70.聖女は過去を語る
俺とエミリアは他人だ。
偽装婚約という事情により、同居しているだけの他人だ。
お互いに知らんぷりということも出来る。
エミリアの事情は俺の事情ではない――そう言い切っても、別に責められることじゃない。
"けれど、今回はそうはいかないか"
味噌汁の味見をしながら、エミリアの様子を伺った。
やっぱりだ。
平常を装っているけれど、どこか違う。
「今日のご飯は何ですかー、お腹空きましたあー」という声も、どこか張りが無い。
「マスのムニエル。レモンバターとポン酢、どっちがいい?」
「あ、ポン酢でお願いしますー。サッパリ味で食べたいんですよー」
「了解」
返事しながら、火加減を確かめる。
頭の中では、どう切り出したものかと考えていた。
親子関係というのは微妙なものだ。
それでも、捨てておけなかった。
気の利いた台詞は、ええい、面倒くさい。
「あのさ、お父さんと上手くいってないの? 何で?」
「え、それ話さなくちゃダメなんですかー」
「どうしてもっていうならいいよ。けどさ、やっぱり気になるだろ」
「そうですかー、やはり婚約者のことですものねー。うんうん、やっぱりクリス様は優しいのですー」
「そうそう、婚約者のね……って、ええー!」
もうこの辺りはお約束だから、突っ込んでおくことにする。
エミリアも「ええ、一応ボケてみましたー」と笑っていた。
良かった、さっきまでのしかめっ面が少しほぐれた。
唇に右の人差し指を当てながら、聖女は視線を窓の外へと流す。
「いいですよぅ、お話しても。クリス様だって気になりますよねー」
「そうだな、おせっかいだとは思うけどね。どう見ても、良好な関係には見えなかったからさ」
「ですよねぇ」
エミリアが答えた時、俺は火魔石を止めた。
ジュウという音を聞きながら、俺はマスを菜箸で摘む。
まぶした小麦粉が芳ばしく、いい感じに焼けていた。
「レモンバターの方が美味いと思うんだけどな」と一応推してみた。
調味料は人の好みだから、押し付けは絶対にしないけどね。
「あー、それも分かるんですがー。今日はポン酢の気分なんですよー。また今度ですー」
「分かってるよ、ほら」
他人の好みをどうこう言うのは、それこそ野暮というものだ。
† † †
夕ご飯を食べながら、俺はエミリアの話を聞いた。
今日のメニューは、マスのムニエル、レタスとベビーコーンのサラダ、あとはご飯と味噌汁だ。
特に手の込んだ料理じゃないけど、普段はこんなもんさ。
「うーん、何から話せばいいのでしょうかー。私とお父様の愛憎絡み合うドロドロした関係には、深い深い歴史が存在していてですねー」
「そんなに重苦しいのかよ」
え、ちょっとどうしよう。
口にしたムニエルが、何だか重たい味になったぞ。
とろりとしたレモンバターのコクのせいかな。
いや、レモンのおかげで後口は爽やかなはずなんだが。
「いえいえ、冗談ですよう。どこの家にでもある、ありふれた話といえば話ですー」
「脅かすなよな」
「すいませんー」
へへと笑い、エミリアもムニエルを一切れ食べた。
肉も好きだが、魚も最近よく食べる。
「ムニエルっていいですよねー。小麦粉つけて焼いただけでも、お洒落な感じがして。軽くて、サクッとお腹に入るのですー」
ちょっと心配だったが、食欲はあるらしい。
ご飯も味噌汁も、バランス良く食べている。
ある程度満たされたところで、エミリアは俺の顔を見た。
「ではそろそろいいですかー、クリス様ー」
「こっちはいつでもいいけど」
「それでは改めて。いやあ、ちょっと恥ずかしいお話ではあるんですよねー」
そう前置きしてから、エミリアは口を開いた。
その口調は、ちょっとしんみりしている。
「私、兄と姉がいるんですよー。末っ子なんですねー」
ほっといても語ってくれそうなので、俺は相槌を打つだけだ。
エミリアとしても、その方がいいらしい。
「クリス様もご存知の通り、ロート家は下級貴族なんですー。爵位も男爵なので、名ばかり貴族に近いんですねー。お父様はそれを気にしていたからか、子供には結構期待していたようでしたー」
名称聞いても、俺もロート家ってパッと思い浮かばなかったからなあ。
貴族の家というものはたくさんある。
有名な家柄なら記憶しているけど、全部は無理だ。
「名ばかり貴族か」と俺が呟くと、エミリアは頷いた。
「小さな領地に小さなお家でしたねー。それでも領民には慕われていましたし、不幸せでは無かったとは思いますー」
「そう言う割には、曇った顔してるけれどね」
「え、あ、はい」
珍しく歯切れが悪い。
手許の湯呑みをもて遊びながら、エミリアは視線を食卓に落とした。
そしてぽそりと言葉を繋ぐ。
「兄と姉は、それなりにお父様の期待に応えていたんですー。体動かす方も、勉強もそこそこでしたねー。でも、私は特に取り柄もなくて」
言葉が切れた。
数瞬の沈黙の後、彼女は笑った。
それはどう見ても、無理している笑顔だった。
「子供の頃からどんくさくて、手のかかる子だったんですよー。大きくなったあと、エミリアはどうしたらいいんだろう……お父様はお母様にそうこぼしていました。夜中に起きた時に、たまたま聞いちゃったんですー」
「それは、いや、だからといって嫌いとは限らないだろ」
「好きだとはもっと思えないですよぅ。自分でも、そんな自分がイヤでしたー。期待に応えられないダメな子なのかなぁ。引け目を感じながら、兄と姉の陰に隠れていましたねー」
ハハ、という力ない笑いは、いつものエミリアらしくない。
前髪をかき上げながら、聖女はそのまま話し続ける。
「私に運良く聖女の適性があると分かり、両親は喜びました。特にお父様は飛び跳ねんばかりに、喜びました。私も嬉しかったことは嬉しかったです。でも、同時に複雑でした。みそっかすの自分を厄介払い出来るから、両親は喜んでいるんだって。ようやく引け目を感じずに済むから、肩の荷が下りたから、喜んでいるんだろうなって」
声の端っこがポツリと千切れた。
思い出というには悲しすぎる。
普段のエミリアからは想像もつかない。
皆からは、良心的な聖女と崇められている。
よく笑いよく食べ、彼女は基本的にいつも陽気だ。
なのに、この目の前の光景は。
「だから、そんなだから、私はお父様に会いたくないんですよぅ。暴力振るわれたりはしませんでしたー。でもでも、小さな私が近寄っても、困った顔でギュッとしてくれただけでしたー。違うんです、私は……私は、お父様に笑顔で遊んでほしくて」
「いい、分かった。悪かった、辛いことを言わせて」
もうこれ以上は聞かないし、聞けない。
エミリアは目の端に涙を浮かべている。
「すいませんー、ちょっと思い出しちゃって」と謝っているけど、それはこちらの台詞だろう。
"なんか、可哀相だな"
エミリアには罪は無いし、今は立派に聖女をしている。
引け目を感じる必要はどこにもない。
「ほら、泣くな」と励ましながら、俺はパーシーのことを考えた。
俺はあんまり出来た父親じゃない。
けれども、人並みには我が子を愛しているとは言える。
子供に才能が無いからって、親が子供を嫌うだろうか?
もし嫌っていたとしたら、わざわざ様子を見にくるだろうか?
"ちょっとお節介してやるか"
柄にもないと自分を笑う。
けどな、泣いている女の子を放置するほど、俺も無慈悲じゃないんでね。
過去からもつれた糸を解くくらい出来なくて、勇者なんて名乗れないだろ?