72.丼ものって好きですか
ロート家への訪問は長くはかからなかった。
典型的な挨拶の後、俺はサクッと本題に切り込んだよ。
あんまり焦らしても、お互いに時間の無駄だしね。
覚悟はしていたのか、ヘンドリックス氏は素直に話してくれた。
結論から言うと、ほぼ俺の予想通りだった。
"親子でこじれると苦労するね"
我が家に着いてから、ホッと一息つく。
馬も返したし、やり残したことはない。
ここからどうするか。
そうだな、このまま放置ってのはないよな。
よし、俺なりのやり方でどうにかしてみよう。
そう決めて、地下室に降りる。
いつもの隠し部屋に入り、ランタンに点火した。
ポゥと橙色の光が部屋の闇を払う。
"おかえり、クリス"
"ただいま"
ヤオロズといつもの挨拶を交わした後、俺は今回の件を伝えた。
困った時の神頼みじゃないが、こいつの助けが必要だ。
時折短い質問を挟む以外は、ずっとヤオロズは黙っている。
聞き上手なのだろう、この神様は。
"ふむふむ、それでクリスは聖女様とその家族を助けたいわけだね"
"一言で言えばね"
"難しいかもしれないけれど、やってみてもいいかもね。それで、具体的にはどうやって?"
"料理で、と言ったら笑うかい"
自分でもどうかと思うけれど、これしか思いつかないんだよ。
戦闘以外の特技といえば、俺には料理しかないしな。
"やっぱりね。いや、君らしくていいよね"
"料理で親子の仲を修復ってのが?"
"それもあるけどさ、君のそのお節介なところだよ。身近な人の泣き顔を見て、それを放っておけないんだろ。優しいじゃないか"
"からかうなよな"
そうは言いはしても、悪い気はしなかった。
悪人と言われるよりは余程いい。
俺の気持ちを分かっているのか、続くヤオロズの言葉も柔らかい。
"さて、とはいえ料理で解決か。君らしいとはいっても、何を作るかが重要だ。具体的なアイデアはあるのかな"
"ある。あの料理なら、こういう場合にもってこいだと思う"
確信はない。
だが、これ以外に思いつかない。
驚いたことに、ヤオロズはその料理の名前を聞いてこなかった。
"そうか、そうか。なら、君が思うままに作ればいい。必要な食材があれば、遠慮なく言ってくれよ"
"何を作るのか聞かないのか?"
"私に言ったところで、もう決めているのだろう? それにね、私はあの聖女様の事情を詳しくは知らないんだ。だから、君がこの料理で解決すると決めたなら、それが一番いいはずだ。私が何か口出し出来ることじゃないさ"
"そっか。神様の割に謙虚なんだな"
ヤオロズのこういうところは好ましい。
神様と言うと、大抵が権威主義者だしな。
神様とは少し違うけど、加護を与えてくれる連中も似たりよったりといったところ。
加護の力には感謝してはいるけれど、性格的にはなあ。
ヘスケリオンも、人格者とは言い難いよな。
いや、あれは狼だけどさ。
"どうかしたかい"
おっと、考えている場合じゃない。
"悪い、何でもない"と答え、俺はヤオロズとの会話を打ち切った。
目を開ける。
ランタンの明かりが部屋の闇を払っている。
意識を現実に引き戻し、俺は隠し部屋を後にした。
† † †
「あのさ、エミリアさん。念の為に聞いておくんだけど」
「はい?」
エミリアはくるりとこちらを向いた。
夕食後でお腹が満たされているからか、機嫌は良さそうだ。
「丼もの、好きだよね?」
「大好きですー。お腹空いてる時には、最適ですよねー。今までいただいた中だと、牛丼が良かったですねー。特盛つゆだく紅生姜ましましにして、一気に豪快にかきこむと……ふう」
「う、うん、分かった。分かったから、その遠くを見るような目はやめろよ。また作ってやるから」
「本当ですかっ!? 楽しみにしているのですー!」
両手を胸の前で合わせ、エミリアがニコニコ笑う。
ちょろいなあ。
「いいよ。余った牛肉使うだけだから、材料費も高くないしさ。いや、そもそも牛丼の話をしたかったわけじゃないんだった」
「はい? じゃあ、一体何のために?」
「丼ものが好きかどうか聞きたかっただけだ。あ、今度の週末明けといてくれよ。新しい丼もの作るから、食べさせてやる」
「わっ、楽しみなのですー」
「うん、楽しみにしといてくれ」
この時、罪悪感を覚えなかったと言ったら嘘になる。
嘘は言っていないけれど、本当のことを全部話したわけじゃないからだ。
俺がやろうとしていることは、余計なことかもしれない。
エミリアが知ったら、怒るかもしれない。
けどさ、どうしても放っておけないんだよな。
「なあ、エミリアさん」
「はい、何でしょう?」
答える聖女は、ソファに座っている。
二十一歳か。
この先の人生はまだまだ長いな。
ふと、そんなことを思った。
「俺の職業って何だと思う」
「え? もちろん勇者でしょー。クリス様以外に、他に勇者はいないですよー」
「やっぱりそうだよな。じゃあさ、勇者の仕事って何だと思う? 魔王もいない平和な時代だ。その平和な時代では、勇者は何が出来るんだろう」
俺の問いに、エミリアはしばし考え込んだ。
「うーん」とその細い眉を寄せてから、その緑色の目を見開く。
「やっぱり、誰かを助けることではないですかー。別に戦わなくても勇者様っていうだけでー、皆の希望になれるじゃないですかー。それに、クリス様はお料理も上手だしー。少なくとも、私はものすごーく助けられてますよっ」
「そうか、そうだよなあ。うんうん、俺もそう思っていたんだ」
「な、なんですか。急にニヤニヤして」
「いいだろ、別に。たまには俺だって人から誉められたいのさ」
半分は本当で、半分は照れ隠しだ。
自分でもたらした平和な時代ではある。
だが戦闘が無ければ、俺の能力を活かす場所がない。
別にそこまで気にしてはいないよ。
それでもさ、ミリアの言葉が嬉しかったのは事実なんだ。
「エミリアさんてさ、いい子だよな」
「は、はあ!? い、いきなり何を言ってるんですかー! 熱でもあるんですかっ!?」
「それはお前の方だろ。何で顔を真っ赤にしてるんだよ」
不思議に思って聞いてみると、エミリアは「クリス様がいきなり変なこと言うからですっー!」と大声で言い返してきた。
何だよ、一体。
首を捻ったが、思い当たる節はない。
"うーん、まあいいか"
これだけ元気なら、きっと大丈夫だろう。
俺のお節介に乗って、上手く仲直りしてくれよ?