52.角煮の調理風景
カリカリになるほど焼く必要はない。
その手前で火を止めて、豚バラを引き上げる。
ここからは茹で上げだ。
フライパンの右側には、既に別の鍋を設置済み。
白い湯気が上り、ふつふつという湯が弾ける音がしている。
うん、いい感じだな。
「この湯の中に、焼き目をつけた豚バラを投入する」
エミリアに話しかけながら、俺の目は食材だけに向いている。
湯が跳ねないよう、なるべく慎重に。
結構な量の豚バラが湯に沈んだことを確認し、俺はお玉を手にした。
茹で上がるまでボーッとしている訳にもいかないんだな、これが。
「クリス様、それ何に使うんですかあ?」
「アクをすくうんだよ」
「悪を救うんですかぁっ!? 勇者なのに! 人類の裏切り者なのですっ!」
「あく違いだ、アホか! 人を悪者扱いすんな!」
色んな意味で頭を痛めながらも、湯の表面から目は離さない。
ほら、白く濁ったアクが浮いてきた。
これをすかさずすくって捨てる。
微かに茶色がかったアクは、あまり見ていて気持ちいいものじゃない。
このアク取りを続けていると、エミリアが口を挟んできた。
「あのぉ、基本的なこと聞いていいですか?」
「何だよ」
「アクってそもそも何ですか?」
そこからか。
しかしよく考えてみれば、料理しないと知る機会もないな。
「主な成分としては、肉汁や血液が固まったものだ。放っておいても害はないけど、雑味につながる。だから取り除いた方がいい」
「そうなんですかあ、何だかアク取りって面倒くさそうなのです」
「面倒だけど、これやらないと落ち着かないんだよ。湯の表面がアク一杯になると、見た目も悪い」
実は野菜からもアクは出るが、その説明は省いた。
きちんと調べたことはないが、どうもこの野菜のアクの方が有害な気がする。
妙にエグかったり、苦かったりするんだ。
それはともかく、今はこの豚バラのアク取りに集中だ。
「はっきり言ってしまえば、放置しておいても問題はない。多少濃い目の味付けなら、アクの雑味も消し飛ばせるからな。それでも、出来る限り丁寧にやる方が俺は好きだね」
湯にお玉を入れ、すくって捨てる。
それは料理というよりは作業に近い。
そういう地味な作業は根気がいる。
なので「クリス様ってまめなんですねー」とエミリアに言われれば、やはり悪い気はしない。
「性分だからな。でもそういう手間を認めてくれるのは、やっぱり嬉しいね」
「美味しいお料理食べさせてくれるんですもの、いくらでも認めちゃいますよぅ」
「ありがとう」
返事をしつつ、別のことを思い出した。
圧力鍋とかいう器具を使えば、もっと簡単に豚の角煮は出来るらしい。
ヤオロズ曰く"あまりこちらの文化に影響を与えたくないので"とのことで、技術提供は断られてしまった。
気持ちは分からなくもない。
"地球の技術ってすっげえ進んでいるからなあ。下手に導入したら、俺達の社会が大きく変わりかねないもんな"
地球の知識を思い起こしながら、俺は考えてみる。
もし電気が導入されたら。
ガスが導入されたら。
自動車が導入されたら。
鉄道が導入されたら。
恐らくインフラ革命が発生し、この世界の生活水準は大幅に向上する。
だが、それは同時に社会の制度さえも変えてしまう。
多分ヤオロズはそれを懸念して、食材提供しかしないのだ。
圧力鍋くらいなら低リスクだとは思うが、何がどう働くか分からないしな。
「ま、いいか」
「え、何がですかぁ?」
「何でもない。おっと、そろそろ茹で上がったかな」
肉の色から判断するに、いい頃合いだ。
火魔石を止めた。
湯が自然に冷めてから、豚肉を取り出す。
まだこの段階では、脂が表面にまとわりついている。
これがしつこさにつながるため、ぬるま湯で丁寧に洗い流した。
「よし、これで下準備オッケー」
「舌準備ですね! 任せてください、完璧ですー!」
「した違いだろ、それは。ここからもう二段階あるんだよ」
そう、角煮は難しくはないが手間がかかる。
まずは紹興酒で下味をつけるのだ。
赤いラベルが貼られた瓶を開ける。
独特のむせるような香気が立ち上った。
主原料はもち米らしいが、この苦いような甘いような香りはヤバい。
好きな奴はとことんはまる。
"これを肉に軽くかけて"
ちょっとばかり水を足し、そこで火を入れる。
肉にはもう火は通っている。
あくまでこれは下味を染み込ませるための手段だ。
弱火でじっくり、よし、これでいい。
アルコールも飛んでいるな。
「わっ、何だかお料理っぽくなってきたのです」
「酒が入ると、味にまとまりが出るからな。安い酒でもいいから、料理酒は持っておいた方がいいらしい」
「へええ、クリス様は物知りですねえ」
「知っていれば誰でも出来ることだけどな。よし、味付けいくか」
一旦火を止めた。
肉の表面を確認してから、醤油、砂糖、みりんを準備する。
味付けの好みにもよるが、俺は2:2:1くらいが好きだ。
全部合わせて、肉が浸るくらいでいい。
この味付けにはコツがある。
じわじわではなく、一気に煮詰めるのがポイントだ。
"短時間で勝負を決めるんだ"
手元の火魔石を握り、火力を強くする。
角煮を熱したタレで煮る――ではなく、タレが蒸発する時に一緒に巻き込む感じだ。
ちょっと大袈裟だが、それくらいのイメージでいい。
「ほら、ここまで来ると美味そうな匂いがするだろ?」
声をかけても返事がない。
横目で見ると、エミリアはポカンと口を開けている。
目もとろんとしており焦点が合っていない。
あっ、これ駄目なやつだ。
「おーい、戻ってこい。もうすぐ出来るんだ、呆けている場合か」
「はっ、私、今何をしてっ……あ、ああっ、何て美味しそうな匂いー! 柔らかとろとろの豚バラの風味が、この匂いだけで想像できますー!」
「最近コメントがふるってきたな」
呆れつつ仕上がりを確かめる。
よし、これでいいだろう。
火を止める。
あとは見栄え良くしておくか。
角煮を引き上げ、大皿へ移した。
うん、いい感じの濃い茶色に染まっている。
なるべく縦に角煮を盛り、高さを出す。
この方が立体感が出ていいんだ。
「あとは付け合わせだ」
取り出したのはいくつかの野菜だ。
包丁でこれを綺麗に切っていこう。
白っぽい長ネギは千切りに、細長い緑のオクラを斜めに。
これを角煮の周りに乗せると、お互いの色が引き立った。
でも最後に彩りが欲しいので、糸唐辛子を少し上に置いてみる。
うん、細い赤色が華やかさと力強さを加えてくれたね。
「よっし、完成。ワイルドボアのバラ肉による豚の角煮だ」
「超レアものじゃないですか、これ!?」
今にもエミリアは小躍りしそうだ。
いいねえ、この素直な反応。
あとは食べてのお楽しみさ。