55.豚汁作りはダイナミックに
豚汁という料理をヤオロズから教わった時、俺はちょっとびっくりしたもんだ。
割と手のかかる料理の後だったから、その落差もあったと思う。
「材料切って、ぐつぐつ煮込んでハイ終わり?」
"そう、それだけ。出汁もいらないよ"
「それで旨味つくの?」
"具材から滲み出るから、特にいらない。楽だろ"
神様が言うからには、きっとそうなのだろう。
最初は半信半疑で試してみたけれど、確かにちゃんと味はついていた。
味噌汁のように出汁をとってもいけるとは思う。
だが、豚汁はあえてそれをしない料理みたいだ。
というわけで、今回も俺は出汁を取らずに作ることにした。
恐らくもっとも簡単な料理の一つだろう。
これより簡単な料理というと、お茶漬けくらいしか思いつかない。
「それで豚汁ってどうやって作るんですかー?」
「せっかくの機会なので、私も見てみたいです」
エミリアとリーリア夫人が寄ってくる。
今は大きな木の台を調理場代わりに使っている。
その上に具材を広げながら「どうぞ。ただし危ないから邪魔はしないでほしい」と答えた。
包丁持っているから、ほんとに危ないんだよ。
「分かりました、気をつけますね」
リーリア夫人は素直だ。
いつもはうるさいエミリアも、今日は大人しい。
いいことだ。
「……ひもじい……ひもじい……あぁ、お腹と背中の皮がくっつきそうです……早く、早く私に食べ物をください」
前言撤回。
過度の空腹なだけだった。
大した作業もしていないのに、何故こうも簡単に腹を減らすのだろう。
分からない。
気を取り直して、調理にかかる。
とはいっても、簡単なんだけどな。
「おーい、誰かこの鍋に水汲んできてくれ。ああ、そこの用水路の水でいい」
取り出した大きな鍋を指差しながら、周りの人にお願いする。
グランがそれに応え、何人かと共に鍋を持っていった。
すぐに動いてくれる人がいると助かるね。
その間に、俺は具材のカットに取りかかる。
まずはワイルドボアの肉から。
「あれ、そういえばこのお肉って大丈夫なんですかー? ワイルドボアやっつけたのって、二十日くらい前ですよねぇ」
「お前生きてたのか。寝てろよ」
エミリアに唐突に聞かれたので、つい素っ気なく返してしまった。
「むー、酷いのですっ」とエミリアはむくれている。
「悪い悪い。質問に答えるよ。腐ってるかどうかってことなら、それは大丈夫だ。角煮作ったこと、覚えているだろ? あの時余ったワイルドボアは、全部冒険者ギルドに持ち込んだ。そこで解体して防腐処理を施した上で、収納空間で保管したからな」
これだけやれば最長一ヶ月はもつ。
解体時に薄切り肉にスライスして、その状態で特殊なハーブをふりかけている。
おまけに収納空間には、冷凍保存できるスペースもあるからな。
地球で言うところの冷凍庫に近い。
「用意周到ですねぇ」
「ああ、ですからこのように綺麗な状態なのですね。納得いたしました」
エミリアに続いて、リーリア夫人も口を挟んできた。
「侯爵夫人のお腹を壊すような真似はしませんよ」と軽口を叩きながら、俺は肉を一口大に切っていく。
既に薄切り状態なので、どんどん包丁を上から滑らせていくだけ。
とはいっても、五十人以上の分量だ。
単純に多い。
包丁に猪の脂がついて、段々キレが悪くなってきた。
時折布で脂を拭い、そのままカットを続行する。
自分で言うのも何だが、かなり速いと思う。
「よし、終わった。次は野菜の番だな」
豚汁に使う野菜は、にんじん、ごぼう、大根だ。
これも量があるので、皮剥きだけは既に市場の人にやってもらっている。
「見ない野菜ですねえ」と首を捻られたけど、異世界の野菜と説明すると納得してくれたようだ。
俺が珍しい料理をすることは、そこそこ知られてきてるしな。
「だから後は切るだけなんだよ」
そうは言いつつ、それが意外に重労働なんだけどね。
五十人分の野菜となると、山盛りという表現ですら追い付かない。
馬車で運んだ方がいいかもと思う程、結構な量になっている。
人が抱えて運べるかというと、ちょっと怪しい。
"それでもこれを人に任せるのは、俺の主義じゃない"
にんじんをまな板の上に置く。
包丁を滑らせて、まずは輪切りに。
ついで、それを櫛形にカットだ。
こうすることで面が増え、味が染み込みやすくなる。
それを黙々と続けていると、グラン達が戻ってきた。
「ただいま戻りました。ああ、このかまどの上に置くのですね。すぐに湯を沸かします」
「頼んだ。ちょっと手が離せなくてな」
まな板から目を離さないまま、俺は野菜のカットに集中する。
同じ動作を繰り返し、ひたすらに反復していく。
ヤオロズに見せてもらった地球の光景を思い出す。
地球ではこうした単純作業は、食品工場という場所で機械を使って行うらしい。
確かに頭を使うことはない。
ルーティンの繰り返しなら、機械の方が向いているのだろう。
疲れることもないしな。
"だから俺はここでは機械になりきる"
雑念を消す。
目の前の野菜と包丁だけに集中する。
一本のにんじんをカットし終えると、すぐに次のにんじんを手にする。
残った野菜はどれだけあるのか。
にんじんの次は大根、最後にごぼうか。
いや、考えない。
考える暇があれば、手の動きに集中しよう。
目で野菜の形を捉えて、切るべき大きさに包丁を入れよう。
周囲の音が消えていく。
リズミカルに手を動かして、最小の動作でカットという結果を出していった。
「よし、終わり」
気がついた時には、全ての野菜のカットが終わっていた。
にんじんと大根は櫛形に、ごぼうはピーラーでささがきになっている。
肉と合わせると、相当な量だ。
「これ、沸騰した湯に全部放り込んでくれ」とグランに言ってから、ぶらぶらと右手を振った。
いやあ、さすがにちょっと疲れたな。
「あれだけの野菜をこの短時間で切るって、クリス様すごいですねえー」
「伊達に勇者じゃないからな。体力と反射神経さえあれば、誰だってこれくらい出来る」
エミリアは目を丸くしているが、要は何を武器として持っているかだ。
野菜切るくらいなら、包丁さばきのスキルは別にいらないし。
「こっちは――おお、いい感じじゃないか」
鍋の方へと視線を移した。
大量の具材を投入したにもかかわらず、ぐつぐつとよく煮立てられている。
これはグランの功績だろう。
上手くかまどに薪をくべ、火の勢いも強い。
「さすがベテラン」と声をかけると「それほどでも」とにこやかに返された。
短い付き合いだけど、この男はいい奴だと思う。
それに引き換え、うちの聖女ときたら。
「クリス様ー、クリス様ー。お肉と野菜がぐつぐつしていて、すごく美味しそうですよぉー。まだなんですか、まだなんですかぁー!?」
「エミリア様、危ないです! 火に近づかないでください、お願いですからあ!」
空腹が限界に達したのだろう、エミリアは鍋に顔を突っ込みかねない勢いだ。
リーリア夫人が必死で腕を引っ張って止めている。
どこまで手がかかるんだ、この娘は……しかも大事なことを忘れているぞ。
「慌てるなよ、味付けもまだ済んでないんだから」
「ハッ!? まさかそんな基本的なことを失念していたなんてえー!」
「いいからどけ。ほれ、ここに味噌を一気に――」
話しながら、俺は収納空間を開く。
味噌の入った壺を取り出すと、ふわっと濃い独特な匂いが漂った。
塩気を感じさせる馴染みの無い匂いに、皆がざわめく。
味噌には白味噌と赤味噌があるが、今日は赤味噌だ。
土の滋養を感じさせる赤茶色が、何とも力強い。
「投入して、味付けだ。あんまり煮るとこの風味が飛ぶから、短時間で済ませるぞ」
「つまり、もうすぐ食べられるってことですねっ」
「お前は後だよ。今日は引っ越し祝いも兼ねるんだから、他の人達が先だろ」
「そんなぁー」
うなだれるなよな、これくらいで。
残念な聖女を放置したまま、俺は壺から味噌をどばっと鍋にぶちこんだ。
その途端に、鍋から味噌のいい匂いが立ち上る。
これこれ、これが野外で作る豚汁の醍醐味なんだよな。