49.決着の時は今
この世には獣人と呼ばれる種族がいる。
文字通り、獣の特徴を持った人間だ。
狼獣人や猫獣人がよく知られているが、この猪獣人もまたその一種族だ。
猪の特徴である頑丈さとタフさを持ち合わせ、見た目通り力もある。
接近戦に限定するなら、そこそこやる方だろう。
「お前がこのワイルドボアのまとめ役か?」
問答無用で倒す前に、一応聞いてみた。
猪獣人は唸りながら、大きく頷く。
「そうダ。この丘陵地は住み心地がいいので、儂ら一族のものダ。勝手に侵入するなど許セン」
「お前らのものってのは、ただの勝手な言い分だろ。俺達にも事情があってね、必要としている人達がいるんだよ」
「フン、認められんナ。どのみちここまで儂らの同胞を傷つけたノダ。ただでは帰さんゾ!」
一声吠えて、猪獣人が斧槍を構え直した。
ズンと一歩踏み込めば、その体重で地面が揺れる。
「帰るわけないだろうが。あんまり俺を甘く見るなよ」と牽制して、眼前の相手を観察する。
戦闘は避けられないし避ける気もないが、その程度の時間はあった。
"太い腕、足。ごつい肩の筋肉。かなり力はあるだろう"
獣人の特徴だ。
獣の高い身体能力は、そのまま攻撃力や回避力に生かされる。
"鎧らしきものは着ていないか。装備はぼろっちい皮の上着と下履きだけ。だが、筋肉と脂肪自体が分厚い"
身体つきを見ても、それは明らか。
岩のような重量感が、ここまで伝わってくる。
あとはどの程度、武器の扱いに習熟しているか。
そして、俺自身のコンディションはどうか。
そこまで考えた時、自然と笑いがこみ上げた。
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
恐れるような相手じゃない。
コンディションだと?
それがどうしたというんだ。
確かにそこそこの数の敵だったが、別に初めてでも何でもない。
過去の経験が自信となり、俺に間合いを詰めさせた。
猪獣人の姿が、その分だけ大きくなった。
「お、オオオオッ!」
太い雄叫びを放ち、猪獣人は斧槍を振り上げた。
それに合わせて、周囲のワイルドボア共も吠える。
獣臭がむわっと押し寄せ、俺の鼻をついた。
野生ってのは怖いなとふと思う。
理屈ではなく、本能でそう感じた。
そして次の瞬間には、地を蹴っていた。
「いただく!」
小細工など不必要だ。
というか、俺が出来ることはいつだってシンプルなことしかない。
すなわち、真正面からの一撃のみ。
大剣が唸りをあげ、猪獣人の左肩へと迫る。
だが、敵も黙ってはいない。
斧槍の柄でこれを受け止めた。
大型武器同士の衝突が音高く響き、鈍い手応えを残す。
「お前、強いなあ」
ギリギリと大剣を押し込みながら、俺は笑った。
手加減無しの一撃をまともに受け止められたか。
なるほど、賞賛に値する。
猪獣人から返事はない。
そんな余裕はないってことか?
それとも言葉ではなく、力で競い合おうってことか?
いいぜ、俺もそっちの方が好みだからな。
相手が押し返す力を利用し、そのまま一歩離れた。
横殴りの追撃がくる。
これを大剣で受け止め、斜めに衝撃を逃してやる。
まともに受けてもいいんだが、疲れるんでな。
「おーい、本気でやれよー。勇者の名が廃るぞー」
「わーってるよ! そこで黙ってみてろ!」
見学中のライアルへ答えつつ、次の一撃を繰り出す。
受け止められたか。
数秒だけ力比べだ。
ここでは退かない。
気合いを入れて、猪獣人をそのまま後退させた。
体勢の乱れに乗じ、こっちが攻勢に出る。
「らっ!」
斜め上からの切り落としは、ぎりぎり回避されたか。
だが、文字通り薄皮一枚持っていってやったぞ。
黒っぽい血が舞い上がる。
それが地面に滴るより先に、俺は奴の背後へと回りこんだ。
太い首を回し、猪面がこちらの動きを捕捉してくる。
柔軟な動きだ、だがそこまでだろう。
スピード勝負なら明らかに俺に分がある。
左膝の裏を狙った。
ぶん回した斧槍で、何とか大剣の軌道を変えやがった。
ちょっと驚いたぜ、今の一撃を防ぐとは。
だが、俺の攻撃はこれだけじゃないんだよな!
「これでどうだ!」
軽く跳ぶ。
身長差を覆し、俺が高さのアドバンテージを得た。
敵の眼が大きく見開かれた。
こんな大剣を持っているのに、これほど身軽だとは思わなかったか。
残念、俺はこれでも勇者なんでね。
両手で思い切り大剣を叩きつける。
防御も間に合わない。
でかい刃が半ばまで敵の首筋へと入る。
ゴッと太い呻きが猪獣人の口から漏れ、同時に盛大に血が噴き出した。
空中で敵の胸の辺りを蹴り、大きく間合いを開ける。
"致命傷だ"
間違いなく心臓近くまで入った。
筋肉の束を破断してやった。
だが、その確信を抱きつつも、俺は大剣を斜め下から切り上げる。
攻撃ではなく防御の為に。
重く鈍い手応えが腕を揺らした。
斧槍の先端が、俺の大剣に喰らいついている。
危ない、危ない。
油断大敵とはこのことだ。
「最後の力を振り絞っての一撃か。お見事だ」
立ち尽くす猪獣人へ声をかけた。
だが、きっとこの呼びかけは聞こえていない。
剛毛から覗く眼には既に光は無く、胸の傷からはどろりと血が流れ続けている。
そうか、こんな状態で俺に一撃放ってきたのか。
敵ながら大したやつだ。
微かに感傷が心をよぎったが、それもすぐに消えた。
周囲を見回す。
「さあ、どうする? お前らの頭も俺に討たれたぜ。まだ続けてここで死ぬか、それとも命を大事にするか」
威嚇の言葉と共に、大剣を一度振る。
ヒュンと風が切り裂かれる音がした。
それを契機に、残ったワイルドボアの群れは逃げ出した。
怒りは残っていたのかもしれないが、恐怖がそれに勝ったのだろう。
ブホブホと耳障りな鳴き声を残しながら、一目散に逃げていく。
流石に戻ってくるなんてことはないか。
「お疲れさま。完勝だったな」
「当然と言いたいところだが、そうでもない。最後の一撃はちょっと危なかった」
余裕を持って防御はしたものの、まさかあの状態で反撃してくるとはね。
野生の底力を甘く見ていたのかもしれない。
俺の渋い顔を一瞥して、ライアルが肩をすくめる。
「けれどまあ、いざとなればへスケリオンの加護も残っていたしさ。奥の手も使わないまま、無傷で勝てたんだ。十分だろ」
「ま、そうだな。あまり突き詰めて考えても仕方ないか」
気を取り直す。
そう、一番大事なことは依頼の完遂だ。
ペレニア丘陵地を猪の群れから取り返す――その目的は果たしたと言っていいだろう。
戦いの内容自体はそんなに重要じゃないさ。
「よし、グランを呼んでこよう。依頼達成の確認をしてもらって、それから帰り支度だな」
「了解。あいつどこまで後退して……あっ、もうこっちに向かってきてるぞ。目ざといな」
ライアルが声をあげた。
その視線を追うと、遠くに人影が見えた。
間違いない、グラン=ハースだ。
やれやれ、ようやく帰れそうだな。
おっと、その前に大切なことを忘れていた。
俺の個人的な報酬を回収しなくては。
そう、新鮮な猪肉がたっぷりと期待出来るのだから。