67.飲み会が終わり、また新たな一日を
「今日は楽しかった。ありがとな、クリス」
「ごちそうさまでした、クリス様。エミリア様はちゃんと明日起きるんですよ?」
そろそろお開きということで、ライアルとモニカが揃って玄関先に立つ。
俺の左隣では、エミリアが「起きるに決まってるじゃないですかあー。もー、子供扱いしてー」とぴょんぴょん跳ねていた。
うーん、これで二十歳を過ぎているのか。
左手でその頭を抑えつけながら、右手を軽く上げた。
「いや、こっちも楽しかったよ。またやろうな。ライアルはしばらく王都にいるんだろ?」
「多分ね。冒険者ギルドには顔を出すつもりだから、何かあったらそこで会おう」
「分かった。モニカさんは絶対にすぐに会うしな」
「そうですね、ふふ」
「わ、私にも何か一言くださいよおお、クリス様ああー」
「あ? 酔っぱらいはさっさと寝ろよ」
「しょんなあー! 日々扱いが酷くなっていくのは何故えー!」
俺の言葉に、エミリアは頭を抱えている。
いや、何故って、誰だって言いたくなるだろうよ。
二日酔いは解毒呪文で治るらしいので、別に心配もしていないしね。
そんな俺の内心が伝わったのか、ライアルが小さく笑う。
「いや、うん。面白いよね、ほんと」
「そうだろ、見ていて飽きないだろ?」
この時、俺はエミリアのことだと思っていたんだ。
だから、ライアルの次の一言でちょっと驚いた。
「ああ。クリスも聖女様も、本当に見ていて飽きないな。いいカップルだよ」
「え……まじで。心外だな」
「心外って何ですか、全くっ! それこそ私のプライドを侵害してますよお!」
「言葉遊びはそこまでにしましょう、エミリア様」
エミリアが口を挟んできたが、モニカにたしなめられた。
そのまま俺の方を向き、忠実なメイドは頭を下げる。
「何かと大変かもしれませんが、エミリア様をよろしくお願いいたしますね。私も精一杯お手伝い致しますから」
「まあ、出来る限りはね」
そう返すしか、思い浮かばなかった。
「ありがとうございます」とモニカが微笑む。
その間に、ライアルが玄関の扉を開けていた。
モニカに先に出るよう、目だけで促している。
ああ、そうか。
家まで送っていくんだったな。
「じゃあ、次の機会にな。おやすみ」
「改めて、本日はありがとうございました。それでは失礼いたしますね」
ライアルとモニカが春の夜へと消えていく。
黒髪の男が一歩前に出て、藍色の髪の女が後を追う。
二人の背中はすぐに見えなくなった。
その時、視界の端に白いものがチラリと見えた。
小さな花びらと気がついた時には、もう夜風に吹かれて消えていた。
「戻るか、寒い」
「そうですねぇ。風邪引いちゃうかもですからねー」
いつもの部屋に戻る。
食器とグラスだけが四人分残り、それが飲み会の終わりを告げていた。
何となく物寂しいような、それでいてホッとするような。
その気分を打ち消すように「今日の料理、どうだった?」とエミリアに聞いてみた。
「最高でしたよ、はいー。ロッククラブのカニクリームコロッケとか、大人気になりそうですよねー。城下で屋台でも出しませんかー?」
「そんなに暇じゃねえよ。でも美味かったなら、作った甲斐があった。あ、今気がついたけどさ」
「何ですかー?」
「あの二人、くっつくかな」
そうなのだ。
モニカに出会いの機会を提供するのも、飲み会の目的の一つだった。
ライアルと気が合うかどうかは、当人同士にしか分からない。
でも、俺としてはちょっと気になるんだよな。
「どうでしょうねえ、初対面の割には打ち解けていたかなーです」
エミリアはコクコクと頷く。
何か深い考えでもありそうな――いや、無いか。
「上手くいくといいね」と何となく流した。
「ですねっ。うん、でもモニカはきっと楽しかったと思いますよー。だから今はそれでいいんですよー」
「エミリアさんがそう言うなら、そういうことにしておくか」
「あれ、クリス様にしてはずいぶんと頼りないお言葉が」
「いや、モニカさんの性格をイマイチ掴んでないからさ。表情見ても、感情がもひとつ読み取れなくてね」
俺がそう言うと、エミリアは笑った。
肩にかかった髪を払いながら、彼女は答える。
「うふふ、モニカはクール系ですからねー。でも長年の付き合いのある私には分かるのですー! どどーん!」
「ドヤ顔する程のことか、それは?」
言葉とは裏腹に、ちょっと羨ましい。
人間関係の中には、長年付き合わないと分からないものもある。
エミリアとモニカの間には、それがちゃんとあるんだろう。
バツイチになった時に、俺が失ったものだ。
勘付かれないように、表情を隠した。
エミリアは意外に鋭い。
俺の微妙な表情に気づかないとも限らない。
作り笑いを浮かべてみる。
「さてと。片付けは明日にしよう。結構飲んだし、今日はもう面倒だ」
「はーい。あ、クリス様ー」
「どうした?」
振り向くと、エミリアが俺の袖をちょんと摘んだ。
白く細い指に一瞬だけ目を奪われる。
視線を上げると、お互いの目が合った。
パチッと一度瞬きしてから、聖女はゆっくりと口を開く。
「あのー、私はクリス様とも長いお付き合いをしたいなーと思っているのですがー」
「え、あ、そうなの?」
我ながら間の抜けた返事だ。
エミリアは小首を傾げる。
ちょっと困ったような顔で、フッと小さく笑みをこぼした。
「うふふ、何てねーなのですよー。それじゃ、おやすみなさいですー」
「……ああ、おやすみ」
呆然としたまま、俺はエミリアを見送った。
妙な気分だ。
落ち着かないような、けれど妙に心地よいような。
「ちっ、急に変なこと言うなよな」と憎まれ口をこぼしてみた。
それでも、やっぱり心の片隅がほんのり暖かいままだった。
† † †
エミリアが俺より早く起きることは、滅多にない。
寝癖で乱れた髪をなびかせながら、のろのろと起きてくる。
そんな調子だから、飲み会の翌朝も当然そうだろうと思っていた。
"ん、朝か"
目覚めはいつもの通りだ。
白っぽい朝陽が、俺の視界を満たしていた。
早朝と判断し、もぞもぞとベッドから這い出る。
昨日の片付けがあったなと考えながら、一つ大きな伸びをした時だ。
「おはようございますー、クリス様ー」
「おはよ、って、ええっ!?」
一発で目が覚めたよ。
え、何だこれ?
何でエミリアがもう起きているんだ。
幻覚でも見ているのだろうか。
けど、エミリアの足元にはちゃんと影がある。
なるほど、実体らしい。
「いきなり早起きして、何かあったのか?」
恐る恐る聞いてみると、エミリアは「ふふん」と胸を張る。
「たまにはクリス様の役に立ちたくてですねー、早起きしてお片付けしていたんですよー! 見てください、もうお皿もちゃんと洗いましたっ!」
「マジでか! うわ、ほんとだ、すっごい助かる!」
ピカピカとはいかないが、十分綺麗に洗われているじゃないか。
彼女なりに丁寧にやったのだろう。
しかもちゃんとサイズ別に分けて、すぐに収納出来るように積んでいる。
「どうですかー、私だってやれば出来るのですよー! いつまでも足手まといじゃないんですー」
「お見それしました。大したもんだ」
素直に誉め言葉を口にすると、エミリアは満面の笑顔を見せた。
パッと周囲が明るくなるような、そんな笑顔だ。
「うふふ、ありがとうございますー。それでですねー、労働したので朝ご飯が食べたいのですよー。美味しい朝ご飯をー!」
「分かったよ、良く出来た聖女さま。ちょっと待ってろ。久しぶりに和風にするか。鯵の干物と、ご飯と味噌汁でいいよな?」
念のため確認すると、エミリアは元気よく手を上げる。
「はーい、海苔と納豆もつけてくださいー」
それくらいのリクエストならお安い御用だ。
「エミリアさんの成長祝いだな」と笑いつつ、俺は鯵の干物を収納空間から取り出した。
これほど気持ちのいい朝は、いつ以来だろうな。




