76.聖女、両親とちゃんと話す
"どうしよう"
エミリアは固まっていた。
両親が来ただけでも驚きだった。
クリスが何を考えているかも、薄々分かってはいた。
けれども、急に親子だけで話せと言われるとは思っていなかった。
恨めしそうに、隣の席を見る。
既にクリスの姿はそこには無い。
"自分で何とかしろってことですよねー"
気が重い。
父親も母親も嫌いだ。
いや、正確には違う。
嫌いというより苦手なのだ。
兄や姉と違い、自分は優秀ではなかった。
足手まといにしかならなかった。
両親を見る度に、その苦い記憶を思い出す。
だから――苦手だ。
「あのぉ、お父様、お母様」
「何だね、エミリア」
意を決して、こちらから声をかけた。
父親が反応する。
ああ、そうだ。
このちょっと困ったような顔だ。
馴染みのある表情に、ある意味安心し、ある意味イライラした。
「クリス様はお二人に何を話されたのですかー? 国からのお届け物っておっしゃってましたけど、それは口実ですよね。私のことを聞くために訪れたのですよねー」
問いの形はしているものの、それは確信だ。
父と自分の不穏な会話を聞いた後だ。
確かにクリスならやりかねない。
それが分かる程度には、付き合いは長い。
「うん、そうだな。お前のことを聞かれたよ。主に子供の頃、どんな子供だったのか。そして私達がどのように接していたのか。そういったことを話した」
「そう、ですか」
父親の返事を聞いて、エミリアの気持ちは沈んだ。
自分が語った事ではないか。
わざわざ足を運んで確認しにいったのか。
そう思うと、カチンときた。
怒りが口を開かせる。
「クリス様は、私のこと信じていないんですねー。あの日お父様が帰ってから、全部話しましたのに。私がいい子じゃなかったことも。兄様や姉様のようにはなれなかったことも。そして、お父様やお母様に心配ばかりかけてたから……嫌われていたことも」
「エミリア、待って」
母親のレネッシアが声をかけてきた。
頭を振って、エミリアはその声を振り払う。
イヤだ、イヤだ。
聖女になっても、大人になっても、自分は全然変わっていない。
周りの人に心配かけてばかりで、何も成長していない。
「無理しなくていいですよぅ。どうせ私、ダメな子だし」と自嘲する。
けれども、その自嘲は父の声に遮られた。
「違うんだ、エミリア。私は、お前を嫌ってなどいない。もしそう思っていたなら、それは誤解だ。いや、誤解させた私の責任だ。済まなかった」
「は……?」
「お父様の言う通りよ、エミリア。あなたの気持ちを分かってあげられなくて、ごめんなさい。駄目なのは、私達の方だったのよね」
「お母様まで? え、いきなり何ですか? これは私をはめようとする罠なのですかー?」
予想外の状況にびびり、エミリアは後ずさった。
目の前では、父と母が頭を下げている。
先程の言葉が耳の中で残響している。
嫌っていないとは、それは言葉通りの意味なのだろうか。
疑わしいと思ったまま、まずは落ち着こうと決めた。
湯を沸かし、日本茶を淹れる。
普段使いの茶葉であれば、勝手に使っても構わない。
「粗茶でございますが、どどどどどーじょ、おとうしゃまおかあしゃま」
「……ありがとう、あとなエミリア」
「落ち着きなさい? あら、このお茶、珍しい色をしているわね」
レネッシアの視線は、日本茶に注がれている。
透き通った黄緑色だ。
確かに普通は見たことがない色だろう。
若い茶葉なので、香りも軽く爽やかだ。
「ニホン茶と言って、珍しいお茶なのですよぅ。クリス様が飲んでいるので、たまにもらっていますー」
「ほう、なるほど。うん、これはいい」
「あら、ほんと。普通のお茶と違って、柔らかな渋みが新鮮ね。ありがとう、エミリア」
「いえ、どういたしましてー」
気を落ち着けるため、がぶりと飲んだ。
ぬるめに淹れたので、これでも大丈夫だ。
ぐるぐるしていた頭がようやく落ち着く。
さっきのやり取りを思い出す。
勇気を振り絞り、自分から問いかけた。
「嫌っていないって、どういう意味なのですかー。お父様、私のこと敬遠していたじゃないですかー。あれはどこをどう見ても、嫌っていたのですよぅ」
「ううむ、そうか、そう思っていたのか。完全に私の失敗だな」
呻きながら、ヘンドリックスは腕組みをした。
目が合う。
その目はエミリアと同じ緑色だ。
「失敗?」
「うむ。これは勇者様にも話したのだがな、今思うと私も不器用だった。許してくれ、エミリア」
「あなた、とにかく事情を話さないと」
「そうだな。うん、まず結論から言おう。私達はお前を嫌いだと思ったことはない。確かに勉強も運動もイマイチだった。けれどもね、エミリア。お前は私達の可愛い娘だよ」
「ぶおふっ!?」
突然の爆弾発言に、エミリアは噴いた。
手の中で湯呑が跳ね、危うくこぼしそうになる。
「なー、なー、なー、何を言うのですかっ」と答えるが、その声は上ずっていた。
「言葉通りの意味だ。ただ、その表現の仕方がまずかったのは認める。知っての通り、ロート家は貧乏貴族だ」
「ええ、よく知ってますー」
「真顔で言うな、悲しくなる。それはともかく、子供達に何か遺してやれる余裕もない。だからせめて自立出来るように、しっかりしてほしかったのだ。その焦りが、恐らく良くなかったのだろうな」
「そうね。どうしても、あなたへの可愛さよりも心配が先に立っちゃってね。ほら、覚えてるかしら。エミリアはいつも優しい子だったじゃない。領民の子供と遊ぶ時に、余ったお菓子を分けてあげたりね。将来この優しさのせいで、損したりしないかしら――そこまで心配したわ」
「え、確かにそういうこともしてましたけど。それは先走りしすぎなのでは」
両親は自分を嫌っていなかったのだろうか。
本当に?
いや、多分そうなのだろう。
だが、長年の気持ちはすぐにはほころばない。
固い表情のまま、エミリアはまた日本茶を飲む。
それに倣うように、ヘンドリックスも一口飲んだ。
「幼いお前が遊ぼうと寄ってきても、それに応えてやれるゆとりが無かったんだな。うちが豊かだったら、お前に不自由はさせずに済んだだろう。将来を不安に思うことも無かっただろう。その気持ちの方が先に立ってしまっていたんだ」
だからか。
だから父はあの時、あんな顔をしていたのか。
「じゃあ、お父様もお母様も私を嫌っていたんじゃなくて」
「愛情が間違った形になって、お前に伝わっていたんだよ。嫌ったことは一度もない」
「今から思うと、未熟な親だったわ。クリス様にも怒られちゃったの。不器用にも程がありますねって」
信じられない思いで、エミリアは両親の告白を聞いていた。
あれは嫌っていたのではなかった。
自分のことを、過度に心配していただけだったのか。
だったらもっと良い対応があったのでは。
いや、自分は自分で両親を信じられなくなっていた。
"馬鹿なのです"
目の前の子供の笑顔を見てほしかった。
まだ見ぬ未来の自分を懸念するよりも。
だが、馬鹿なのは自分もだ。
遊んでくれないから、困った顔しかしないから、
それだけを理由に、拠り所にして。
親の本当の気持ちを分かっていなかった。
過度の折檻や無視などは一度も無かった。
いつだって、エミリアのことを見ていてくれた。
どうしようもなく不器用だったかもしれない。
だが――そこには確かに愛情があったのではないか。
「……私は」
言わなきゃ、とエミリアは己を叱咤する。
今言わなくて、いつ言うのだ。
「……私は、ずっと、ずっと」
語尾が震える。
本当は少し怖い。
それでも。
「お父様とお母様が大好きでした。だけど、拒否されていると思って、怖くて。それを表に出せなくて」
語尾が震えた。
けれども言えた。
一番大事なことは、自分の口から伝えられた。
きっと今の自分の顔は不細工だろう。
そう思っても、歓喜の涙は止まらない。
「すまない、すまなかった。本当にすまなかった、エミリア。お前は私達の可愛い娘だよ」
「うちを出てからも、ずっと心配していたのよ。でも、あなたは聖女様になったでしょう。その邪魔をしてはいけないと思ってね。だから会いに来なかったのよ。ごめんなさいね、エミリア」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、お父様もお母様もっ……寂しかったんですよおおおー」
たまらず二人に抱きついた。
ローブの端に涙が零れたが、気にする余裕などない。
そんなものどうでもいい。
「よく頑張ったな、エミリア。愛している、昔も今も」
父の声が聞こえた。
そして頭にそっと手が置かれた。
大きな手だ。
ああ、そうだ。
自分が近寄ると、困った顔を向けてきて。
それでもギュッとしてくれた時の手だ。
父の手が優しく頭をポンポンとしてくれる。
また自然と涙が零れた。
"そうだ、これは"
この懐かしい感触は、あの日と同じ――小さなエミリアを抱きしめ、守ってくれたものだった。




