71.遠出しておせっかいとは俺もお人好しだよ
面倒くさい事態が発生した場合、俺が相談する相手はたいてい決まっている。
そう、副宰相にして俺の上司である、この口髭が似合う男だ。
「エミリア様がそんなことをおっしゃっていたのですか」
ゼリック=フォン=ボルタニカは唸った。
トレードマークである灰色の口髭は、今日も綺麗にセットされている。
彼の問いに、俺は黙って頷いた。
腕組みをして、切れ者の副宰相はまた唸る。
「それなりに情報通のつもりではありますが、私も初耳ですね。他人の家庭の事情と言ってしまえば、それまでですけれど」
「びっくりしましたか」
「少々。エミリア様と言えば、いつも陽気で能天気で、食欲全開の女の子という印象でしたからね」
結構な言われようだが、大体そんなところだろう。
俺も今回の件で初めて知ったぐらいだ。
ゼリックさんが知らなくても無理はない。
「ゼリックさんもお子さんがいるから、ちょっと聞きたいんですけどね。子供を好きじゃない親って、そんなにいますかね?」
「子育てが嫌いという親は、残念ながら時々いますね。ただ、子供そのものが嫌いだというと、流石に少ないのでは?」
「だよなあ。いや、それにさ。仮に子供の頃は嫌いだったとしても、今は大人であるわけだ。気持ちが変わっているということも、考えられるよな」
「十分あり得ますね。まして、ロート男爵は自ら様子を見に来たわけでしょう。それこそ、嫌いだったら心配もしないのでは?」
「俺もそう思ったから、エミリアに昨日言ったんだよ。でも、駄目だったね。聞く耳持たないって感じ」
「完全に拒絶状態ですか?」
「そうだね。娘を心配する健気な父親を気取りたいだけですよ、かっこつけです。そう言われたら、こっちも取り付く島も無い」
思い出すと、自然とため息が出た。
怒るならばまだいい。
その時のエミリアの瞳には、諦めしかなかった。
幼少の頃の印象が、未だに心に突き刺さったままらしい。
「根が深そうですね」とゼリックさんもため息をつく。
「そうだね。だからさ、ちょっと確かめてみようと思ってるんだ」
「ほう、親子喧嘩の仲裁ですか」
「そんなところ。ヘンドリックス氏が本当にエミリアを嫌っているのか、それとも何かの誤解か。まずそれを確かめに行く」
「ふむ。クリス様が行くなら、無下にはされないでしょうね。良いのではないですか。それで、私に何かお手伝い出来ることは?」
「察しがいいね」
そう、ゼリックさんにも手伝ってもらいたいことがあるんだ。
わざわざ言わなくても察してくれる辺り、話が早くて助かるよ。
俺の反応に、ゼリックさんは表情を緩める。
「クリス様とも長い付き合いですからね。さて、こういう件でというと――さしずめ、ロート男爵への紹介状をしたためてほしい。そんなところですかね」
「正解。あと、長年の責務に対する労いとか適当な理由つけて、手土産を用意してくれないかな。副宰相名義で貰えれば、向こうの警戒心も解けるだろうから」
「なるほど、よろしい。それをクリス様が届けに行って、話ついでにエミリア様のことを聞くと。中々良い筋書きなのでは?」
「ちぇっ、全部お見通しかよ。そう、その通り」
「ふふ、伊達に長く生きていないんですよ。人間関係の機微を捉えないと、無用な反感も買いますからね」
その返答に、俺は「おっしゃるとおりだね」と肩をすくめた。
下準備はこれでオッケー。
あとは実行だな。
† † †
「もうちょい地味な色の馬、いなかったのかい」
「芦毛はお嫌いで?」
俺のぼやきに馬丁が答える。
その傍らには、大きな芦毛の馬が立っている。
馬具も装着されており、いつでも乗れる状態だ。
ブフルという唸り声は「気に入らないの?」と俺に聞いているのだろうか。
いや、気のせいだろう。
「嫌いじゃないよ。ただ、どうしたって目立つだろ。何となくだが、鹿毛や黒鹿毛の方が好みかな」
「はは、そうですかい。ま、悪く思わねえでください。急な御用だったんで、空いている馬がこいつしかいなくてね」
そう言いながら、馬丁は馬の首を軽く叩いた。
フンフンと軽く唸り、馬はそれに答える。
そうだそうだとでも言いたげだ。
いいだろう、俺も別にお前に文句は無いよ。
「了解、借りるよ」と声をかけ、ひらりと馬に飛び乗った。
途端に視線が高くなる。
手綱を握り、城門の外へと馬の向きを変えた。
「それじゃ行ってくる。今日中には戻るから」
「お気をつけて、旦那」
その声を背中に、俺は馬を走らせ始めた。
ゼリックさんに話してから三日。
訪ねる理由となるお土産も揃え、先方にも既に連絡済みだ。
ロート家の領地は王都から近い。
南西に伸びる街道を行けば、馬なら一時間もあれば着くだろう。
"この程度なら散歩気分で行けるよな。なのに、全然行き来は無しか"
馬を走らせる。
濃い青葉の景色が、俺の後方に消えていく。
初夏を実感しながら、新鮮な空気を吸い込んだ。
陽はまだそれほど高くない。
朝露を散らしながら、一直線に駆けていく。
そんな気持ちのいい遠乗りは、気がつけば終わっていた。
「ここかな」
街道沿いの看板を読むと、ロート家の領地と記されている。
どのくらいの広さがあるのか不明だが、大して広くは無いだろう。
名ばかり貴族と、エミリアが言うくらいだ。
そんなことを考えつつ、ロート家の屋敷を探す。
案内板に従い、馬に乗ったまま小路を行く。
途中で緑豊かな林を抜けた。
景色が広がる。
「あれか。いや、しかし何とも」
思わず独りごちると、馬がヒヒンと小さく鳴いた。
まさか同意してくれたのか。
いや、ただの偶然か。
しかし、馬でも何か言いたくなるような――それくらい質素な屋敷だ。
ちんまりとした生け垣の向こうには、小さな花壇。
庭も小さい。
こじんまりとして清潔ではあるけれどね。
「ごめんくださーい。クリストフ=ウィルフォードと言います。王都より労いの品を持ってきました」
庭の生け垣越しに声をかけると、すぐに反応があった。
女の悲鳴のような声が響き、男の慌てた声が続く。
いやあ、ちょっとは予想してたけどさ。
そんなに驚かなくてもいいだろうに。
生け垣にもたれていると、すぐに屋敷の扉が開いた。
「お、お待たせしてっ、申し訳ありません! まさか勇者様が、自らご足労していただけるなどっ! このようなあばら家に!」
あばら家は言い過ぎだろ、ヘンドリックス氏。
慌てて飛び出してきたからか、息が切れてるよ。
落ち着けよ。
「まーっ、まーっ! ほんとに、本物の勇者様だわーっ! あのっ、よろしければ色紙にサインいただけますっ!? いえ、その前に名乗らなくては! 私、レネッシア=フォン=ロートと申しますっ。いつもエミリアがお世話になって……やだっ、お化粧直さなきゃ!」
「え、あ、はい」
もっと衝撃的なのはこちらのご夫人だ。
エミリアによく似ている。
栗色の長い髪と緑色の目は、夫と娘と同じ色だ。
結構美人だと思うが、この対応はどうなんだろうか。
最近いじられるばかりだったから、逆に新鮮だけどな。
「は、はあ。俺なんかのサインで良ければ。あの、中入れてもらっていいですか?」
レネッシア夫人の勢いに圧されたけれど、やることはやらないとな。
ここでちゃんと話を引き出さないと、何のために来たんだか。
「ええ、もちろんですわっ。ほら、あなた、何をグズグズしているのよっ。あの魔王を倒した勇者様がいらしたのよー!」
「分かっているとも。落ち着け、レネッシア。私はつい数日前に会ったばかりで」
「いいから早くなさいなっ!」
強気な妻の言葉に、ヘンドリックス氏はビシッと背を伸ばした。
ああ、これは完全に尻に敷かれているな。
何だか過去に覚えが……いや、今はそんなこと言ってる場合じゃないか。