8.裏庭でピクニック気分です
「天気いいから外で食べよう」
俺の一言で裏庭へ移動する。
王都の外れにあるこの借家、小さいながらも裏庭がある。
普段は使ってないが、こういう機会にはもってこいだ。
「そういえば聞いていなかったのですがー、クリス様、何でこのお家にお住まいなんですか?」
「何でって、離婚したからマルセリーナと一緒に住むわけにゃいかなくなったからだけど」
「エミリア様っ、失礼ですよっ」
俺とエミリアの会話を聞いて、モニカが慌てる。
「別にいいよ。ただの事実だ。俺は婿養子だったから、前に住んでた屋敷はあいつのものだったしさ。別れたら出ていくしかないだろ」
持て余すくらいでかい屋敷だったけど、もちろん愛着はあった。
けれども、別々の人生を歩むと決めた以上住み続けるのは無理だ。
その時のことを思い出して心が疼いた。
マルセリーナは大人だからあまり心配していないが、パーシーは元気だろうか。
"子供に悲しい顔させるようじゃ、親失格だな"
自嘲しつつ、テーブルクロスを裏庭の円卓に広げる。
誰が置いたのかは知らないが、古い木製の円卓と揃いの椅子があるのさ。
庭に植えられた楡の木から木漏れ陽が射し込むと、そのテーブルセットの影が芝生の上に揺れる。
牧歌的で中々いいじゃないか。
「ピクニックみたいですねー!」
「ほんとに。何だか楽しいですね」
エミリアとモニカはわいわい言いながら、準備を手伝ってくれる。
女の子が二人もいると、なかなか華やかだ。
持ってきたミルクをカップに入れ、各自の皿にバゲットサンドを置く。
食べやすさを重視して、バゲットサンドは真ん中でカットしておいた。
生ハムのピンクとアボカドの黄緑が、それぞれ白いパンから存在をアピールしている。
「それじゃ、クリス様お手製のバゲットサンド、いっただきまーす!」
エミリアが生ハムの方を最初に取り、そのまま豪快にかぶりついた。
「モニカさんもどうぞ。俺も食べるし」と声をかけ、俺も生ハムの方を手に取った。
「本当によろしいのですか? ん、それではお言葉に甘えまして、こちらの黄緑の方から」
意を決したように、モニカはアボカドペーストの方を口にした。
どう見てもこちらの方が食べ方が上品だ。
エミリアは、マナーを学び直した方がいいのかもしれない。
とはいえ、彼女の反応は真っ直ぐで気持ちがいい。
「おいっしぃのですぅっ! バゲットの皮がパリッとした歯ざわりを伝えっ! 炒めた玉ねぎの甘みの後、塩気の効いた生ハムがっ! 何ですか、これ! 適度にジューシーさを残した肉の美味しさといいますか、普通のハムと全然違うのです!」
「だから生ハムって言うんだって。普通のハムはさ、塩漬けのあと煙でいぶして、その後高温で熱処理するんだよ。その熱処理のおかげで長期の保存が可能になる。生ハムは熱処理がない。当然保存期間を犠牲にするけど、その分だけ肉そのものの旨味が強く残るんだ」
こう話すと俺がいかにも詳しいようだが、全部ヤオロズの受け売りだ。
異世界の食材だから仕方ないんだけどさ。
「んー、お肉に熱を加えると、失われる美味しさがあるってことですかー? でも普通は焼いたり茹でたりしますよね」
「人間が生の動物の肉をそのまま食ったら、生臭すぎて食えないからな。血抜きして、更に焼いたり茹でたりしてようやく食えるんだよ。ハムも生ハムも塩漬けと煙でいぶす工程で、その生臭さを消しているんだ。熟成させてるって言えばいいかな」
「ははあ、そうなのですね。うーん、しかしこの生ハムの柔らかさととろけるような舌触りは……癖になりますね」
「初めて食べた時は、俺もびっくりしたね。玉ねぎとの相性もいいだろ?」
「ええ、そりゃもう! 甘さが引き出された上で、このシャキッとした感じが残っていて! 生ハムの塩気の効いた美味しさを、玉ねぎが引き立ててるのですよぉ、はー、幸せなのですー」
ほんとに美味しそうに食べるな、この聖女。
空腹のせいもあると思うけど、作り甲斐があっていいや。
作った俺自身、これには満足しているし。
一噛みごとに、生ハムと玉ねぎが絡み合う。
炒めた玉ねぎの熱によって、生ハムの脂が溶けて滑らかさな肉の旨さを増していた。
それらがバゲットのパン生地で包まれて、舌の上で一つになる。
食材それぞれの良さは確かにありながら、よくまとまっていた。
満足しながら、一つ食べ終わった時だった。
「いえ、これはもう何と申し上げたら良いのか……初めて食べる美味しさですね、ええ」
感嘆したようなため息を漏らしながら、モニカがアボカドの方を食べていた。
ゆっくり食べているからか、まだ最初の分が残っている。
「このアボカドペーストが、まず驚きですね。元が果物と思えないほど濃厚な風味があって、それが口の中にぶわっと広がりました。確かにバターに似てますね」
「分かる分かる。匂いは植物のそれだけに驚くよな」
「はい。確かにクリス様がおっしゃる通り、青臭い風味も残っています。けれども、それがしつこさを抑えているのではないかと。ねっとりとした舌触りが独特で、癖になりそうな味です」
モニカは言葉を選ぶように語る。
なるほど、適切な感想だと思う。
満足しながら、俺は付け加えた。
「うん。あえて自画自賛するとさ、さっき絞ったレモンの果汁が、青臭さと油っこさを適度に抑えているんだ。無くても食べられるし、好みの問題かもしれない。けど、俺は少し抑えめにした方が好きだね」
「んんっ、なるほど。それにペーストの上に乗せたチーズがまた……」
モニカが言葉に詰まると、エミリアが「またの次が聞きたいのですよー」と口を挟んできた。
アボカドペーストの方のバゲットサンドを、両手で握っている。
食べる前に、モニカの感想を聞きたいのだろう。
「別のとろんとした美味しさを加えてくれるのです。まろやかな、それでいて成熟したチーズが加わると、味に複雑さが出るといいますか。アボカドペーストが割りと個性が強いだけに、下手したら単調になりそうなんですよ。そこにひねりを加えておりますね」
「すっごく美味しそうねー。クリス様、こっちも食べていいのですかぁ?」
「もちろんどんどんいきなよ、エミリアさん。いやー、しかしモニカさんの表現凄いな。そこまで的確に言い当ててくれると、作った甲斐があるよ」
しみじみと呟きながら、俺も一口齧る。
香ばしいバゲットの皮が弾ける。
アボカドペーストとチーズのまったりとした、それでいて濃厚な風味がとろけていく。
植物性と動物性、二つのコクが絡み合う。
うん、文句なく美味い。
プチンと噛みちぎり、口の中に広がった幸せをしばし堪能する。
アボカドの舌触りを感じた後、ふとある考えが浮かんだ。
「このアボカドってさ、見た目はすごい地味なんだよな。果肉もなんかねっとりしてるし、他の果物みたいな華やかさがなくて。でも上手く使ってやると、こんな風に立派な主役になるんだよなー」
「あー、それ分かりますねえー。工夫次第なのかなって、クリス様のお料理食べたら思いますよお」
エミリアが嬉しそうに笑う。
既にアボカドペーストの方も半分食べ終わっていた。
その横では、モニカが微笑んでいた。こちらはようやく生ハムの方に取りかかったところだ。
「ん、そうなのかもですね。地味な食材でも工夫次第ではこんなに美味しく……ふふっ」
あれ、何だか嬉しそうだな。
その笑いは小さな笑いだけど、目がとても優しい光を含んでいる。
「どうかしたかい」
「いえ、何でもありません。こちらの生ハムと玉ねぎの方もいただきますね。ありがとうございます」
「どうぞどうぞ、遠慮なく」
「くぅー、私は両方食べ終わりそうなのです。クリス様ー、もっとないのですかぁー?」
「エミリアさんよ」
「はい?」
「太るぞ?」
俺の一言に、エミリアの背筋がピンと伸びる。
年頃の乙女には何よりキツい脅しだったらしいな。
冷や汗を垂らしながら、ギギギと引きつった笑いを浮かべている。
「そそそそそんなわけないじゃないですかかかかか、この聖女たる私が太るなんてっ」
「そう言う割には、切羽詰まった顔してるよな。図星か?」
エミリアと俺が話す間、モニカは黙々とバゲットサンドを食べていた。
ぽそりと「本当に美味しいです」と呟いて、また一口飲み込んだ。
別に特別なことは何も無い。
けれども。
何でも無いそんな一言、そして何でも無いこんな平和な食事が、今の俺には嬉しいんだよね。