69.気まずい親子のご対面
"何故こんなことになった"
俺は沈黙をキープしたまま自問する。
目の前には、一人の男が座っている。
ハンカチでせわしなく顔を拭うが、汗など出ているはずもない。
俺と視線を合わせようとしつつ、それでも気まずそうにしていた。
エミリアはというと、もっと気まずそうだ。
眉を僅かにしかめ、ためらいがちに口を開く。
「あのぉ、お父様」
返事はすぐには無い。
エミリアの父は、ためらいがちに娘を見た。
少し遅れて「申し訳ない、このようなみっともない真似をして」とようやく声を絞り出す。
その言葉に、エミリアは即座に反応した。
「あのー、みっともないというよりー、びっくりしたのですよぉ。来るなら来るで、先に手紙でも何でもくれたらいいのですー」
それには俺も同意する。
立場がある者同士ならば、事前に約束をしてから訪れる。
それが常識というものだ。
エミリアの父上――ヘンドリックス=フォン=ロートと言うそうだ――と俺のケースは、まさにドンピシャ。
偽装婚約という微妙な関係の上に成り立つ、他人行儀な親族まがいなのだから。
"余程の事情があってのことかな"
まずは事情を聞かなくてはと思う。
が、この親と娘のぎこちない雰囲気は何だろう。
マナーを欠いた訪問とはいえ、仮にも親子だ。
一回ヘンドリックス氏が謝れば、それでいいはずなんだけど。
「ええと、ヘンドリックス男爵。もう気にしていないので、顔を上げてください。こちらに何か御用があって、いらっしゃったんですよね」
「はっ、はいっ! 勇者さまにも大変失礼な真似を!」
ヘンドリックス氏は、すごい勢いで頭を下げた。
危うく机に頭をぶつけそうだ。
余程の小心者なのだろうか。
「いや、それはほんとにいいですから。仮にも爵位をお持ちの方が、そうほいほい頭を下げちゃ駄目でしょう。それより、こちらへいらした理由を話していただけないですか?」
「そうですよー。私もさっきからそれが気になって、気になって」
「それは……分かりました。正直にお話すると、うちの娘のことが気になりまして」
その言葉に、俺とエミリアは顔を見合わせる。
はて、それだけならきちんと訪ねてくればいいのでは?
俺達の困惑はそのままに、聖女の父親は更に説明する。
「そのですな、この度のお話をゼリック副宰相からお聞きしまして。偽装とはいえ、うちの娘が勇者さまの婚約者となり、嬉しかったのです」
「はあ、なるほど」
相槌を打ってみた。
俺の機嫌が悪くないと分かったのだろう。
ヘンドリックス氏の顔色がましになる。
「ただ、その驚きと喜びが過ぎ去ると、心配になってきたのです。うちの娘本人からは、何の連絡もない。勇者さまからも何の連絡もない。噂によると、エミリアは神殿を出て、勇者さまと同居したと聞きました。うちの子がちゃんとやっているかなと思うと、不安になりまして」
「あっ」
思わず声が出てしまった。
しまった、これは俺とエミリアが悪い。
当人同士の問題とはいえ、親族も関係者なのだ。
一度くらい、ちゃんと顔を見せておくべきだった。
うちの両親は相当の田舎住まいだから無理としても、ロート家は比較的に王都から近い。
マナーに欠けていたのは、こちらの方だったんだ。
「おい、エミリアさん。確かロート家って、王都から遠くなかったよな」
「んん、徒歩で三時間くらいですねー。馬なら一時間くらいだから、ちょっと遠出すれば着きますー」
「だったら、一度くらいは訪ねても良かったんじゃ」
俺が問うと、エミリアは何故か黙ったままだった。
視線を机に落としたまま、父親の方に向ける。
「すみません、お父様。その点については、私の気配りが足りなかったと思いますー」と謝った。
「いや、その点はいいんだ。確かに気にはなっていたが、今となってはもうね。気にしても仕方がないと理解しているし」
「はぁ、そうなのですか。それでその、自分の目で見て安心したかったのですか?」
エミリアはそろりと聞く。
その様子がどうも気になる。
こいつにしては、妙に遠慮がちだ。
何か理由があるのかと思うけど、ここでは様子見しておこう。
「そうだね。けれどもちゃんとした来訪となると、勇者さまとお前に気を遣わせてしまう。正式な婚約ではないから、私も勇者さまにどんな顔を向けるべきなのか分からない。考えた末に、こっそり様子を見に行こうと思ったんだ」
「あー、なるほどなのです。そうか、お父様は私を心配してくれたのですねー。大丈夫ですよ。こんな私でも、クリス様はちゃんと扱ってくれていますー。ね?」
エミリアの声は穏やかだ。
けれど、その視線は微妙に父親から外れていた。
そのことに違和感を覚えつつ、俺は答える。
「え、ああ。その、無下には扱っていないと思いますよ。生活スキルが無いのは承知の上で、俺も一緒に住んでいますし。エミリアさんなりに、良く頑張っていますよ。な、そうだよな?」
「ええ、最近はお皿も洗えるようになりましたしねー。この前など、カップ焼きそばを一人で作りましたよっ」
「カップ……ヤキソバ?」
ヘンドリックス氏が怪訝そうな顔をする。
「異国の食べ物です。手早く作れて、そこそこ美味しい」と俺は説明しておいた。
全部説明すると面倒なので、ここは端折る。
異世界だって異国みたいなものだから、間違いでもない。
「ああ、なるほど。変な食べ物だなと思ったのですが、それなら納得です。そうか、うちのエミリアも少しはお役に立っているんですね」
「ええ、もちろんなのですー。お湯を入れて三分待つだけなのですよー。湯切りさえすればできあが……モガモガ」
「そ、そう、ちゃんと出来てますよ、エミリアさんは!」
素早く口を封じて、俺は愛想笑いを浮かべた。
インスタント食品のことは、あんまり話すなよな。
お湯入れただけで出来るんだ。
最高の保存食として、争奪戦になりかねない。
そんな俺の心配など知る由もない。
ヘンドリックス氏は「ほお、便利なものが」と頷いている。
良かった、上手くごまかせた。
俺がホッとしていると、エミリアが口を開いた。
「お母様はいらしていないのですかー?」
「ああ、来ていない。私が行くことにも、反対していたぐらいだ。邪魔になるから行くべきじゃないとね」
「そう、ですか」
その時、エミリアの顔にフッと影がさした。
何だろう。
そう言えば、何だか最初からおかしかったな。
久しぶりに会ったんだ、もっと喜んでも良さそうなのに。
「今日はこの後どうするんですか、お父様ー。私はこの通り、元気です。顔も見せずに、申し訳ありませんでしたー」
「おい、ちょっと」
焦った。
エミリア、そりゃないだろ。
まるで早く帰れと言っているかのようだ。
横顔を見る。
不機嫌な影が、いつもの笑顔を奪い去っていた。
それに気がついたのだろう。
ヘンドリックス氏も立ち上がった。
「そうだな、ともかく元気そうと分かって良かったよ。このまま帰るとしよう。馬を飛ばせば、あっという間だしな。勇者さま、ふつつかな娘ですがよろしくお願いいたします」
「本当に帰るんですか。せめてもうちょっとゆっくりしていけば」
「お気持ちだけ頂戴します。それではこれで。エミリア」
父の問いかけに、娘は視線を向けた。
同じ緑色をした目が、互いの姿を捉える。
「……母さん、会いたがっていたぞ。たまには顔を見せに来なさい」
「はい、お父様。考えておきますねー」
いつもの口調だ。
けれど、いつもの響きじゃない。
静かな激情が、そっと隠されている。
沈黙したまま、ヘンドリックス氏が去っていく。
エミリアはその場から動かない。
俺もしばらく固まったままだった。
「なあ、良かったのか。あのまま帰らせて?」
ようやく俺がそう言うと、エミリアは頷いた。
「いいんですー、別にー。お父様は私のことなんて、あんまり好きじゃないですからー」
苛立ちながら、怒りながら、悲しみながら。
エミリア=フォン=ロートは呟いた。