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57.リーリア=エバーグリーン

 リーリアは微笑んでいた。

 その華奢な両手で、豚汁のお椀を持っている。

 まろやかな味噌の匂いが漂い、リーリアの顔をほころばせていた。

 自然とおかわりしてしまうほどに、この料理は平和で温かい味だ。

 二杯目でも簡単に胃に入ってしまうだろう。

 そこでふと顔を上げる。


「皆さん、豚汁のおかわりはいりませんか? まだ食べたいという方がいらっしゃれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」


 肝心の移住者達を気遣ったのだ。

 今日の主役は彼らである。

 もっとも気遣われた方は、どぎまぎしてしまっていた。

 無理もない。

 現場で働くグランとは打ち解けていても、リーリアとは初対面の者がほとんどである。


「いやいや、俺達はもう十分いただいてますし。お気遣いだけで、ほんとにもう」


「そうですよ。侯爵夫人ともあろうお人が、わしらなんかにそんな」


「ありがたや、ありがたや」


 彼ら彼女らの口から出るのは、感謝と遠慮の言葉だった。

 敵意や恨みよりは百倍ましだ。

 けれども、リーリアは少しばかり寂しかった。

 下流区域から抜け出たとはいっても、卑屈さまでは中々直せない。

 分かってはいたこと、けれども目の当たりにすると。


「そうですか、ではお腹が空いたらこちらからよそってください。まだたくさんありますからね」


 内面を隠したまま、リーリアは微笑む。

 仕方がないことだ。

 体験や記憶に根付いた意識は、そう簡単には変わらない。

 時間がかかるだろうし、無理に近付いても良い結果は生まないだろう。

 軽く一礼して、彼女はその場から立ち去る。


「どうかされましたか、リーリア様」


「いえ、特には。ただ、人と人が打ち解けるには時間がかかるのだなと」


 声をかけてきたのは、グラン=ハースである。

 ほんの少しの表情の陰りを察したのだ。

 それを理解した上で、リーリアも答えている。


「はい。特に身分に差がある場合、それは簡単なことではありません」


「知っています、ええ。ただ、こうして直接経験するとね」


 ふぅと小さな吐息を漏らし、リーリアはその目を移住者達へと向ける。

 わいわいがやがやと楽しそうに、愉快そうに豚汁をよそっていた。

 自分が話しかけた時とは、明らかに違う。

 そこに壁を感じて落ち込むあたりが、リーリアの若さだろう。


「人を隔てる身分とは、面倒なものですよね」


「そうですね。けれども集団で生きる以上、それは必然です。覚えていらっしゃいますか、リーリア様。人にはな、それぞれの地位や立場に合った進むべき道がある――昔、私があなたに教えたことです」


「……当たり前じゃないですか。忘れるわけないですよ」


 リーリアの返事は静かで小さく、だが力強かった。

 それを受け止めるように、グランは頷く。

 その薄茶色の目はとても優しい。


「それなら良いのです。身分差を超えて手を差し伸べることは出来ても、身分差自体を壊すことは難しいです。限りなくね」


「分かっております。ですから一年前、私はサンドリスの家を出たのです。エバーグリーン侯爵家に嫁ぎ、自分に出来ることを為すために」


「ええ、おっしゃる通りです。ですから良いではないですか。ここにいる人達は、リーリア様に感謝しています。あなたの目指す社会改革の第一歩としては十分ですよ」


 諭すように言われると、リーリアは頷くしかない。

 グランは確か今年三十五歳である。

 自分より十七歳も年上なのだ。

 人生経験の差はどうしようもない。

 初めて彼に出会った時から、それは痛感していた。

 今もまだ教えられてばかりである。


「グランさんはずるいです」


「は?」


「何でもありませんよーだ」


 フンとそっぽを向きながら、リーリアは二杯目の豚汁にスプーンを入れた。

 追いつこうとしても追いつけない。

 そのもどかしさを紛らわすかのように、豚汁を一口頬張る。

 自然と「やはりこの料理、美味しいですね」と声が漏れた。


「いい意味で土らしさを感じさせますね」


 グランも感想を漏らす。

 彼もまた豚汁を口にしている。

 いつの間にかお代わりをしていたらしい。

 二人は肩を並べながら、もしゃもしゃと豚汁を食べ進む。


「このたっぷりと盛られた野菜が味噌の風味と合わさって、ほくほくして」


 フーフーと息で冷ましながら、リーリアはまた一口豚汁を食べる。

 十分に茹でられた野菜には味噌が浸透し、それが嬉しい。

 ワイルドボアの肉も予想外に柔らかい。

 臭みはなく、あくまでとろけるようである。


「ええ、クリス様に感謝しなければですね」


 相槌を打ちながら、グランはちらりと視線を走らせた。

 その先には一組の男女がいる。

 一人は青い目をした銀髪の男性だ。

 いわずとしれた勇者、クリストフ=ウィルフォード。

 何気ない佇まいでも、やはり常人とは違うと思わせる。

 もう一人は若い女性である。

 長い栗色の髪は今は背中でまとめられ、緑色の瞳が美しい。

 こちらは聖女として名高いエミリア=フォン=ロートである。


「本当にそうですね。あら、こうして見ると」


「何ですか、その意味深な笑みは」


 リーリアの表情に気がつき、グランは声を低くした。

 ある対象に対して興味を持った時、彼女は唇の両端を上げる癖がある。

 今の彼女の表情はまさにそれだった。


「やっぱり絵になるなあと思っただけですよ?」


「お二人とも美男美女ですからね」


「そうね。でもそれだけじゃなくて、仲良さそうじゃないですか。婚約なんてまだるっこしい、さっさとくっつけばいいのです」


 鈴を転がすような声だが、明らかに面白がっている。

 他人の恋愛に対して、彼女は遠慮というものがない。

 グランとしては「そうですね、お似合いだと思います」としか言えない。


 相手はエシェルバネス王国の誇る勇者と聖女だ。

 二人の関係に、うかつなことは言いたくなかった。

 そんなグランをよそに、リーリアはじっと二人を観察している。

 風に乗って届く会話は、とてもにぎやかである。


「クリス様ー、その余った豚汁分けてくださいよー。私、まだ食べられますからー。お願いですよぅ」


「イヤだよ、何で俺が自分の豚汁分けてやらなきゃいけないんだよ。これから食べるんだって。お代わりしたいなら、あっちの鍋に取りにいけよ」


「ええー、だってあそこまで行くの面倒なんですよぅ。クリス様からもらえば、歩かなくてすむじゃないですかぁ」


「どこまでグータラしてるんだよ!? いいか、お前より皆の方が疲れているんだぞ。分かってるか?」


「ふーんだ、私だって回復呪文使ったりしましたよー。それに転移呪文も使ったし、今日はもう一歩も動きたくないんですー。なので豚汁くらい分けてくださいー」


「あっ、こら勝手に食うんじゃねえ!」


 にぎやかを通り越して、騒がしいと言った方が適切か。

 エミリアは奪った豚汁片手に逃げ出し、クリスは必死の形相で彼女を追っている。

「お前許さねえからなあああ! 食べ物の恨みは怖いんだぞおおお!」という勇者の声が、ペレニア丘陵地に響き渡った。


「リーリア様」


「はい」


「仲いいですね、とても」


 ためらいがちなグランに対して、リーリアは満面の笑みを向けた。


「仲いいですよ、お二人は。ええ、そうですとも。私には分かります!」


 その自信はどこから来るのか。

 だが、グランはその疑問を呑み込んだ。

 代わりに勇者と聖女の姿を追った。

 見つけた。

 平和な青空の下、二人は追う者と追われる者に分かれている。

「いやあ、やっぱり美味しいのですー」というエミリアの声の後に「あああ、俺の豚汁があああ」というクリスの嘆きが続く。

 

 それは紛れもなく、平和で朗らかな光景の一コマだった。

『三十路の疲れて貧乏な冒険者の俺が、家出した貴族令嬢を拾いまして』

https://ncode.syosetu.com/n5539dz/

グランとリーリアの出会いは上記URLから読めます。よろしければぜひ。

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