73.飴色の玉ねぎを卵でとじて
後ろめたさが無いと言えば、嘘になる。
俺はエミリアに今回の企みを話していないから。
言えば絶対反対するだろうから、そこは確信犯だ。
「それで、どなたがいらっしゃるんですかー?」
「さっきも言っただろ、秘密」
エミリアはしつこく聞き続けてくる。
それをかわす。
何回かそんなやり取りを続けた後、俺は台所に立った。
今日の料理は簡単な料理だけど、準備はしておくか。
丼ものなので、ご飯は必須。
米を水に浸しておこう。
"ベタなアイデアだとは自分でも思うけどさ"
何でもやってみないと分からないだろ。
そう自分に言い聞かせながら、まず調味料を用意する。
醤油、みりん、かつお出汁、それに砂糖があればいい。
いつものように、エミリアが横から顔を出してきた。
「お醤油とみりんを使うのなら、和風ですかー。でもお砂糖? 料理酒は使わないんですねぇ」
「だいぶ分かってきてるな。そう、今日は料理酒はいらないんだ。その代わりに砂糖が必要。あくまでこのあたりは好みだな」
「へー、楽しみなのですっ」
俺の調理風景を見てきたせいだろう。
エミリアも、だいぶ調味料の組み合わせに詳しくなってきた。
和食には基本の合わせ調味料がある。
作り方は至って簡単。
醤油、みりん、料理酒を2:2:1で合わせるだけだ。
肉じゃがを始めとして、これを使えば基本的にはいける。
考えることさえ面倒な時ってあるだろ?
そういう時は、これで肉と野菜を炒めればいい。
少なくとも、それなりに食えるものは出来る。
「今日はちょっと甘めの味付けなんだよ。さて、始めるぞ」
棚から玉ねぎを二つ取り出す。
薄茶色の薄皮に爪を入れると、ピリリと破れた。
この軽く弾けるような感触は、ちょっと楽しい。
全ての薄皮を剥くと、白い中身が現れる。
まな板に置いて、包丁を入れていく。
トントントンとリズミカルに刻む度に、白く薄く玉ねぎが切れていく。
「いつもながら上手ですねえー。けど、玉ねぎって不思議ですよねー」
「不思議? 俺にはいつも空腹な聖女さまの方が不思議だけどな」
「まったくですよぉ。エシェルバネス王国の七不思議の一つ……いえっ、そうじゃなくって!」
「空腹の自覚はあったんだな」
わざと皮肉ると、エミリアは「えー、ありますよーだ。どーせ私は食い気ばかりで、色気のかけらもないですー」とすねてしまった。
面倒くさい女だな、まったく。
「すねるなよ。それで玉ねぎの何が不思議なんだ?」
「あ、そうそう。そこですよー。生の玉ねぎって辛いじゃないですかー。包丁で切ってると、涙が出てきますしー。あれ、玉ねぎの辛い成分が染みるからですよねー」
「そうだな」
「なのに、炒めると甘くなるのでー不思議だなーと。よーく炒めて飴色になった玉ねぎ、美味しいですよねー」
「確かに火を入れると、まったく味が変わるな。加熱によって甘くなる食材は色々あるけど、玉ねぎは特にその傾向強いね。あの飴色の玉ねぎ、あめたまって言うんだぜ」
「つまりキャンディと同格!」
「飴玉じゃねえよ。砂糖の固まりと一緒にすんな」
とはいえ、そう言いたくなる気持ちも分からなくはない。
じっくりと火を通した玉ねぎは、自然な甘みに溢れている。
「こういうところが料理の面白いところだ」と言いながら、俺は火魔石を点火した。
フライパンの上の油が、じわっと加熱されていく。
パチン、と油が弾ける音が聞こえた。
それを合図に、一気にスライスした玉ねぎを落とし込む。
ジュ、ジュジュッという音だけで、すでに香ばしい。
"ここに合わせ調味料を入れて"
さっきの調味料は、ボウルに入れてある。
玉ねぎの上から注ぐと、またフライパンが賑やかになった。
熱と共に良い匂いが上り立つ。
かつお出汁の品の良い香りは、その中でアクセントになっていた。
これを使うと、上品な風味になるんだ。
「わ、いい匂いですねえ。玉ねぎが透明になってきましたねぇー」
「調味料が量あるから、煮るような感じになるんだ。ここで蓋をして、少し置いておく」
この間に他のことをしなくては。
鶏肉と卵を取り出す。
四人分となると、少なくはない。
ちなみにこれらの食材は、全て市場で買ってきた。
ヤオロズに頼ったのは調味料だけだ。
そういう意味でも、割と作りやすい料理だろうな。
「なあ、エミリアさん」
「はい、何でしょうかー?」
「ヤオロズから食材が供給されなくなったら、どうするか考えたことある?」
俺が聞くと、エミリアは目を見開いた。
仮定の話とはいえ、ショックだったらしい。
口に手を当てながら、ワナワナと震えている。
「そ、そんな恐ろしいこと、考えたこともないですー。しじみのお味噌汁も、塩昆布を乗せた炊きたてのご飯も、デミグラスソースたっぷりのハンバーグも、何もかもクリス様が作れなくなるなんてー! うわあああ、そんなのイヤだあぁー!」
「お、おい、泣くなよ。仮定の話だって。悪かったよ、変なこと言って」
「ほ、本当ですかぁ。ヤオロズさんと仲悪くなったりしてないですよねぇ?」
あー、うん。
多分こいつの心配は、本当に食材だけに向けられているんだな。
涙目で聞いてくるので、少し罪悪感を感じる。
「全然大丈夫だって。もしもの話だ、もしもの。俺だってそんな未来は来ないことを祈る」
「く、くふふっ……そんな呪われた未来をもたらす者は……私が呪い殺してあげますー。異世界の素晴らしい食材と料理は、もう絶対に手放せないー」
「あなたの職業、聖女ですよね?」
エミリアの瞳は真っ暗だ。
いつもの緑色はどこにいったのだろう。
ちょっと怖くなり、思わず敬語になってしまった。
幸いすぐに「あ、あれ、私どうしたんですかー?」と元に戻った。
良かったと心から安堵した。
「いや、いい。それでだな、ここに鶏肉を入れる」
話しながらも、手は止めていない。
食べやすいように、鶏のもも肉は小さめに切ってある。
フライパンに落ちると、パチンと弾けた。
徐々に鶏肉が炒められていき、いい匂いを漂わせていく。
軽めのあっさりした旨味が、その匂いの中に混じっていた。
色合いを見て、次の工程に移る。
「よし、いいかな」
少し火を弱めながら、今度は卵をここに入れる。
全部で六個、結構な量だ。
深みのある黄色い滝が、とろとろと流れ落ちた。
"ここで少しだけ残して"
ボウルを元に戻す。
ほんの少しだけ、溶き卵が残っている。
後で使うから、今はいい。
弱めの火で、じっくりと玉ねぎと鶏肉を卵の中に包む。
上手く半熟にするのは難しい。
だから、俺は保険をかけた。
それがこれ。
「ここで、これを流し込む」
「あ、さっきの」
正解だ、エミリア。
生の溶き卵を最後に少し足すことで、半熟の状態を作る。
この最後の溶き卵には、具材からの熱しか伝わらない。
難しくはないけど、使える技術だ。
「うわ、美味しそうですねぇ。炒めた玉ねぎの甘い匂いに、鶏肉がほんのり絡まっていて。これをご飯に乗せるんですかー。何ていうお料理なんですー?」
「それも秘密だ。後で教えてやるよ、ほら、そこどいて」
「ええー、意地悪なのですよー」
そんな残念そうな顔するなよな。
この料理の名前こそが、一番大事なポイントなんだから。
半熟卵の鮮やかな黄色を確認しながら、俺は小さく頷いた。