51.報告を終えたら、いよいよ調理だ
執行庁に登庁すると、皆から声をかけられた。
表向きはただの地方出張ということにしていたので、皆何も知らない。
普通に「お帰りなさい、勇者さま」とねぎらってくれる。
知らないということも時には重要なんだよな。
「ただいまー」
ほら、ただ笑って返事しておけばいいんだし。
全部話すと面倒だ。
俺とリーリア夫人のつながりを、出来れば知られたくはない。
特定の人にあまり肩入れしたくないのさ。
とはいえ、事情を全部知っている人もいるけれどね。
「お帰りなさい、そしてお疲れ様でした。首尾はどうでしたか……と聞くまでもありませんな」
「ただいま戻りました。楽勝だよ、楽勝」
「それは何より。お怪我も無さそうですね」
俺の上司ことゼリック=フォン=ボルタニカは微笑を漏らす。
今日は珍しく片眼鏡をかけており、右目はクリスタルのレンズの向こう側だ。
「お洒落ですね、それ」と俺が言うと、満更でもなさそうな表情になった。
「たまの気分転換ですよ。それに年を取ると目が疲れるんでね」
「そりゃ難儀なことで。お大事に」
形式上は上司だが、実質は友人関係に近い。
とはいえ報告すべきことはあるので、本題に入る。
「エバーグリーン侯爵夫人の依頼は完了。ワイルドボアの群れは壊滅状態。ペレニア丘陵地に誰が引っ越そうとも、問題なしだ。侯爵夫人にはその旨連絡済み、以上です」
「ふむ、流石です。ライアル様は?」
「ちょっと疲れたみたいだが、外傷は無かったね。技の冴えは相変わらずだ」
俺が簡潔に答えると、ゼリックさんは頷いた。
その顔はどこか和やかだ。
「良かったですね。九年ぶりに共闘できて、わだかまりも解けましたか」
「――ああ、そんなところだな」
この人に嘘や隠し事は出来ないな。
密かに心配していてくれたみたいだし。
前髪をかき上げながら、俺は補足する。
「怪我の功名じゃないけど、今回の件があって良かったと思っているよ。ライアルと話せなかったら、気まずいままだったかもしれないし」
本心からそう思った。
それが伝わったのだろう、ゼリックさんが穏やかに答える。
「何よりです。後悔したままというのは、あまり良いものではないですからね。そうですか、ライアル様もお元気ですか」
「うん。またパーティー組むような機会は無いと思うし、その方がいいけどさ。ちょっと懐かしかったね。ところで副宰相、頼みたいことが」
「分かっております。軍への牽制でしょう? せっかくクリス様が奪還した丘陵地だ、横槍など入れさせませんよ」
「察しが良くて助かる。そっち方面は頼んだ」
つまりだ。
今回、ペレニア丘陵地から魔物を駆逐したんだけれど。
その件が故意に誤報道される恐れがあるってことだ。
俺――クリストフ=ウィルフォードへの依頼主は王国軍だというようにね。
エバーグリーン侯爵の名声につながらないように、そのくらいの情報操作はしてくるだろう。
そんな俺の懸念を察したのだろう。
ゼリックさんがため息をつく。
「噂でも流せば、少しは効果はありますからね。政治とはイヤなものです」
「その中を生き抜いてきたのが、ゼリックさんだろ。いいんだぜ、俺の活躍を執行庁の功績にしても」
「いや、そんなことはしませんよ」
肩をすくめてはいるが、どうだか。
とはいうものの、俺としてはもう出来ることはない。
あとは個人的な興味を満たすとしよう。
「帰ってきて早速なんですが、今日早退させてもらっていいですか? ちょっと用事があってですね」
「ん? 別にいいですが、どんな用事ですか」
「新鮮な猪肉が手に入ったので、あれやこれやと」
人の悪い笑いを浮かべてやると、ゼリックさんは「ふふ、仕方ない」と同じような顔になった。
確かニホンでやっている時代劇だと「そちも悪よのう」と言う場面だ。
椅子から立ち上がりながら、俺は窓の方を向く。
ダメ押ししておこう。
「作ったらおすそ分けするので、それで何とか」
「承認しましょう。家内も喜びます」
「よろしく」
円滑な人間関係ってのは、料理で築き上げられる。
今日もそれを実感しながら、俺は大きく伸びをした。
窓から射し込む光は優しく、そして暖かい。
✝ ✝ ✝
帰宅して驚いた。
何故かって、すでにエミリアが帰っていたからだ。
期待に目をキラキラさせながら、俺へ詰め寄ってくる。
「お帰りなさいお帰りなさい、クリス様ー! 今日は一体何を作っていただけるのですかあああ!」
「落ち着け、手洗ったら作るから」
「それじゃ答えになっていないのですよぅー。あまりにもクリス様のお料理が楽しみで、仕事が手につかなくってですねぇ! 定時前に帰ってきちゃいました!」
職務放棄かよ。
聖女が食欲に負けて早退とか、一般人に知られたくないねえ。
とはいえ、俺も実は悪い気はしない。
自分の料理を心待ちにしてくれるのは、やはり素直に嬉しいからさ。
「分かったよ、仕方ないな」
「とか言って、ほんとは照れているんじゃないですか。うふふ、クリス様ってばー」
「調子乗ってると作ってやらねーぞ?」
ちょっとイラッときたんでね。
「はうっ!? す、すいませんっ!」と、エミリアはビビって引き下がっていった。
躾のいい犬を見ているようだ……チョロいんだがちょっと悲しい。
いや、この際それは置いておこう。
「ちょっと時間かかるから待ってろ」
それだけ言い残し、俺は台所に立った。
袖をまくり、エプロンを着ける。
使い慣れた包丁を確かめ、まな板を準備する。
よし、やりますか。
まずは食材を取り出そう。
「よいしょっと」
「う、うわあっ!? なななんですか、その大きな肉の塊はー!」
肉を収納空間から取り出した途端、エミリアは悲鳴を上げた。
最低限のカットだけしているので、まだ骨もついたままだ。
びっくりするのも無理はないか。
「びびるなよ、ワイルドボアに決まってるだろうが。これが目当てで依頼受けたようなもんだ」
「い、いえ、それはそうですけどぉ。いきなりこんな大きなお肉が出てきたんで」
「確かに見た目は生々しいな。でも、これが普通なんだぜ? いつも肉屋で買っている肉ってのは、ほんとに綺麗に処理された段階だ。こっちの状態の方が、より自然なんだよ」
会話しつつ、俺はワイルドボアの肉から骨を外す。
ちょっとしたコツはあるものの、基本は力づくだ。
角煮に使うのはバラ肉なので、あばら骨が肉にくっついている。
それを外し、毛が付いたままの皮にも包丁を入れていく。
肉に野性味が残るのはいい。
だが猪の毛が口に入れば、食感が悪いし下手したら刺さる。
だから丁寧に処理しておく必要があった。
「ほんとは現地でここまでやっておきたかったんだが、そんな暇もなかったしな。ラフに食べられる部位だけ切り取る、それが限界だった」
「はー、なるほどなのですー。あっ、脂身の部分が見えてきましたねー」
エミリアの言う通り、白い脂身が皮の下から顔を覗かせる。
脂身はうっすらと黄色がかっていた。
うん、火を入れれば適度に溶けてくるだろう。
角煮に限らず、脂のコクが無いと料理に奥深さが出ない。
"ちょっと多いけど、十人前くらい作ってみるか"
大きな豚バラを一口大に切り分けながら、分量を決める。
最初は五人前くらいでいいと思っていたが、ちょっとずつ作るのも面倒だ。
調理用に確保したワイルドボアは、五頭分ある。
けちけちせずに使ってやろう。
「じゃ、まずはこの豚肉に軽く火を通して」
加熱したフライパンに、切った豚肉を全部乗せた。
ジュ、ジュと音を立てながら、肉が香ばしい匂いを上げる。
さーて、まずは表面に焼き色がつくまでだな。




