54.丘陵地の皆さんへの差し入れ
「おー、何だか人の住むところっぽくなってきたなあ」
左右を見渡す。
再び訪れたペレニア丘陵地は、迅速な工事による開拓が進んでいた。
思わず「こりゃたまげた」と呟いた。
せっかくだからとリーリア夫人に誘われ、引っ越しの見学に来てみたんだ。
ついでに陣中見舞いもするつもりでね。
ライアルも来ればよかったんだが「面倒くさい」と断られてしまった。
そこまでする義理は無いってところなのかな。
澄んだ空気を吸い込む。
ヒラヒラと数匹の蝶が舞っていて、のどかな風景と名付けたくなった。
二十日ぶりとは思えないほど、かなり様変わりしているなあ。
荒れた地面は丁寧にならされているし、近くの川から用水路も引かれていた。
仮組み段階とはいえ、木製の小屋も建てられつつある。
仕事が速いね、まったく。
「小規模とはいえ、集落になりますからね。ゆくゆくは正式に村として認定されるようにしたいと思います」
俺の隣から、軽やかな声がした。
横目で見ると、やはりリーリア夫人だった。
野外だからか、男っぼい服装をしている。
実は結構活動的なのかもしれない。
その背後には、グランが従っている。
「大したもんですね。全部、貴女が?」
「私だけではないですよ。物資については、主人が色々と手配してくれました。それに、グランさんが現場の指揮を取ってくれましたからね」
「そっか。やっぱ元ベテラン冒険者だけあって、こういう時は頼りになるね」
「いえ、私はこれくらいしか出来ないので」
グランは謙遜するが、俺はそうは思わない。
慣れない土地への引っ越しだ。
いくら希望したとはいっても、下流区民の中にはビビる者もいただろう。
グランは彼らをまとめ、野外での作業に従事させているのだ。
不測の事態に備えることもあるだろうし、決断力と注意深さが必要となる。
冒険者のキャリアは、こういう時に有効に働く。
「謙遜しすぎだと思うけれどね、ほんと。あそこ見てみなよ。聖女様なんて足引っ張ってるだけだぞ?」
俺が指差した方を見て、リーリア夫人とグランは顔を見合わせた。
二人とも何とも言えない表情をしている。
「いえ、その、まあ、あの聖女と名高いエミリア=フォン=ロート様がいらっしゃるだけで……いらっしゃるだけで……そう、皆士気が高まりますから!」
どう見てもリーリア夫人は無理をしている――うん、間違いない。
「エミリア様は、はい。ああやってわざと失敗することで、自分を下げて周囲を立てているんですよ。きっと」
目を逸しながら言っても説得力無いぜ、グラン。
それにある意味、全くフォローになってないんですが。
「うきゃー! ごめんなさいごめんなさい、桶ひっくり返しちゃいましたああー!」
「ああ、もう! 聖女様はいいから休んでいてください!」
「これで何度目かねえ。ほら、ここに座ってくださいな。今、お水持ってきますから」
「うう、すみません。私、普段はこんなにそそっかしくないんですけど……って、おっとお!?」
うわー、あの馬鹿やりやがった。
ローブの裾を踏んで転んで、そのまま用水路に突っ込みやがった。
派手な水音が上がる。
「だ、大丈夫ですかー!」という誰かの声がそれに続く。
ずいぶん賑やかだな、おい。
「ちょっと引っ張り上げてくるわ」
そう言い残して、俺は用水路の方へ歩き出した。
一応こう見えても婚約者だからな、俺。
偽装婚約中ということは、この際置いておくことにする。
✝ ✝ ✝
「ぶえっくしいっ!」
賭けてもいい。
もし何も知らない子供がこの光景を見たら、聖女に幻滅するということに。
何せ派手なくしゃみをかまし、おまけに鼻水をすすっているんだぜ。
「間抜け過ぎるぞ、おい」
呆れながら、俺はエミリアに乾いた布を渡してやる。
「すいませんー」と力なく答えながら、彼女はそれを受け取った。
栗色の長い髪をゴシゴシこすっている姿は、まるで濡れ鼠のようだ。
威厳や気品はかけらもない。
「何でそんな歩きにくい服着ているんだよ。野外活動だって分かってるのに」
「ふふん、それはですねえ。このダボッとしたローブこそが聖女の制服だからですぅー」
「もう少し機能性を重視するべきだと思うね」
規則や伝統が大事だというのは分かる。
それとは別に、用途に合わせて柔軟にというのも必要ではなかろうか。
もっとも、ここでエミリアと話しても仕方ないか。
諦めて、丘陵地へと視線を向けた。
うん、これなら人が住めそうな感じだ。
「猪共の死体も片付けられたし、無事に引っ越し出来そうだな」
「そうですねえ。近くの村の人が色々手伝ってくれたらしいですねえ」
「ああ、全部リーリア夫人が調整してくれてね。引っ越しが無事完了した後は、そこの村と連絡を取り合うことになるって話だ」
エミリアに答えながら、俺は内心ではリーリア夫人の賢さに舌を巻いていた。
下流区民の引っ越しだけではなく、その後の自立まできちんと考えているのだ。
この分なら、王国の地方行政庁にもきちんと話をつけているのだろう。
貴族のお嬢さんと侮っていては、痛い目を見そうだな。
「はぁ、凄いですねぇー。そうかあー、引っ越しだけぽーんとしても、その後が続かないですもんねぇー」
「ああ、ただ畑耕していればいいってわけにはいかないからな。他の村との交流や付近の盗賊への警戒などは、どうしても協力し合う必要があるからさ」
「なるほどぉ、勉強になるのですー」
エミリアはウンウンと頷いているが、ほんとに分かっているのだろうか。
しかし、俺が心配すべきことは彼女のことじゃない。
ここにいる人達の旺盛な食欲を満たすことだ。
「ぼちぼち調理に取りかかるから、そこで見てろよ」と声をかけると、途端にパッと笑顔になった。
「待っていましたっ、クリス様ー! よっ、この天下のお料理勇者ー!」
「おだてても何も出ねーぞ」
「バツイチの渋さがたまらないと、街中で噂の勇者さまですからねっ」
「いっぺんしばいたろか、こらああああ!」
こいつ、絶対俺をおちょくって楽しんでるだろ。
ああ、やっぱり連れてくるべきじゃなかったんだ。
転移呪文で移動出来るし、回復呪文で引っ越し者の支援も出来るから連れてきたけどさ。
俺のメンタルがガシガシと削られていく……!
「おやまあ、勇者さまと聖女さまは仲がええねえ」
「ほら、人も羨むロイヤルカップルってやつだから」
「高貴な身分同士の年の差カップル……尊い……しゅき……」
「お前ら、こっち見てないで土地耕したりしろよ!? いらんことばっか言ってると、炊き出ししてやらねーぞ!」
周りの奴らがニヤニヤとしているので、ここは一発喝を入れた。
勇者たる者、威厳が必要だ。
たまにはビビらせないと駄目だろ、うん。
「「怒ってる勇者さま、かーわいいですー!」」
「何でそうなるんだよ!」
もうやだ、誰かほんと助けて。
死にそう。
「大丈夫ですよう。不慮の事故で亡くなっても、蘇生呪文がありますからねー。聖女の私をなめないでくださいー」
「勝手に殺さないでくれ、頼む」
しかも大体お前のせいだぞ、エミリア。
まったくやれやれだ。
だが、このままでは終わらせない。
こいつらを一撃で黙らせる切り札が、俺にはある。
「いいのか、お前ら。俺が機嫌損ねたら、飯にありつけないんだが」
この一言には絶大な威力があった。
「うわあああすいません、勇者さまあああー!」
「ほ、ほんの出来心ですって、えへへ……すいませんほんとすいません!」
「そ、そんな酷いことしないでくださいー! 朝から働きづめで、食事くらいしか楽しみがああー!」
「ふははは、よかろう、愚民ども! この勇者クリストフ=ウィルフォードが、自ら手料理をふるまってやるぞ! 光栄に思え!」
いやあ、俺もたまにはこれくらい言ってもいいよね。
身体張ってワイルドボア倒して、彼らが酷い環境から抜け出せるようにしたんだもんね。
だからリーリア夫人とグランが引いていても、俺は気にしない。
俺だって人間だ。
言われっぱなしが気に障る時もあるさ。
「謝りますぅ、謝りますぅ。なのでご飯抜きだけはやめてくださいー。お願いですからぁ」
エミリアも途端に弱気になった。
そう、人は美味いものの前には無力なんだよ。
仕方ないなー、そうまで言うなら作ってやりますか。
「では発表します。今日のメニューは、ワイルドボアを使った豚汁だ」
ここでしか食べられないスペシャルメニューだ。
異世界の野外料理の定番、とくと味わえ!




