88.夏祭りは特別な服で楽しもう
夏祭りに初めて参加した時は、そりゃ嬉しかったもんだ。
俺の田舎とは違い、王都で見る祭りは格が違う。
人も多いし、演出も凝っている。
賑わう群衆の顔は喜びに溢れ、活気が街を満たしていた。
それは今も変わらないと思う。
「クリス様ー、こちらは準備オッケーですー」
「おう」
エミリアに短く答えながら、辺りを見渡す。
まだ客がくる時間じゃない。
思い出を目の前の光景に重ねた。
あの時は、まさか自分が屋台やるなんて思わなかったな。
人生分からないもんだ。
「どうしたんですかー、ぼーっとして。はっ、まさか私のあまりの可愛さに見とれているのではー!」
「どこをどうやったら、そういう結論に至るんだ?」
「うふふ、だって今日の服、お気に入りなのですよー」
ご機嫌な笑みを浮かべ、エミリアは両袖を持ち上げた。
屋台を手伝うということで、執行庁が用意した服だ。
肘から手首の辺りが広がり、ゆとりがある。
足首まであるロングスカートには、細かい刺繍が施されていた。
へえ、悪くないね。
「確かに良く似合ってるね」
「そうでしょう、そうでしょうー。女の子は誉めて伸ばすものなのですよー」
「着たきり雀のローブ姿よりは、まだこっちの方がましかな……」
「何でそこで落とすんですかぁー!? あれは制服だから、仕方ないんですよぉ! 私だってお洒落すれば、これくらいはっ」
「エミリア様、お声が少々」
横からモニカがたしなめる。
彼女の服も、エミリアと同じものだ。
売り子が可愛くなければ、売上は期待できない。
「モニカさんも結構いけてるね」
「そうですか。本人としては、かなり気恥ずかしいんですよね。これ、もっと若い方向けの服でしょう。私なんかが着ても、無理があるんじゃないですか?」
「自分の価値の限界を決めつけちゃいけない。聖女の私が言うのです、間違いないのです」
「もっともらしいこと言ってるけどさ。これ、単に服が似合うかどうかだけだからな?」
ドヤ顔でエミリアが宣言するので、釘を刺す。
すぐ調子に乗りやがる。
すると、余裕の笑みでかわされた。
「いいじゃないですかー。服でも何でも、自分に自信を持つことはいいことなのですー。可愛い服が似合うということは、つまり本人が可愛いのですよー」
「えええ、ますますいたたまれなくなるのですが」
「ああ、はい。そういうことでいいかな。そろそろお祭り始まるぞ。心の準備はいいか? ライアル、そっちはどうだ?」
声のトーンを落として呼びかけた。
少し離れた場所から、ライアルがこちらへ顔を向ける。
こちらも祭りらしく、ちょっと着飾った格好だ。
「いつでも大丈夫。立ち見客を屋台に誘導すればいいんだろ」
「ああ。接客は女性陣に任せているからな」
「了解。ところでクリス。その服は一体なんだい?」
ライアルの右目には困惑の色があった。
いや、言いたいことは分かるよ。
俺が同じ立場なら、やっぱり聞いていたと思う。
エミリアとモニカも、しげしげと俺の服を見つめる。
「それ、涼しそうでいいですねぇ。変わったデザインだなぁと思っていたんですよー。地球って面白い国ですねー」
「ヤオロズさんからいただいたのですよね。風変わりで、ある意味お祭りっぽいです」
「それ以上言うな。俺も調子に乗りすぎたとは思っている」
反省しても後の祭りなんだがな。
「やっぱり斬新過ぎるよな」と唸り、自分の服をじっと見つめる。
この服にはボタンがない。
そのため、前がスカスカした感じがする。
左前に合わせて、腰のあたりで白い帯を巻いて留めている。
しかもこの服、ズボンにあたる部分がないんだ。
裾がやたら長い羽織りといえば、イメージが近いだろうか。
「なんかさ、地球のお祭りではこういう服を着るらしいんだよ。浴衣って呼ぶんだってよ」
着心地は悪くない。
素材は黒染めした麻なので涼しい。
足元を見る。
こちらも今日は靴ではない。
草履という植物で編んだサンダルを履いている。
うん、別に気に入らないわけじゃないんだ。
ただ、ヤオロズの口車に乗せられた感は否めないな。
「これ、この帯だけで服を留めているんですねえー。何だか頼りないですねー。というか、よく結べましたねー?」
「角帯結びって言うらしい。必死こいて覚えた」
「クリス様、そういうところ器用ですよねー。うーん、しかしなるほどー」
「何がなるほどなんだ、エミリアさん」
俺の問いかけに、聖女はにんまりと笑った。
「これ、胸元の合わせ目からちらっと見えそうですよねー。全体に漂う緩さが、何とも男の色気を醸し出していてー。女性客を魅了して、がっつり売上作戦なのですねっ!」
「別に狙ったわけじゃねえよ。足元動きづらいし、後悔してなくもない」
「その割には脱がないんですねー」
「誤解を招くような発言はよせ。祭りだから、普段と違う服にしたかったんだよ」
会話を強引に終わらせ、俺は袖から紐を取り出した。
かなり長めの白い紐だ。
端を口にくわえる。
脇の下を通し、背中から反対側へとくるっと回した。
最後に脇の下で結わえると、袖が上手く畳まれた。
よし、これで手を動かしやすくなったぞ。
この一瞬の変わり身に、モニカが驚く。
「あら、ずいぶん軽快になりましたね。雰囲気が全然違いますよ」
「たすき掛けという結び方だ。服の袖が邪魔になるから、そのための応急処置だな」
「ああ、鉄板に触れると危ないですからね」
モニカの言うとおりだ。
袖が長いので、そのままだと危なっかしい。
「あっ、腕まくりすると男らしいですねえ。屋台のご主人って感じですよー」
「ほんとだ。とても世界を救った勇者に見えないな」
「でもその服似合ってますよ、クリス様」
色々言われるけれど、問題なし。
良くも悪くも、俺達の間に遠慮はない。
そうこうする内に、祭りの時間が近づいてきた。
夕焼けが徐々に消え、東の空から暗くなる。
「明かりはあるんですよねー?」
「無いとまずいだろ。ほら、点火し始めたぞ」
エミリアに答える。
何人かが俺達の前を横切っていった。
夏祭りの運営側の人間だ。
彼らが手をかざすと、ポッと黄色い明かりが灯る。
光魔石による灯火だ。
その光が足元を照らしだす。
「雰囲気出てきたね」
ポソリとライアルが呟く。
「そうですね、お祭りっぽいですね」とモニカが相槌を打つ。
その間に、人工の灯火はくるくると回り始めた。
高価な光魔石だが、結構な数を使っているらしい。
芝生があちこちから斜めに照らされる。
その角度も瞬時に変わる。
「さて、そろそろ来るかな。準備はいいか?」
たすきの具合を確かめながら、俺は皆の顔を見た。
「はーい、大丈夫ですよー」とエミリアが手を挙げる。
ライアルとモニカは頷きで応えてくれた。
四人の視線が交錯する。
「めったにない機会だ。うんと楽しんでいくか」
自然と笑顔がこぼれた。
その時、ドッと周囲が沸いた。
歓声と共に、暗い夜空が明るく染まる。
赤、青、黄色の細い火が舞い、大きな華が暗闇を背景に咲いた。
ドドン、と一拍遅れて轟音が炸裂する。
ああ、花火かと思う間もなく、誰かの声が響き渡った。
「開門しまーす。一般の入場者の方は、こちらへー!」
お待ちかねの夏祭りの始まりだ。
生地の入ったボウルを引き寄せる。
あらかじめ熱しておいた鉄板の上に、中身を素早く注ぎ込んだ。
ジュッ、と鉄板から音が立つ。
白い煙がすぐに消え、香ばしい匂いが立ち上る。
よーし、練習の成果を見せてやるか。




