗り、全体を爽やかにまとめてますねー! お酒も進みそうな味なのですっ」
「駄目です、エミリア様、それを言っては! 冷えたエールを一口ぐびっといって、そこにこのお好み焼き……想像するだけで胃にきます……」
「やだ、モニカしっかりしてくださーい!」
あ、やばい。
呆気にとられている間に、モニカさんが気絶してしまった。
へたりと芝生に座り込み、へなへなと横たわる。
放置する訳にもいかないが面倒だなあ。
「あーあ、エールにお好み焼きとか想像するから」
「クリス様ー、それ禁句ー!」
おっと、エミリアに怒られてしまった。
「悪い悪い」と謝っていると、ライアルが戻ってきた。
少しの間だけ、屋台から離れて休んでいたようだ。
「ただいま。あれ、どうしたんだい。モニカさんが倒れているけど?」
「冷えたエールとお好み焼きを想像して、頭のネジが吹っ飛んだらしい」
「それは美味しそうだね、うん」
いやにあっさりしてるな、ライアルは。
そうか、思い出した。
こいつ元々、食べ物にそんなに興味ないんだ。
ちょっと試してみるか。
「ライアル、このスティックお好み焼き食べるか。まだ残っているぞ」
「え、いいの。うわー、いい匂いだな、これ。匂いって重要だよな。一口目を期待させる仕掛けって感じでさ」
いい匂いって、お前さっきまで屋台にいただろ。
天然ボケなのだろうか。
発言はまともだが、感想は期待出来そうもない。
そう思っている間に、ライアルはスティックお好み焼きを食べ始めた。
腹は減っていたらしい。
まずは豚玉からだ。
「食べやすくていいね、これ。キャベツと豚肉って合うよなあ」
「え、それだけ? 他に感想は?」
「美味しい」
お前の語彙力どこいった。
一瞬ポカンとしちまったぞ。
その間に、ライアルはもう一本に取り掛かる。
すなわち、さっぱり風味の明太子じゃこだ。
「お、こっちはちょっと辛みがあるんだな。サクッと食べられて、これもいいね。あとは好みの問題だよな」
「そ、そうか。他に何か無いか? 例えば冷えたエールに合いそうとかさ」
「冷えたエールに合いそう」
「うん、分かった。期待し過ぎた俺が馬鹿だった」
きっと疲れているのだろう。
ライアルは味覚はまともだが、今日ばかりは駄目だ。
どこか表情が鈍い。
人混みに疲れてしまったのだろう。
うん、と言うか、ちょっとホッとした。
「俺、お前が絶賛しなくて良かったわ。そうだよな、それくらいの反応が平均だよな。よく働いてくれたよ、うん」
「え、あれ。俺、何か悪いこと言ったかな? ねえ、エミリアさん?」
ライアルはキョトンとした顔だ。
エミリアがその肩をポンポンと叩く。
「いいえー、ライアルさんはそれでいいんですよー。軽い感想の方が心の負担にならないってことです、はいー。あ、そうだ!」
「どうした?」
俺の声にエミリアが振り向く。
何かの期待に満ちた表情だ。
「そろそろ花火が終わりますよー。せっかくですし、見に行きましょうー」
「あ、もうそんな時間か。確かにもったいないな」
考えてみれば、今年はほとんど夏祭りを楽しんでいない。
せっかくの機会だ、ちゃんと見るものは見よう。
「ライアル、モニカさん背負ってやったら? そこにへたり込んでるからさ」
「え、うーん。そうだね、寝かせておいたら危ないな」
「頼むよ。さすがに俺は疲れた」
声をかけながら、たすきをほどく。
あー、ホッとした。
こうしてみると浴衣ってのは中々いいな。
袖が広いので、そこに手を突っ込む。
うん、異国の服っぽい着こなしだ。
裾が長いので歩きづらいが、それくらいは我慢する。
「へー、クリス様ってそういう服も似合うんですねぇ。ちょっと悔しいのですー」
「いや、正直自信無いけどな。これ初めて着るしさ」
エミリアに答えながら、俺は自分の格好を見る。
確かに情緒はあるけど、これで良かったのだろうか。
周囲の人からも視線を感じる。
やっぱり目立つか?
「ま、今更か。おーい、ついてきてるか?」
背後に声をかける。
ライアルはちょっと遅れ気味だ。
「見失わない程度にはね。モニカさん、そろそろ起きて」
「ん、んん、あれ……きゃっ、私なんでおんぶされてるんですかっ!?」
「なんでって、失神したからですよー。お好み焼きと冷たいエールなんて言うからー」
エミリア、からかうのはそこまでにしとけよ。
「ほら、上がったぞ」と俺は全員に声をかける。
ライアルが上を向いた。
モニカはおぶわれたまま、それに続く。
パッ、パパッと華やかな光が夜空を満たした。
赤く黄色い閃光が走り、暗闇を切り裂いていく。
「あっ」とエミリアが小さく叫んだ。
その顔が花火の光に照らし出された。
続いて、低い音が響く。
ドン、ドドドン――もう花火の光は消えていた。
「綺麗だけどさ、すぐに消えちまうんだよな」
何となく呟いた。
見上げた夜空には次の花火。
青と紫の火の滝が流れ落ちる。
華やかで、でも切なくて。
「それがいいんですよー。瞬間の芸術ですからねー。記憶に焼きつけて、来年まで取っておくんですー」
「へえ、いいこと言うね」
「当然。何たって聖女ですからっ」
「食いしん坊のな」
「くっ、ど、どうせそうですよーだ。クリス様のお料理に夢中で、ぞっこんなんですー」
あーあ、エミリアのやつ開き直りやがった。
ふいと顔をそむけて、何かぶつぶつ言っている。
「エミリアさんさ……いや、いいや」と俺は黙った。
"君はそのままでいいよなんて、わざわざ言わねえよな"
ちょっと恥ずかしい気もするし。
「最後の花火ですよー!」と誰かが叫ぶ。
見合わせたように、全員が顔を上げた。
一際大きな花火が上がる。
緑、青、橙色の大輪の華が咲いた。
夜の暗闇が一瞬だけ昼へと変わった。
今の俺には、大切な人ってのが何なのか分からない。
でも、こういう時間を誰かと過ごせるってのは……きっといいことなんだろう。
ちらりとエミリアの横顔を見る。
いいさ、将来のことは将来のことだ。