82.日本のある家庭の風景
お好み焼きという料理がある。
水に溶いた小麦粉を生地に使う。
これを鉄板の上に流し、好きな具を乗せて焼く。
専用のソースがあり、これをかけるとやたらと美味い。
高級感は全くなく、庶民の味の代表格だ。
"お好み焼きは作ったことはある。まさかスティック状のやつがあるとは知らなかった"
お好み焼きの形状を思い出す。
ほぼ円形だ。
溶いた小麦粉が広がって、自然とそのような形になる。
あれをスティック状にするのか。
"今ほんとに出来るのかと思ったかい"
"正直に言うとな。生地が崩れそうな気がするんだが"
"ちょっとコツはいるが、練習すれば大丈夫だよ。何より片手で持てるから、お祭りには向いているね"
もっともだ。
これが可能なら、さっき挙げた懸念はクリアされる。
お好み焼きなら味も万人受けするし、人気は出るだろう。
よし、まずはやってみるか。
"レシピもらえるか。あと、実際の調理風景を見せてくれると助かる"
意を決して頼み込む。
今回はヤオロズからの情報伝達が必要だ。
百聞一見にしかず、この目で確かめたい。
"いいとも。多少負荷がかかるが構わないね"
"覚悟してる"
短く答える。
ヤオロズが俺に情報を伝える時、まったくノーリスクというわけではない。
受ける俺の方に負荷がかかってくるんだ。
最初はしんどかったな。
慣れたから、今なら大したことはない。
"そうだね。最初はひどかったなあ。ちょっと教えただけでも、フラフラになっていたよね。あれは面白かった"
"昔のことだろ。それに全く常識も概念も異なる情報を、脳に詰め込んだんだぞ。そりゃ疲れるわ"
" いや、そうだね。常人だと拒絶反応を起こしかねなかった。大したものだよ、君は"
ヤオロズの誉め言葉が徐々にフェードアウトする。
部屋の隅のランタンの火が、急に暗くなった。
視界が揺らめく。
この瞬間、俺はいつものように目を閉じた。
自分の体の中心に、意識を集中させていく。
"準備完了。いつでもいいぜ"
"了解。ごく短時間だ。集中して見てくれ"
ツ、と俺の意識は反転した。
† † †
目の前が明るくなった。
視界に飛び込む光景は、見慣れた地下室ではない。
どこかの家庭の一室だろう。
白っぽい明かりが、天井から降り注いでいる。
電灯か。
ランタンなどとは比べ物にならない。
その人工的な光の下に、一組の親子がいる。
揃いのエプロンを着けて、賑やかな笑い声を立てていた。
和やかなもんだ。
うん、分かった。
どうやら俺は、この部屋の片隅から見ている形らしい。
"気分はどうだい"
ヤオロズの声が脳内に響く。
脳内といっても、単なる例え話だ。
今の俺は、意識しか存在していないのだからな。
"問題ない。ここは日本か? お好み焼きって、確か日本の料理だったよな"
"そうだよ。日本はいいよね。色々な料理があるから、君に説明するにも便利だ"
"だな。基本的に清潔な国だし"
そこで会話を打ち切り、俺は意識だけの視線を飛ばした。
母親とその娘のようだ。
娘の背はまだそう高くない。
七歳くらいかなと見当をつけた。
母親の方は、穏やかな表情をしている。
長袖の毛糸の服、セーターだったか、と足首まであるロングスカートを着用していた。
会話に耳を傾ける。
二人の声が耳に飛び込んできた。
「ねー、おかあさーん。スティックお好み焼き、ゆうなも作りたいなあ。一緒に作らせて」
「いいわよ。じゃあ、生地を焼くまで待っててくれる? くるくる巻くところを一緒にやろうか」
言葉は聞き取れるが、ちょっとだけタイムラグがある。
これは仕方がない。
ヤオロズの力で、言語変換してくれているからだ。
異世界の言葉は難しいので、あいつの力を借りている。
とはいえ、タイムラグといっても僅かだ。
会話にはついていける。
「はい。じゃあ、ゆうな待ってるね」
「お利口さんね」
母親は微笑み、テーブルの上の機械に手を伸ばした。
IHクッキングヒーターらしい。
電気の力をそのまま熱にして使っているんだったか。
地球の技術の高度さには、いつも驚かれるよ。
俺が感嘆している間に、母親が調理を進めていく。
ボウルに水と小麦粉を入れ、菜箸でかき混ぜている。
そこにザク切りにしたキャベツが放り込まれる。
普通のお好み焼きの場合より、キャベツが小さい。
最後に巻く際に、大きいと邪魔になるのだろう。
「具は何だと思う?」
「お好み焼きだから、豚肉でしょ。お母さん、いつもそうだもん」
「ふふーん、今日はねー。特別にこーれ」
母親が取り出したものは、明太子と小魚だった。
小魚というよりミニ魚か?
大きさは指の先くらいしかない。
色は透明に近い白色だ。
それが小皿に盛られている。
ちりめんじゃこか、と気がついた。
なるほど。
「いつもと同じだとつまらないから、ちょっと変えてみたの」
喋りつつ、母親は明太子とちりめんじゃこを生地に入れた。
鮮やかなピンクと大量の白色が、生地の中に浮かぶ。
あっという間に混ぜ合わされた。
すぐに、小さなフライパンの上に流し込まれる。
電気だから火加減が分かりづらいな。
温度調節を見る限り、中ぐらいでいいのか。
生地に火が通ってきた。
普通はここでひっくり返して、反対側を軽く焼く。
そこで終われば、普通のお好み焼きだ。
だが、ひっくり返すことはなかった。
その代わり、母親は小さなゴムべらを右手に握っている。
「それ、どうやって使うの?」
「これでね、このお好み焼きを端からくるっと巻くのよ。こんな風にね」
娘に答えながら、母親はゴムべらを器用に使う。
端を持ち上げた先から、反対側へと巻いているのだ。
ああ、卵焼きを作るのと同じか。
納得いったよ。
それと同時に気がついたことがある。
あまり分厚い生地だと、巻き辛い。
それを防ぐために、ちょっと緩めの生地にしている。
"よく考えたもんだな、これ"
"手軽に食べられるから、パーティーなんかにはいいようだね。あ、そろそろ終わりそうだ"
ヤオロズの言うとおりだ。
合計五枚のお好み焼きが巻かれ終わった。
中に火はちゃんと通っているのか。
ひっくり返してないからな、そこだけが心配だ。
いや、大丈夫か。
薄い生地はその点でも意味がある。
「ここにね、割り箸を挿して。そうそう、それでいいわ」
「でも、これ反対側焼かなくて大丈夫? 生焼けにならない?」
「うん、大丈夫よ。そのために生地を薄くしたの。巻いた後でも、余熱でじわっと焼けるようにね」
「そっかー、お母さん凄いねー」
「えへへ、ありがとう、ゆうなちゃん。じゃ、ソースをかけていただきましょう」
娘に誉められ、母親は照れ気味だ。
こういう光景は和やかでいいね。
見ているこっちまで、ちょっと嬉しい。
さあ、食べようという段階まできた時、スッと意識が遠くなった。
そろそろ時間か。
"作るところまで見たから、ここまでにしておこうか。戻るよ、クリス"
"了解、ためになったよ"
ツ、と視界が暗くなっていく。
帰る前に、礼だけは言っておくか。
バイバイ、見知らぬ日本の親子。
いい料理を見せてくれて、ありがとう。
声なき声で伝え終わった。
そして俺の意識は自分の世界へと戻っていく。




