46.じゃあそろそろ戦闘といきますか
昨夜の楽しい宴はどこへやら、迎えた朝はお仕事の本番だ。
「やってきやがったぜ、猪共が」
軽く首を回しながら、俺は腰を上げた。
くるまっていた毛布をポイと脱ぎ捨て、意識を前方へと向ける。
東の空に上ってきた太陽が、徐々にペレニア丘陵地を照らし出している。
丘陵地独特の起伏の陰に、もぞもぞと動く複数の何かが見えた。
「おー、結構集まったなあ」とライアルが感嘆の声を上げる。
「仕掛けの効果は期待通りといったところですか」
「獣専用の匂い袋とは考えたな。探す手間が省けたよ」
「いえ、それほどでも」
とはいうものの、グランも満更ではなさそうだ。
そう、これが昨日グランが設置した仕掛けだ。
匂い袋の中身は単純。
獣の好む木の実や草を混ぜ合わせ、特殊な液体で煮込んだものだ。
人間には異臭としか思えないけれど、これを好む獣にはご馳走の匂いになるらしい。
「上手く朝頃に集まってくれたね。夜間だったら嫌だなと思っていたんだ」
ライアルがぽつりと呟き、俺の横に並ぶ。
表情が乏しいが、これは単に寝起きだからだろう。
「遅効性の匂いの仕掛けをわざと時間差で置いて、こちらに誘導とはね。大したものだよ」とちゃんとグランのことは認めているし。
「ありがとうございます。さて、こうなると私は足手まといなので――」
丘陵地を眺めつつ、グランが後退する。
その視線の先を追った。
はっきりと確認出来た。
ワイルドボアの群れが、こちらへ歩を進めてきている。
黒い剛毛に覆われた体といい、口から覗く二本の牙といい、ただの獣にしちゃゴツすぎるよな。
「――後ろに退きますね」
「予定通りだな。了解、俺らのことは心配するなよ。戦闘が終わったら、合図する」
顔を見合わせ、俺はグランを後退させた。
ライアルは髪をかき上げながら、前方を睨みつけている。
その右手が開き、握られ、また開いた。
「ここから見える限りは、ざっと二十ってところか」
「そんなもんだろうよ。準備運動にはちょうどいいさ」
ライアルに答えながら、間合いを測った。
すでに彼我の距離、凡そ五十歩か。
いくら丘陵地が起伏に富むとはいえ、ここまで近づけば見失うこともない。
それに真正面からというのも好都合だ。
力の差がそのまま勝敗に直結するからな。
ブフル……と唸り声が聞こえてきた。
人とは違っていても、獣には獣なりの戦意があるらしい。
いいだろう、そいつに応えてやるさ。
収納空間をオープンし、中から俺の武器を引きずり出す。
このずっしりした手応え、久しぶりだな。
ゆるりとかざせば、分厚い刃が朝陽にヌッとそそり立った。
鞘はない。
装飾の類もほとんど無い。
ただただ敵を斬り、破壊するだけの無骨極まりない大剣だ。
刃渡りだけでも、俺の身長近くある。
「相変わらず、洒落っ気の無い武器使ってるね。勇者なら、もう少しお洒落な聖剣でも使ったらどうなんだよ」
「お生憎さま、そんな小洒落た趣味は持ち合わせちゃいないからな。俺はこれ一振りで十分だ。俺のベースの職業が重騎士ってこと忘れたのかい?」
「そういえばそうだったな。それじゃあ、俺は」
ライアルが言葉を切った。
その黒い目が鋭い光を放つ。
思わず身震いした。
衰えていない。
勇者の地位から滑り落ちても、この男の覇気は全く衰えていない。
俺の一歩前に踏み出しながら、俺が認める旧友はその右手を前方へとかざす。
「魔剣遣いらしく、技で翻弄してやるとしよう。召喚、第一の魔剣」
ライアルの声が響いた。
ワイルドボアの群れは、その声を無視するように前進してくる。
獣の蹄が地を蹴る。
距離が一気に縮まる。
来る、いや、それより先に。
「白銀驟雨!」
六本の銀色の閃光が、ライアルの手から飛び出し猪共へと襲いかかった。
✝ ✝ ✝
ライアルがベースにしている職業は、奴の言う通り魔剣遣いという。
レアな職業らしく、あまり一般的には知られていない。
何でも剣に特殊な呪印を刻み込み、自分の支配下に置いて操るらしい。
これを聞いただけでも、何やら凄そうな気がするだろ?
実際に凄いんだけどな。
"先制攻撃は見事に成功っと"
大剣を肩に担ぎながら、俺は余裕の見物だ。
こんなやる気の無さそうな姿勢でも、全く問題はない。
ライアルの白銀驟雨に急襲されて、ワイルドボアは混乱の真っ只中に放り込まれているのだから。
それも仕方ないか。
いきなり小剣が六本、それも何もない空中から飛来してきたんだから。
いくら頭の悪い獣でも、これはただ事じゃないと分かるだろう。
その混乱した状態が、小剣に切り裂かれて加速する。
喉や首筋という急所でなくても、ミスリル製の刃は十分な攻撃力を発揮している。
「ほんと初見殺しだな、お前の技って」
剣が飛び道具と化すだけでも十分に脅威だ。
しかもライアルが操る通り、四方八方からの攻撃を繰り返す。
この技に狙われたなら、俺も無傷で逃げ切れる自信は無い。
「たまたま上手くいっただけさ。おっと、逃がすかよ」
ライアルが右手をさっと水平に薙ぐ。
それに呼応するかのように、小剣の一本が真横に飛んだ。
良く訓練された猟犬のように、それがワイルドボアの一頭に喰らい付く。
見事に右前足を抉り、獣の体を大地へと転がした。
慌ててこの場から逃げようとしたようだが、そうは上手くはいかないさ。
「このまま完封出来れば楽なんだけどな」
「そこまで甘くはないだろうよ。ほら、立ち直ってきた」
ライアルをたしなめつつ、俺は大剣を肩から下ろし両手で握り直す。
やはりか。
何頭かは白銀驟雨で絶命していたが、全体としては出鼻をくじかれただけってところだ。
獣の生命力は人間のそれとは違う。
だらだらと真っ赤な血を流しながらも、ワイルドボアの大半は突進を再開してきた。
蹄で地面を掘り返し、黒い疾風と化してくる。
一頭一頭が大の大人並みのサイズだけに、結構迫力あるなあ。
自然とこっちのやる気も出てくるね。
「数減らしてくれただけでも、ずいぶん助かるぜ。後は俺に任せとけ!」
ライアルの返事も聞かず、俺は前に飛び出した。
一歩ごとに加速、あっという間に全速力。
こうなりゃ間合いなんて、あってないようなもんだ。
瞬く間に、俺はワイルドボアの群れへとたどり着く。
"ちっとばかり暴れてやるか!"
最後の一歩は靴底を滑り込ませるように。
大剣は大きく右後ろに引いている。
踏ん張った力を上半身に伝え、真横へと払った。
「らああああっ!」
大気が裂ける。
剣閃が駆け抜け、朝陽さえも寸断される。
ごつい刃が触れたならば、いや、触れなくてもその剣圧に巻き込まれたならば、無事にはいられない。
グッシャアアアと鈍い音を立てながら、数頭のワイルドボアがあっという間に骸と化した。
大剣の一撃がまともにヒットしたようだ。
血肉と骨を撒き散らしながら、その太い胴がバラバラになっている。
「おら、こんなもんかよ!?」
俺の攻撃に恐れをなしたのか、猪共の突撃が崩れた。
同情はしないぜ。
その旺盛な食欲と顎の力で、人間の肉でも骨でも喰らう魔物だからな。
必要があればいくらでも狩ってやるよ。
剣を振りかざし、今度は真上から叩きつける。
衝突音が弾け、俺の目の前の地面が大きく削れた。
子供が水遊び出来るくらい、深く抉れている。
逃げ遅れたワイルドボアは、あっさりとぺしゃんこだ。
ゴフゴフという微かな呻き声がしたけど、それも僅かの間だけ。
「へえ、仲間が死んでも退かないか。獣のくせにやるねえ」
数歩間合いを離しながら、剣先を揺らす。
おっと、一頭右から来るか。
体を素早く反転させ、右手一本で下から上へと大剣を振るった。
ボッ! と爆発のような音を立て、ワイルドボアが弾け飛ぶ。
当たるわけが無いだろ、そんな雑な突進。
俺の目には止まって見えるさ。
「よし、前座はもう十分だ。後がつかえてるんでな」
そう、あと八十頭も残っているんだ。
角煮か豚汁にして美味しくいただいてやるから、ここらであっさり全滅してくれよ?




