83.異世界の神と現実の同居人
目をゆっくりと開けると、ホッとした。
いつもの地下室だ。
照明も眩しい電灯ではなく、ランタンの明かりだ。
全く、この感覚だけは慣れないな。
体を無理に動かしたわけじゃない。
ただ異世界を垣間見ただけだ。
それでも終わると安心感がある。
"気分はどうだい?"
"大丈夫だ。ちょっと目眩がするだけ"
"ふむ。頑丈になったね"
"くしゃみ鼻水鼻詰まりもする"
"それはただの風邪だよ"
"冗談だよ"
ヤオロズに答えて、肩を軽く回した。
いや、目眩がするのは本当だよ。
それでも昔に比べたら、全然大したことない。
うん、よし。
ヤオロズの助力もあって、屋台のメニューは決まった。
ただ、あのくるくる巻く工程だけは、少し練習しないと無理だな。
おっと、一つ忘れていた。
"なあ、ヤオロズ。あのゴムべら使って、巻いてただろ。あれ、貸してくれないか?"
"うーん、食材以外のものはあまりあげたくないんだが……いいよ。ゴムべらくらいなら、害はないだろう"
"悪いね。あれがないと、ちょっと難しそうなんで"
あまり飛び抜けた技術を持ち込むと、こちらの世界に悪影響を与える。
以前、ヤオロズはそう言って俺を戒めた。
ゴムべらについては、ぎりぎり許容か。
今回は大目に見てくれたようだ。
俺の前に、ころりと白いゴムべらが転がる。
"大事に使うんだよ。そうそう、レシピも渡しておくよ。忘れないように、記憶領域に刷り込んでおこう"
慣れたもので、俺も特に返事はしない。
さっき見た手順が頭に焼き付けられる。
あとは反復練習して、体に覚えさせればいい。
"さすが神様、色々出来るね。ところで前に聞いた気もするけどさ、質問があるんだ"
"何か"
"地球からこちらの世界に、絶対に持ち込んではいけないものってあるのか。神様の間のルールで禁止されているというかね"
ふと気になったので、聞いてみることにした。
数秒ほど置いて、ヤオロズの声が聞こえてきた。
どこかためらいがちな響きがある。
"機械や電気機器は原則禁止されている。分かりやすく言えば、自動車やテレビなどだね。そもそも持ってきても、こちらで動かせないだろうし"
"ああ、そういう大物があると生活が一気に変わりそうだしな。他には?"
"武器の類はもっと厳しいね。命のやり取りは、お互いの世界の技術だけで行うもの。その考え方に基づく"
"何となく分かる"
映像だけだが、地球では色々な武器がある。
特に銃と呼ばれる武器には、驚かされた。
引き金を引くだけで、遠くの標的が弾け飛ぶんだ。
あれが導入されたら、戦闘の常識は一気に覆る。
攻撃呪文の重要性は低下し、剣や槍も不要になりそうだ。
興味がなくもないが、正直怖いね。
ぞっとしたまま、俺は礼の言葉を口にした。
"ともかく、相談に乗ってくれてありがとう。あとは何とか頑張ってみるさ"
"どういたしまして。屋台が上手くいくといいね"
"上手くやるとも。じゃ、また"
返事と共に、会話を終わらせた。
精神にかかる負荷が消える。
不意に、先程見た親子のことを思い出した。
本当に和やかに、あの二人は料理を楽しんでいた。
日常そのものだ。
世界が違っても、人の営みはあまり変わらないのだろうね。
† † †
「遅いですよぅ、クリス様ー」
地下室から戻ると、エミリアがぶんむくれていた。
食卓を見ると、夕ご飯は食べ終えたらしい。
とすると、怒っている理由は空腹だからってわけじゃない。
「仕方ないだろ、ヤオロズと話していたんだからさ。今回の屋台の件で、色々相談に乗ってもらっていたんだ」
「それは分かってますよー。でも、一人でご飯食べても美味しくないですー」
「子供じゃないんだから」
苦笑するが、分からなくもない。
特にエミリアはその傾向が強い。
ライアルやモニカはあまり気にしない方だと思うが。
自分がわがままを言っている自覚はあるのだろう。
寂しがりの聖女は「どうせ私は子供ですからー」とちょっといじけた。
「じゃあ立派な大人になるんだな。ご両親とも仲直りしたんだし、そろそろいいんじゃないか?」
「うっ、そ、その節は大変お世話になったのですよっ」
「それはいいけど。俺、ご飯まだだから食べさせてもらうよ。話は後でいいか」
「はーい、屋台のお話ですよねー」
「うん。メニューが決まったからね」
答えながら、俺は食卓につく。
今日の晩ごはんは、豚の生姜焼きとポテトサラダだ。
生姜焼きはよく作る。
分かりやすい味なので、エミリアも飽きないらしい。
もちろんご飯とお味噌汁もある。
食べながら、エミリアに聞いてみた。
「ポテトサラダどうだった?」
「美味しかったですよー。ポテトがこれでもかっと細かく潰されて、すごく滑らかでー。今日はマスタードが効いていて、ピリッと味にアクセントがありましたー」
「なるほど、いつもは無いと」
「いえいえ、そういう意味ではなくてー。優しい味わいがキリッと引き締まり、別の良さがっ。そう、普段はぽやーんとしているクリス様が、お料理では別人みたいなー」
「何故そこで俺が出てくるんだ。しかもぽやーんとしているって」
「例えですよ、た と え」
「妙な節をつけて言うなよ」
テンポのいい会話を挟みながら、ご飯を口にする。
生姜焼きの後にご飯を食べると、タレの後味が絡んでくる。
うん、今日も上手く調理出来ている。
俺自身は一人で食べても、そこまで気にしない。
毎日毎日だと滅入ってくるけど、時々ならね。
どちらかと言えば、そうだな。
食べてくれる相手がいる方が重要だ。
料理作っても、自分しか食べる人がいないのは虚しい。
「そういう意味では、エミリアさんがいて良かった」
つい、しみじみしてしまった。
くるりとエミリアがこちらを向く。
「なになに、今頃私の素晴らしさに気がついたのですかー。ふふふ、そうでしょうそうでしょうー。可愛くて何でも食べて一途で優しいですからねえー。どうですか、クリス様ー、お買い得ですよぉー」
「ああ、うん、そうだね。そのとおりだね」
「気持ちが入ってないー! 女の子に辛くあたるなんて、ひどいのですよおー!」
「そうか、そうか。悪かった、悪かった。よし、これで満足か?」
「だーかーらー、いけないのはそういうところですー! ううう、クリス様の意地悪ぅ」
「泣くことは無いだろ、泣くことは」
前言撤回だ。
とはいえ、こんな風にバカ話するのも黙っているよりはいい。
無言で感謝しつつ、最後の一口を終える。
食器を片付け、俺はエミリアの向かいに座った。
「屋台で出す料理、決まったよ」
「ほんとですかっ。それで、それで!」
「お好み焼きにしようと思うんだ。それも普通の円形じゃないやつ」
「普通じゃない? つまり三角錐とか星型なんですねー! お洒落なのですー!」
「そうそう、見た目は大事だからね。って、ちげーわ。そんなん作らねーわ」
「ノリツッコミありがとうございますー。それで実際はどんなのを?」
答える前に一拍置く。
エミリアはこちらに身を乗り出している。
「スティックお好み焼きにしようと思う。棒に挿して、片手で食べられるんだ。これならお祭りの雰囲気出るしね」
せっかくの夏祭りだ。
珍しいもの作って、どーんと盛り上げてやろう。