66.ダメ押しの料理に会話も弾む
程よく酒が入った状態になると、何か口にしたくなる。
酔いだけでは物足りず、空腹も満たしたくなる。
人とは強欲な生き物だ――などと嘆くつもりはない。
人生は一度きりだ。
楽しめる時に楽しんで何が悪い。
例えば、ほら。
俺の隣の女の子なんか、これでもかと食べることを楽しんでいるぜ?
「むー、ふふふ、このあさりのキムチ和えですかぁ。お箸が止まらないですねー」
ニコニコしながら、エミリアは旺盛な食欲を発揮している。
小柄な体のどこにこれだけ入るのか、時々不思議になる。
ライアルとモニカも結構食べるけれど、エミリアには及ばない。
二人は食べながら、驚きのこもった視線を投げかけていた。
おっと、手が止まっているぜ?
「おーい、お二人さん。さっきから動かないままどうしたんだよ」
「お、おお。いや、エミリアさんの食べっぷりが凄いなと思ってさ。美味いね、この貝を炒めた料理。あさりだっけ、このくにっとした歯ざわりが面白いな。白菜キムチも辛いだけじゃなくて、その奥に少し甘さもあって飽きさせない。酒の肴にはぴったりだな」
「私もこれ好きです。貝はあまり食べないんですけど、海産物特有の複雑な旨みがありますよね。お酒と白菜キムチが生臭さを消していて、とても食べやすいですよ」
二人とも気に入ってくれたらしいな。
ライアルのグラスが空いたことに気がつき、モニカがすかさず酌をする。
「すいません、じゃあお返しに」とライアルも酌を返す。
昔に比べると、こいつも対応が柔らかくなったな。
モニカも嬉しそうにしている。
"きっかけになれば、それにこしたことはないけど"
男女の仲は何がどう転ぶか分からない。
あまりお節介は焼きたくない。
でも、それとなく機会を作るくらいは許されるだろう。
恋愛の駆け引きだけは、実際にやり取りしないと上達しないし。
そんなことを考えながら、俺はお茶漬けに口をつける。
淡い日本茶の香りと一緒に、ご飯とアラが舌に乗った。
うん、文句なく美味しい。
俺も少し飲みすぎたのか、こういう素朴な味が妙に染みる。
体だけじゃなく、心までホカホカしてきそうだ。
もう一口、二口啜る。
スカールのアラから脂がちょっと滲んで、それが微かなコクとなる。
醤油がそれを加速させ、ご飯と共に胃に流れ落ちていく。
単純だけど逸品と言っていい。
「クリス様ー、このあさりのキムチ和え、おかわりないですかぁー!?」
「えっ、もう食べたの?」
俺の束の間のお茶漬けタイムは、唐突に破られた。
エミリアが空の器を恨めしそうに見ている。
カラリと転がったあさりの貝殻が、何となく悲しい。
ついでに言えば、ワイングラスも空になっている。
「こう、今まで色々なお料理をいただいてきましたけどっ。お酒の肴と言うなら、これが一番ではないですかっ! この磯の風味漂うあさりも、ぴりっと辛い白菜キムチも、恐ろしいほどにお酒を勧めてきますよねー! 一口ごとに天国なのですっ!」
「いや、それは単にエミリアさんが飲み過ぎなだけじゃ」
「しっ、ライアルさん、黙っていてあげてください」
ライアルの突っ込みを、モニカが阻止する。
ほんとこのメイドは気苦労絶えないね。
その間にも、エミリアの熱い感想は続く。
どうやらよほど気に入ったらしい。
「しかもお酒がちょっと利いているから、大人のお料理って感じなんですよー。作り方はすごく簡単かもしれないけれど、小粋というか何と言いますか。こんなお料理をさくっと作るクリス様が憎いっ。海の幸と陸の幸の見事なマリアージュですー」
「憎いって何だ、憎いって。感謝していますだろ」
軽く答えながら、キムチ和えのおかわりを渡してやる。
「言葉のあやですよぅ、もちろん感謝していますー」と笑いながら、お茶漬けも食べ始めていた。
ほんとよく食べるな、この子。
「ふわあ、あっさりとしたスカールのアラが素敵ですねぇ。お茶と一緒に、さらさらと喉に入っていきますー。じんわりと美味しいって感じですー」
「焼きおにぎりとかも考えたけどさ、お茶漬けが一番食べやすいかなと思ってね。ライアルとモニカさんは?」
「ああ、これいけるな。俺には馴染みの無い香りだけど、この日本茶というお茶がいいね。それにスカールの余った部分がこんなに美味いなんて、今まで知らなかったよ」
「そうですね、とても食べやすくてホッとするような……上手く言えないんですけど、私、このお茶漬け好きです。ちょっと垂らしたお醤油がアクセントになって、最後まで飽きさせないんですよね」
良かった、皆それぞれ楽しんでくれたようだ。
一番食べているのは、当然エミリアだ。
まさかキムチ和えをおかわりするとは、俺の予想を超えていた。
でもライアルもモニカもよく食べてくれたし、何より皆いい顔をしている。
満足しながら、俺はワイングラスを傾ける。
これを今日の最後の一杯にしようか。
豊かな葡萄の風味が喉を抜ける。
それが消えないうちに、あさりのキムチ和えを少し食べた。
軽快な白ワインには、重くない料理が良く似合う。
俺の渾身のニ品をつまんでいる内に、この飲み会も終盤にさしかかってきた。
食べたり飲んだりより、次第に会話中心になっていく。
会話の中心は主にライアルだった。
昔より話すようになったかもな、こいつ。
「最初に言っておくけどさ、俺が加護を失ったことは気にしなくていいから。昔は気にしていたけど、今はもう気にならないしね」
最初にわざわざそう言うあたり、ほんとに変わったと思うよ。
ほんとあの時は見ていられなかったからな。
直々にお許しを得たからか、エミリアが遠慮なく切り込む。
「じゃあじゃあお聞きしたいのですっ。その右腕の痣は痛まないのですか?」
エミリアのど直球な質問にも、ライアルは平気な顔だ。
「今はもう大丈夫。加護を失った直後は、時々痛かったかな」
「そうですかあ、大変だったんですねえ。もしまだ痛むようなら、治療してさしあげようかと考えていたんですよー」
「ありがとう、でも気持ちだけでいいよ」
「もちろん有料ですけれどねー」
「えっ……」
聖女のあまりな発言に、ライアルが絶句してしまった。
その黒い目は大きく見開かれている。
「冗談ですよぉ、もっちろん」とエミリアは笑うが、本当に冗談なのか疑わしいな。
"なあ、あれって冗談だと思うかい?"
視線だけでモニカに問う。
忠実なメイドはしばらく視線を彷徨わせてから、小さく苦笑した。
どっちとも取れるなあ。
というか、俺の意図は正しく伝わったのか。
「あのっ、今ならサービスでその痣も消しますよっ。たったの50,000ルークですよっ、お得ですよ〜」
「高いよね、それ絶対!? どこの神殿でもそれより割安なんだけど!」
「そりゃもう、私が真心を込めますからねー。そこらの神殿とは、治療の腕が違いますよぉ。ええ、必要なら腕を切断してでもー」
「一番ダメなパターンだろ、それはあああ!」
ああ、ライアルがびびって身を引いている。
にじり寄ろうとするエミリアを、モニカが必死で引っ張っていた。
中々珍しい光景だなあ。
「良いではないですかー、良いではないですかー」
「エミリア様は飲み過ぎですよっ、もー!」
平和だなあと思いつつ、俺はお茶漬けをのんびり啜った。
ああ、美味しい。
たまには傍観者も悪くないよな。