56.皆で食べる豚汁は
味噌が湯の中に溶けていく。
その様子は、茶色の噴煙が上がったようにも見える。
見ようによっては、これ、単に濁っただけにも見えるよな。
だからか。
周囲から静かな動揺が伝わってきた。
「焦るな、見た目は悪いけど味はまともだ。俺を信じろ」
「はいー、私は信じますよう」
「エミリアさんは何度も味噌汁飲んでるからな」
今さら信用するも何もないだろうに。
だが、エミリアの発言は役に立った。
聖女がそう言うなら間違いない――ということらしい。
周囲の空気が緩むのが伝わってきた。
エミリアが意図してた訳じゃないだろうけど、結果オーライだ。
"おっと、そろそろいいかな"
微かな懸念も晴れたところで、豚汁の様子を見てみる。
うん、味噌も溶け切っているようだ。
これならもういいだろう。
「椀によそって渡すから、一列に並んでくれ」と声をかける。
しかし、流石に人数が多いな。
誰かに手伝ってもらおうかな。
「クリス様、私にも手伝わせくださいな。このお玉、他にもありますか?」
「はいはい……って、リーリア夫人がやるんですか?」
いきなり背後から声をかけられ、ちょっと驚いた。
振り返ると、リーリア夫人がシャツの袖をまくっている。
白磁のような滑らかな肌が眩しい。
「ええ、私がやるんですよ。元々この方達の引っ越しは、私が考えたことですわ。その引っ越し祝いのお料理ですもの。給仕くらいしなくてどうするのですか」
「そこまでおっしゃるのならお願いします」
まだ若いのに出来た人だな。
感心しながらお玉を渡すと、グランもやってきた。
「あんたも?」と聞くと「ええ、もちろん」と彼は表情を緩める。
「元々手伝うつもりでしたし。リーリア様に先に言われたので、ちょっと慌ててしまいましたが」
「助かるよ。じゃ、これ」
「クリス様、私も、私も!」
意外なことに、エミリアまで手を挙げている。
珍しく長い髪を後ろで束ねているのは、給仕の邪魔にならないようにってことか。
「手伝えるの?」
「何ですか、その疑わしいものを見る目はー! 私だって食べるだけじゃないんですよぅ!」
どうやら本気らしいね。
そういうことなら彼女にも手伝ってもらうか。
「よし、じゃあお願いするよ」
そして、俺は豚汁の最初の一杯をお玉ですくった。
白い湯気が立ち上り、具材と味噌が絡まった匂いが続く。
お玉二杯で、お椀はぎりぎりまで充たされた。
ぺこりと頭を下げながら、先頭の人がそれを受け取る。
「ありがとうございます、ありがとうございます。俺らみたいな下流区民にここまでしていただいて……ほんとに、何てお礼を言ったらいいのか」
「辛気臭い礼はいいからさ、温かいうちに食べちまえよ。あとさ、もう下流区域に住んでる訳じゃないんだから。自分らのこと、下流区民なんて卑下しなくていいと思うぜ」
✝ ✝ ✝
豚汁はとにかく単純な料理だ。
豚肉と数種類の野菜を湯に放り込み、味噌をそこに溶かすだけ。
いわばただの味噌味のスープだ。
単純なだけに、異世界の味に馴染みがなくてもとっつきやすい。
「この味噌っていうもんは、中々美味しいねえ。ちょっと塩っぱくて、でも何とも言えない温かな旨さがあるのう」
「ああ、ほっこりしていて疲れた体に染みるな。この肉も薄切りなのに食べごたえがあるし、ほんとに美味い。ワイルドボアの肉なんだって?」
「そうらしいわよ。豚肉と似ているけど、もっと脂が乗ってる感じ。魔物の肉って聞いてちょっとびっくりしたけど、とろけるような食感がたまらないわね」
「というか、うちら肉自体ほとんど口にしたことないしね。肉もいいけど、お野菜もほくほくしていて美味いんよね」
「ほんまにのう。わしはこの、ゴボウっちゅう野菜がええのう。シャキシャキしていて、ちょっと土っぽさがある。味噌との相性抜群じゃ」
「お前さん、異世界の料理初めてやろ? ようそんだけコメント出来るもんやのう」
ワイワイガヤガヤと騒ぎながらも、全員気に入ってくれたようだ。
ふーふーと息を吹きかけながら、豚汁を食べている。
スプーンで豪快にかきこむ者もいれば、ゆっくり味わっている者もいる。
何にせよ、受け入れてくれて良かった。
さて、俺も食べ始めるか。
給仕も一通り終わったので、エミリアらに声をかけた。
それぞれ一杯ずつ椀によそって、鍋から離れた。
皆もお腹は空いていたようで、座るとすぐに食べ始める。
「はー、これは体が暖まりますね。ちょっと塩気があるのが、また疲れた体にはいい」
「素朴なお料理ですけど、美味しいです。大根っていうこの半透明のお野菜、柔らかくて癖が無いですね。私、これが好きです」
感想を述べつつ、グランとリーリア夫人は豚汁から目を離さない。
ワイルドボアの肉も平気で食べている。
ここまで薄切りにしているので、堅さも問題にはならないようだ。
「お仕事の後だと、更に美味しさが引き立つのですー。ほっこり優しい味ですねえ」
「汁物ってそういう部分あるよな。特に豚汁の場合は、味噌汁より具材の味が際立つから余計にね」
「あっ、そう言われてみればそうですね。お味噌汁だと、具材が浮いている感じですよね。でも豚汁だと、具材でお椀が埋まっているみたいなー」
「豚汁だけでも、十分主役になるよ」
こと食べ物については、エミリアは信用出来る。
根が素直なのか、異世界の料理に対しても変に構えることがない。
これでもう少し家事が出来たら……いや、それは言うまい。
とにかく、俺も自分の豚汁を食べるとしようか。
これだけの量を作ったなら、立派に働いたと言えるしな。
椀を傾け一口啜る。
"おお、やっぱりこの味はしみるね"
味噌の風味が全ての食材に行き渡り、味を上手く調和させている。
自画自賛だが文句なく美味い。
目論見どおり、ワイルドボアの臭みは味噌で中和されていた。
そして肉から滲んだ脂が、程よいコクを加えているんだ。
けしてお上品な料理じゃない。
だけど、こういう野性味溢れる料理が青空の下には似合う。
"野菜も十分煮込まれて、いい感じだな"
三種類もあると、それぞれが異なる味を発揮する。
大根は癖がなく、マイルドな歯応えだ。
人参はほんのりとした甘みがあって、一番自己主張が強い。
ささがきにされたゴボウの僅かなえぐみと土くささが、良いアクセントになっている。
肉の存在感を引き立てながら、それぞれの風味がちゃんと生きていた。
一言で言うなら、素晴らしい。
「素朴だけど、こういうのいいよな。皆でわいわい言いながら食べるのって楽しいしさ」
豚汁を堪能しながら、俺は視線を上げた。
こんな多くの人が、俺の作った料理を食べてくれている。
そしていい笑顔を見せている。
これが幸せでなくて何だろう。
元下流区民の人達に幸あれだ。
このペレニア丘陵地で、新たな人生を切り開いてくれ。
「全部クリス様のおかげですよ。本当にありがとうございます」
「改めて御礼申し上げます」
あれ、リーリア夫人とグランに頭を下げられてしまった。
基本的に義理堅いんだよな、この人達。
「いいよ、いいよ。それよりまだ豚汁あるから、二杯目よそってきなよ。食べられる時に食べておいた方がいい」
「そうですかー、じゃあ遠慮なくいただきますねー!」
「お前はちっとは遠慮しろよ!?」
ほんとよく食うよな、この聖女さまは。
あーあ、皆に俺達のやり取りが笑われてるぞ。
「ほんと仲睦まじくて、微笑ましいですなあ」
「正式な結婚式が今から待ち遠しいねえ」
「ちょっ、待って、これには色々わけがあるんだよ!」
「いいじゃないですかー、別にー」
「ぐ、ぐぬぬ、ま、まあ、目くじら立てるのも大人気ないか」
歯噛みしながら、豚汁を一口啜る。
暖かでどこか懐かしい味が、俺の喉を優しく通り抜けていった。




