77.飲み明かして朝帰り
傾けたジョッキを元に戻す。
重さを感じない。
飲み干したんだから仕方ない。
炭酸が弱いなと思ったが、これも仕方ない。
異世界のビールとは違うのだ。
向こうでは人工的に炭酸を注入するらしい。
いや、これは全部ヤオロズの受け売りだけどさ。
「いやあ、たまに外で飲むと美味いねえ。お姉さん、エールおかわりー」
酒場の女給に注文しながら、空になったジョッキを置いた。
視線を上げると、一組の男女と目が合った。
男の方は黒髪黒目。
女の方は肩まで伸ばした藍色の髪と同色の目。
二人とも顔見知りだ。
「お前が酒に強いのは知ってるけれど、ピッチ速すぎじゃないか? 大丈夫か、クリス」
「千鳥足になっても知らないですよ?」
「大丈夫だって、これくらい。今日は気疲れしたから、飲みたい気分なんだよ。はー、親子の仲を取り持つって疲れるなあ」
しみじみ言うと、ライアルとモニカは頬を緩めた。
やっぱりこの二人を誘ったのは、正解だった。
家を出たのはいいけれど、正直暇だったのだ。
家族水入らずの時間を邪魔するのは、気が引ける。
そうすると飲むしかない。
夕方まで時間を潰してから、二人に声をかけたという訳だ。
「そりゃまあ、疲れるだろうな。想像しただけで、胃が痛くなりそうだ」
そう言ってから、ライアルはエールを飲む。
一時期酒浸りだったと言うだけあって、基本的に強い。
モニカが相槌をうつ。
「今思うと、エミリア様、ご家族のことをあまり話しませんでした。最初からそんな様子でしたね。でも、そうですか。ご両親に嫌われていると思っていたのですね」
「ああ。でも誤解みたいだけどね。今頃は仲直りしているはずだよ。ま、その煽りで俺は自分の家に帰りづらいわけだが」
「自業自得? いや、ちょっと違うな」
「ライアル様、それはあまりにも可哀想ですよ。せっかくクリス様が頑張ったのに」
「そうだよ、ひでえよ。ほら、お前もそんなちびちびやってないでガツンといけよ」
「ちょっ、からみ酒はよくないと思われ」
「うふふ、いいじゃないですか。ここのお代は、全部クリス様が持ってくださるのですから。あ、すいません。こちらにもエールのおかわりお願いいたします」
「おい、モニカ、ちょっと待て。いつ俺がおごると言った……いや、まあいい。それくらいはおごるさ」
「流石ですね、クリス様っ。よっ、太っ腹!」
「お前、酔うと性格変わるな!?」
「いやあ、楽しいねえ。俺、こんな風に飲むの夢だったんだよなあ。ずっと引け目感じたまま、あの日から引きずってたからさあ。加護を失っても、俺は俺なんだなあ……う、うう」
「ライアル、お前もだ。この前飲み会したばかりだろ!? しかも泣き上戸とか面倒なんだけど!」
おかしい、おかしい。
ストレス解消のために飲んでいるのに、逆にストレスが溜まっていく。
何故だ、何故なんだー!
「ほら、何やってんだよ、クリス。頭抱えてないで、ガツンといけガツンと!」
「どうせ家には帰れないんですし、とことんまで飲んだ方がいいですよ?」
「お前らが原因なんだろ、チクショウ! はー、いいさ、こうなったら限界までいってやらあ」
勇者の肝臓なめんなよ。
今日は思い切り羽目はずしてやる。
† † †
「うう、頭が痛い。やっぱり飲みすぎたか?」
ズキズキと頭が疼く。
朝陽が目に刺さる。
二日酔いなんて久しぶりだ。
体調は最悪、気分は最低。
後悔先に立たずというが、どうにか誰か教えてくれないものか。
"それが出来たら、神様なんて用済みなんだよね"
"ちょっと待って、今話すの無理"
唐突にヤオロズが話しかけてきたが、何とか断る。
ただでさえ集中力を使うんだ。
この頭フラフラの状態では、なおのこと無理だ。
"ああ、分かった分かった。じゃあ話さなくていいから、聞いてくれ。君の家、こっちじゃなくてあっちだよ"
無言のまま立ち止まる。
周囲をよく見ると、見知らぬ街角だ。
どこかで道を間違えたらしい。
「いやだね、これだから酔っ払いは」と呟く。
もちろん自戒の念を込めてだけどな。
仕方ない、引き返すか。
"もうちょい早く言ってくれよ"
最後の集中力を振り絞り、ヤオロズに文句を言ってみた。
"二日酔いの君が悪いんだろ"
はい、ごもっともです。
そこで会話を打ち切り、しばし歩く。
路上の屋台で水を買い、一気に飲み干した。
そのおかげもあり、どうにか家に辿り着いた。
足がもつれそうだ、情けない。
ああ、やっぱり朝陽が目に刺さる。
「ただいまー」
「あ、お帰りなさい、クリス様ー。あれ、なんか酷い顔ですねえ」
「昨日、ライアルとモニカと飲んでたんだよ。というか、そんなことより上手くいったのかい」
エミリアに聞きながら、俺はソファに倒れ込む。
あー、ダメだ。
今日はもう休もう。
グダグダと考えていると、エミリアが手を伸ばしてきた。
淡く白い光が、その手を包んでいる。
「全部上手くいきましたよー。クリス様のおかげですー、ありがとうございますー。なのでこれはお礼ですー」
笑顔と共に光が弾ける。
ちょっと眩しいけれど、気分が良くなってきた。
「回復呪文か?」と聞くと「はいっ」と即答された。
「普通は解毒に使うんですけどねー。お世話になったから、今日は特別ですー。ありがとうございましたー」
「その顔を見る限り、問題無かったんだな。良かった良かった。これで一件落着か」
気分が良くなったので、やっとまともに話せる。
「そうですねー、どうにかですけど」というエミリアの声も、ちゃんと聞こえた。
大した腕だ。
聖女の回復呪文は伊達じゃない。
「うん、ならいいんだ。仲良くしろよ。親と仲違いしたままなんて、ろくなことないぜ」
「はい、全てクリス様のおかげですっ。あのう、一つ聞いてもいいですかー?」
「何だよ?」
俺の怪訝な顔も気にせず、エミリアは一歩距離を縮めてきた。
背は頭一つ俺の方が高いので、自然と見下ろすことになる。
つまりエミリアは上目遣いだ。
「今度、あの親子丼の作り方教えてくださいー。私、自分で作ってあげたいんですよう。だからお願いしますー」
「ご両親にかい? もちろん教えてやるけど、出来るの?」
「出来るようになるんですよぅ。あ、あとクリス様にも食べさせてあげるのですっ。いつもいつも作ってもらっているのでっ」
「へぇ、それはまた」
殊勝な心がけだと、最後までは言わなかった。
自然と笑いがこみ上げる。
立派じゃないか、うちの聖女様は。
そう思っていると、エミリアに食いつかれた。
「何ですかー、その笑いはー?」
「いや、何でもない。ただ、そうだな。君は十分いい子だってだけさ。聖女だからってだけじゃなく、エミリア=フォン=ロートという一人の女の子としてもね」
「と、当然なのですよっ。私はロート家の自慢の娘なんですからねっ! どこに出しても恥ずかしくない器量の持ち主なんですー!」
「自分で言うか、それ。ともかく座って。朝ごはんがまだだろ」
「はっ、朝ごはんっ」
全く、ほんとに全くさ。
チョロいんだけど、可愛いじゃないか。
でも良かった。
聖女が悲しんでいたら、格好つかないからな。
笑顔は最高の調味料。
出来ればずっとそのままでいてほしいね。