58.飲み会のために買い物に行こう
衣替えというのは大変な作業だ。
それまで着ていた服を、クローゼットから引っ張り出す。
ようやく確保したスペースに、新しい季節向けの服を収納する。
俺が覚えている限り、この作業がすんなりと終わった記憶はない。
大体何かしらトラブルがある。
「冷静に考えたら、この服着たことあったかな」
そもそも衣替え以前に、捨てるべきではという服があったりするし。
「うわっ、虫に食われてやがる。駄目だ、これ」
せっかく保管しておいたのに、使えなくなった服を見つけたりもするし。
「これ、そろそろ流行遅れかもしれないな。もういらないか?」
服の様式について悩んだりもする。
離婚した時に服はだいぶ処分したさ。
それでも、まだ結構な数が手元に残っている。
そうして悪戦苦闘していると、二階から能天気な声がした。
「クリス様、まだ終わらないんですかー。私、もう終わりましたよぉー」
「えっ、何でそんな早いんだよ? 女の方が服たくさん持ってるだろ。ちゃんと替えたんだろうな?」
驚いていると、エミリアがひょこっと俺の部屋に顔を見せる。
その顔には得意満面と書いてあった。
もう階段下りてきたのか、速いな。
いや、それはどうでもいいか。
「失礼なっ。全部ちゃーんと夏物に替えましたよー。ふふん、私、持っている服が少ないですからねぇ。聖女たるもの、質素清貧がモットーなのです。清く正しく美しく!」
すごいドヤ顔なんですけど、この聖女さま。
ふん、言われっぱなしで済むと思うな。
「ああ、そうだったな。着たきり雀で、いつも同じような格好でごろごろしているもんな」
そうだった、この子の衣替えに時間がかかるわけがない。
エミリアの服なんて、ぞろっとしたローブしか見たことがない。
これが聖女の制服とは聞いてはいたが、私服も同じようなもんだ。
「そりゃすぐ終わるわ」と呟くと「楽でいいのですよぅ」とニマッと笑われた。
お気楽でいいなあ、こいつ。
「ちゃんとした礼服とか持ってないのかよ?」
「実家にはありますけど、ほとんど着たことないですねぇ。両親にも特に何も言われてないですし」
「それ、諦められているんじゃないの……」
返事しながら、エミリアの実家のことを考える。
ロート家にも今回の偽装婚約の件は伝えている。
何の連絡もないので、承諾してくれているとこちらでは勝手に解釈している。
だが偽装とはいえ、全く挨拶も何もないのも――と思わなくはない。
"二十一歳っていやあ、適齢期だよなあ。本気で結婚のこと考えないと、まずいんじゃないの"
今は料理の力で俺に懐いてはいるが、いつまでもという訳にはいかない。
真面目に人生考えないと、痛い目にあう。
俺自身がバツイチだからか、ついそんな風に考えてしまうんだよな。
「なあ、エミリアさんさ」
「何ですかぁ?」
いつも通り、エミリアはポヤンとした表情を向けてきた。
駄目だ、こいつ何も考えてないっぽい。
心配したことがバカバカしく思えてきた。
「いや、何でもない。ともかく理由は分かった。さっさと衣替え出来て良かったな」
「わーい、ほめられたのですー」
子供か、こいつは。
いや、そんなことより俺の方が問題だ。
冬服はどうにか全部引きずり出した。
だけど、保管する前に洗濯しないといけない。
「悪いけど、モニカに手伝ってもらうか」
「えっ、私がお手伝いしますよー。洗濯くらい簡単ですからー」
「断る」
「返事速くないですか!?」
「いつだって俺は即断即決即実行だ」
「脊髄反射の脳筋ですね、分かります」
「そうそう……って、お前に言われたくねえええ! 大体、今日は洗濯をのんびりしてる時間はねえ。夕方からライアルが来ること、覚えているだろ?」
そう、今日の重要案件だ。
この前エミリアが「そういえば、私、ライアルさんに会ったことないですねえ。一度お会いしてみたいですねー」と言ったので、ライアルがうちに来ることになった。
それが今日だ。
親睦会という名の飲み会だ。
誰が料理作るかって?
俺に決まってるだろ。
他に誰が作るってんだ。
「ちょっとモニカ呼んできてくれ。今日に限っては水魔石使ってもいいから、洗濯を頼むってな」
懐から青く輝く石を二つ取り出し、エミリアに渡す。
火の魔力を秘めた火魔石は、市中の魔工技師が割と簡単に作れる。
そのため価格も安いので、気軽に使える。
だが水魔石はそうもいかない。
作るのが難しいため、そこそこ値が張る。
コストの問題から、ここぞという時しか俺は使わない。
便利だけど、それに慣れたら浪費癖がついてしまう。
そうなったら自己破産まっしぐらだ。
「分かりましたー。モニカにちゃんと頼んでおきますねー。あ、当然私もお手伝いしますから、安心してくださいっ」
「いらんことはしなくていい。じゃあ、俺は市場に買い物に行くからな。いい子にしてるんだぞ」
「むー、私、お子様じゃないですよぅ」
だったら、これくらいでふくれるなよとは思う。
「そうだね、偉いね」といなし、俺は藤製の買い物かごを手にした。
多めに買い込むだろうから、今日は大きめのかごにしておこう。
玄関に向かうと、エミリアが「ところで今日のメニューはもう決まってますかー」と聞いてきた。
「明確には決まってないけれど、海鮮中心にしようと思ってる。普段は肉が多いから、たまには魚も食べないと体に悪い」
「うえへへ、いいですねえー。私、お魚も好きなんですよぅ。楽しみにしてますねー」
「というか、何でも食べるだろうに。じゃ、行ってきます」
改めて挨拶をして外に出る。
「行ってらっしゃいー」というエミリアの声に手を上げて応えた。
ゆっくりと歩き出しながら、軽く伸びをする。
うん、気持ちがいい。
この初夏独特の爽やかな暑さは、何だか気分を明るくしてくれる。
"うーん、酒の肴には何がいいかな"
通行人とすれ違いながら、俺はメニューを考える。
エミリアに言った通り、魚介類中心としか決めていない。
具体的にはこれから。
もっと言えば、食材を市場で直接見ながらってところだ。
そうだ、ヤオロズからの食材は何が手元に残っていただろう。
ハマグリでもあれば、お吸い物にしてもいい。
豪快に浜焼きにしてやれば、皆驚くだろうな。
"とはいうものの、今日は基本的には現地調達にするか"
いつも地球の食材に頼る訳にはいかないからさ。
自分の方針を確かめつつ、市場へ足を踏み入れた。
威勢のいいかけ声が飛び、店頭で客と店主がやりあっている。
明るくワイワイと、だけど互いの生活がかかっているから真剣に。
「スパイクフィッシュ四匹で150ルーク。どうだい、お買い得だろ?」
「うーん、そうねえ……悩むわあ」
魚屋の店主と女の客が話している。
店主はいかにも魚一筋って雰囲気を漂わせ、女はどこかあだっぽさがあった。
雑踏に紛れながら、何となく観察してみる。
「仕方ねえな。お姉さんだったら、魚も幸せだ。130ルークにおおまけしとくよ!」
「ほんと! よーし、今日はスパイクフィッシュの唐揚げにしちゃうぞー!」
交渉成立だ。
女が財布から代金を取り出した。
チャリリンと銅貨が軽快に音を立て、店主の手の平に落ちていく。
「まいどあり! ごひいきに!」
「どうもありがとね、たまにはうちの店にいらっしゃい」
ああ、水商売の姐さんだったのか。
どうりでと納得して、その場を離れた。
よーし、俺もいい買い物していくとするか。
食材の目利きも、料理には欠かせないからな!




